| ■ 8 初めての勝利 ■ リノの村に到着するまで、魔物との遭遇率はかなり増えていた。ギャヴァンを出発してからの5日間で俺はこの辺に出現すると言う魔物の全てに遭遇してしまう羽目になった。 昼間は魔物と戦いながら旅を続け、夜は夜襲に備えながら、時には魔物を撃退しながら剣を教えてもらった。 たかだか数日で剣捌きが格段に上がるわけではないけれど、それでも魔物に遭遇する。何度も遭遇してみれば、少しずつでもそういうもんだと思えてくる。最初は出来るだけ怖がらずに見てるだけ。次にはシサーに教えられた通りに剣を握って、何かあれば何とか出来るようにユリアを守って立つだけ。 けれど、それを繰り返していれば次第に魔物を見ることに慣れ、剣を握ることに慣れてくる。それに慣れてきたら、次は動き方。シサーが俺に、動き方を教え、戦闘の最中に指示を飛ばす。無茶なことを言いはしないから、次第に魔物に近付くことに慣れていく。 ユリアも少しずつではあるけれど、最初のように取り乱すことはなくなってきてはいる。使える数少ない魔法から防御魔法や補助魔法をかけて戦いをフォローし、回復魔法で傷を癒してくれるようにもなった。 ……但し、俺にはまだ克服しなきゃならない最大の恐怖が、ある。 魔物と対峙することそのものに対する恐怖じゃない。命を狙われると怯えることでもない。 自らの手で、生き物の命を奪う行為をすると言う……そのふんぎりが、なかなかつかない。 シサーは、剣捌きや戦い方だけではなく、戦闘時の心構えなんてものも教えてくれる。すべきこと、考えるべきこと、見るべきこと……けれど、それを少しずつ叩き込まれて尚……決心が、つかなかった。 明日にはリノに到着するだろうと言うところまで来て、その日は野営を張った。見張りは、俺とシサーで交代で行っている。 食事を終えて剣の稽古をしてもらい、大きな木の陰でみんなが眠りにつくと、俺はひとりで焚き火のそばに膝を抱えて炎の揺れるのを眺めていた。 林、と言うほどではないけれど、数本の木が連立するその木陰だ。何かが近付いてくれば、草を踏み分け枝を掻き分ける音でわかる。 ……早く、強くなりたいなあ……。 手の平を開いてじっと見詰めた。16年間剣など持ったことがない俺の手の平は、この数日間でマメだらけになっている。ヒーリングしてもらっちゃうといつまで経っても剣に馴染む手にはなれないので、これだけは放ったままでサポーターでフォローしていた。 この傷が治る頃には手の皮が厚く強いものとなって、剣を振るうことに痛みを覚えなくなるだろう。 覚えなく、なるだろうか。 けれどそれがまた俺を、怯えさせる。 その時俺は、別の人間になってしまっているような気がする。 剣を振るうこと――生き物の命を絶とうとすることを良しと出来るのは、これまでの俺じゃない……。 ユリアを守りたいと思う気持ちと、躊躇うことなく剣を振るうようになれば、それは自我の崩壊なんじゃないかと思う間で、俺は揺れ続けていた。 (疲れたなあ……) リノの村はレオノーラよりやや北に位置する。つまりギャヴァンほど暖かくなく、夜になれば風は少し冷たい。山脈がすぐそばに控えているせいもあるのかもしれない。俺は荷袋にしまいっ放しだったマントを取り出して羽織った。 キサド山脈を背後に控えるリノの村に近付けば、当然キサド山脈も近くなる。褐色の切り立った険しい山脈だと言うことが昼間は見て取れた。今は黒々とした巨大な壁が聳え立っているように見える。 夜鳥が鳴く声と羽音が聞こえた。いわゆるフクロウみたいに夜目の効く鳥だ。 焚き火に枝を放り込んで、抱えた膝に顎を乗せて小さくため息をつくと、不意にがさっと音がした。魔物か、と思って咄嗟に顔を上げる。けれど物音がしたのはみんなが寝ている大木の陰だった。目を凝らすと、眠っていたはずの誰かの人影がむくりと起き上がり、密やかに立ち上がる。こっちへ来るのかと思ったら、そっと反対側へと移動して行った。 燃え盛る炎のせいで、その周囲は却って闇が深い。けれど一瞬揺れた緩やかに波打つ長い髪……ユリアだ。 「……シサー」 眠っているシサーたちを放って俺がこの場を離れるわけにはいかない。申し訳ないけれどシサーを起こすことにする。 「……んあ?」 本当に眠っていたらしく、小さな鼾が途切れてシサーが答えた。 「ユリアが……」 「え?」 がばっと身を起こす。ニーナとレイアはまだ眠っているので、俺は小さな声で続けた。 「今ユリアが立ち上がってどこかへ行った。俺、探してくるからここお願い」 「俺が行こうか」 俺は黙って首を横に振った。シサーが頷く。 「わかった。……気をつけろ」 「うん」 俺は立ち上がってその後を追った。あまり離れるわけにはいかないけど、ユリアを放っておくわけにはいかない。……危ないじゃないか。 剣を携えて、ユリアが消えた方へ後を追う。カサカサと足元で草や落ちた枝が鳴る音を聞きながら、俺は小さく呼んでみた。 「ユリア……」 返事はない。木々の間を縫って少し歩くと、開けた草原に再び出た。立ち止まる。耳を澄ますと、微かに風に乗って微かに声が聞こえた。……泣き声……? 声を追って、静かに歩き出す。俺が出たのとは少しずれた草原との境目にあたる場所に、ユリアが膝を抱えて蹲っていた。その姿に、ずきんと胸が痛む。 「ユリア」 俺の声に、ユリアが顔を上げた。波打つ黄金色の髪がするりと肩を滑り落ちる。 「カズキ……」 「危ないよ。みんなが心配する。戻ろう」 ユリアの顔がくしゃりと歪んだ。再び膝に顔を埋めてしまう。 「怖いの」 ……こんな時間にこんなところにひとりでいる方が怖いと思うんだけど。 「レオノーラを出てから、ずっと怖い。先が見えなくて……」 「……」 「レガードが、そばに、いてくれないから」 その言葉を聞いて、思いがけないほど胸が疼いた。何だろう……ショック、に、似た……。 まさか。どうして。 ユリアがレガードを求めているのはわかりきっている。 ……彼女は、レガードの婚約者だ。 「レガードが、恋しい?」 ユリアは顔を上げて躊躇いもなく頷く。 「会いたい。どこにいるのかもわからない。生きてるのかさえ。……もし間に合わなかったんだとすれば、わたしはこの先どうしたら良いの……?」 レガードへの思慕と切なさで涙に濡れるユリアの顔に、呼吸が詰まるほど胸を締め付けられた。 手を伸ばし、そっと髪に手を触れる。なぜか俺が苦しくて、その華奢な体を抱き寄せた。力を入れたら折れてしまいそうな細い肩。 ……そんなに、レガードが……。 「俺が……」 苦く、押し出す。 「俺が見つけてあげるから」 「カズキ……」 「君のレガードを、必ず、見つけてあげるから……」 涙を溢れさせたまま、ユリアが俺の胸に顔を埋める。わかってる、俺はレガードの代理だ。俺が探してるのは、彼女の婚約者だ。 腕に抱いたユリアの温もりが、16年間感じたことがないほどに、愛しく思えた。そんなふうに感じるのは、初めてだ……。 自分の世界で、クラスメイトのなつみのことを可愛いなと思っていた。けれど、気がつく。それがいかに他愛のない感情なのか。 いつの間にか、身を挺してでも、もしかすると自我を崩壊させてでも、ユリアを守りたいと望み始めている、その想いに比べればいかにちゃちい感情だったか。 「ユリア……泣かないで」 ――その時だった。背後に異様な気配を感じたのは。 ズル、グブ、と汚らしい音がする。背筋を粟立つような感覚が駆け上がった。……何か、いる。 「何……?」 剣の柄に手を掛け、ユリアを背後に庇って振り返った。ユリアが濡れたままの瞳を上げて暗闇を見据える。 「わからない……」 答えて、俺も草原に続く暗闇に目を凝らす。頼りない月明かりに照らされた黒い、影。頭は小さくつるっとしていて大きな尖った耳……。 (ゴブリン……) 剣を、鞘から抜き放った。使えるのか?俺、ひとりで?ゴブリンは何か得体の知れない言葉を呟き、俺たちの姿を見据えるように足を止めると、手にした棍棒を握る手に力を込めた。 負けじと睨み返しながら、乾き始めた唇を舐めて息を飲む。シサーに叩き込まれた通りに剣を構える手に、汗が滲む。 ……落ち着け。 心臓が早鐘のようだ。腕も、膝も……全身が、かたかたと微かに震えた。 ――勝敗を分けるのは、どれだけ冷静でいられるかだ。焦れば当たり前のことが出来なくなり、見えるものが見えなくなる。まず、冷静になれ。 シサーの言葉が蘇る。 ――パニックは勇猛な部隊でさえ一瞬で壊滅に追い込む。戦争においては、前線の第1小隊の混乱から崩壊を招くんだ。 落ち着け……冷静になれ。相手は1匹だ。 震える両手に力を込めて、ともかくもゴブリンから目だけは逸らさないよう集中する。 技も力も経験もない俺がパニックを起こせばもう勝機はない。それだけは、シサーから普段、口うるさいほどに言われている。 ――勝利を得るのは力量より精神力だ。まず、敵を恐れる自分を克服することが、最大の戦術だ。 俺に、出来るのか?相手を傷つけることが。 相手の命を奪うことが……!! 「カズキ……ッ」 この刃がゴブリンの体を貫くことを想像してぞっとした俺の背中に、ユリアの儚い、怯える声が届いた。 「ユリア……」 守、ら、なきゃ。 俺がここで怯むことは、ユリアを危険に曝すことと、イコールだ……。 (……負けるわけに、いかないッ……!!) ぷつん、と俺の中で何かが切れた。自分が今置かれている立場に気がついて目を見開く俺につられたかのように、ゴブリンが変な声を上げて棍棒を振り翳す。 負けて死ぬのは、俺だけじゃない。……ユリアには、指ひとつ触れさせない……ッ。 ――攻撃をする時には必ず一瞬の隙が出来る。その瞬間を突け。 俺目掛けて一直線に駆けるゴブリンから視線を逸らさず、恐怖と葛藤を無理矢理飲み下して片足で地面を蹴る。ひゅんっと風を切る音がしたのは、その時だった。 「ギャアアッ」 いきなり体勢を崩したゴブリンの脇腹に両手で横になぎ払った俺の剣がヒットした。俺程度の力では一刀両断ってわけにはいかないけど、それでもアギナルド老に鍛えてもらったその刀身の鋭さはかなりのもので、相当の深手を負ったようにゴブリンが横に吹っ飛んで倒れる。けれど手にした棍棒は決して離さず、すぐに体を起こして俺に向かってしつこく迫ってきた。 俺の肩目掛けて棍棒が一閃され、咄嗟に身を引いたものの避け切れずに当たった。肩に激痛が走る。 「カズキ!!」 ユリアの声には応えず、飛び退ったゴブリンが再度俺目掛けて来るのを真っ直ぐ見詰めた。剣を、握り直す。最初と同じように地面を蹴って躍り上がったゴブリンに合わせるように、俺は剣を平行に構えて地面を蹴った。懐に飛び込む。 大きく手を振り上げた状態では、体はがら空きだ。腕を返す間もなく、その貧相な体に俺の構えた剣が深く飲み込まれた。鈍い、手応え。 「ギャアアアアアアッ」 この世のものとは思えない悲鳴を上げ、剣が突き刺さった場所から血を噴き上げながらゴブリンが仰け反った。共に地面に倒れ込む。体を跳ね起こしてゴブリンに目をやると、ぴくりぴくりと痙攣を起こしながら仰向けに地面に倒れていた。口から血の泡を吹いている。その姿は間違いなく、息絶えた姿だった。 肩で息をつきながら立ち上がる。剣に手をかけて引き抜くと、そこからまた大量の血が噴き上がり、自らの手に残る肉を裂く感触と相まって激しい吐き気を誘った。 (……俺……) 涙で目が霞んでる。 ウォーウルフの時とは、違う。 俺は、自分の意思で、明確な殺意を持って、殺した。 カラン、と剣が俺の手から転がり落ちる。力が抜けてすとんと座り込んだ俺の目に、見覚えのないものが映った。 (……?) 倒れているゴブリンの肩口に刺さっているダガー。当然だが、俺のじゃない。 最初の一撃の時、風を切るような音がしてゴブリンが一瞬体勢を崩した。あれは、このダガーが飛来する音だったのかもしれない。おかげで助かったけど、でも、誰が……? ぼんやりと辺りを見回すと、木々の合間に一瞬誰かの姿が見えたような気がした。黒髪の、小柄な姿。……誰? 「カズキ!?」 確かめる暇もなく人影は姿を消し、それとほぼ同時にざざっと草を掻き分ける音が聞こえた。シサーの声が俺を呼ぶ。 「……シサー……」 「……お前、倒したのか……」 座り込んでいる俺と、地面に転がるゴブリンを見て、シサーが呟いた。半ば呆然としたまま、頷く。肩が、痛い。 「うん……」 血の臭いが、離れない。 こうして少しずつ、血が、死臭が、俺の体を取り巻いていく。 ……ユリアを守りたいと思うことは、こういうことだ。 「カズキ!!」 ユリアが駆け寄ってきた。シサーの後ろからレイアとニーナも姿を現わす。 「ユリア……怪我は、ない……?」 ユリアを、守ってやれた……。 ひとりで。 生き物を殺した。 自分の、意思で……。 「わたしはないわッ……カズキが守ってくれたものッ……。カズキこそ怪我は!?」 「あ……ちょっと……肩を……」 答えながら俺はまだぼんやりとしていた。微かに、心のどこかが麻痺をしていくような気がした。 「すぐ、治すわ。……アモル・オムニブス・イーデム。我らを守りし偉大なる女神ファーラよ。その下僕に深き慈愛をもって癒しを施したまえ」 ふわり、と俺の体が白い光に柔らかく包まれた。肩を走る痛みが、消えていく。 「……ありがとう」 礼を言うと、ユリアはふるふると顔を横に振った。ふわふわと下ろしっ放しの髪がその動きに合わせて揺れる。 「ごめんなさい……わたし、わたしが、抜け出したりしたせいで……」 大きな瞳から大粒の涙が溢れる。シサーたちは無言でこちらを見守っていた。 「守ってくれて、ありがとう……」 「ううん……」 潤んだ瞳が俺を見上げる。それを見て、愛しいのと、苦しいのと、そして……。 血塗られた手と、ユリアを見比べる。 ユリアを守ることが出来るのなら、俺は……。 「危ないから、もうひとりで抜け出したりしないで。……必ず、レガードは見つけ出すから」 「……ごめんなさい。ごめんなさい」 「ユリアが、無事で、良かった」 「よし。んじゃ戻ろう」 シサーが言って俺の肩に手を置いた。 「シサーの、おかげだよ」 野営地へ戻るべく連立した木々の間を抜ける。ゴブリンの血をまだ拭っていないので、俺は抜き身の剣を片手に持ったままだ。 「シサーが俺に、いろいろ教えてくれたから……」 「そうか」 「うん……だから、ありがとう……」 こうして、少しずつ……。 「度胸、ついたんじゃねぇか?」 俺より高い位置にある目線が俺を向いていた。柔らかい笑みを浮かべている。 「……そんなこと、ないよ。でも……」 少しずつ、どこか、壊れていくんだろうか。 「とにかく、落ち着かなきゃって……」 「それが一番難しい」 「そっか……」 おどけるように言ったシサーの言葉に、小さく笑った。 血の臭いが染み付いて、その後は眠ることが、出来なかった。 ゴブリンとの戦闘に勝利したことをきっかけに、俺はこれまでよりももう少し積極的に戦闘に参加するようになった。 飲み込むしかない。そう、腹を括った。 生きなきゃならない。魔物は、脅威だ。俺を、そしてユリアの生命を脅かす存在だ。 ……抵抗しなきゃならない。それは、殺戮じゃない。俺の生命を守るための、抵抗だ。 そう思わなきゃ俺は、いつまで経ってもユリアを守ることが出来ない。 もちろん自分でそれほど立ち回れるかと言うとそんなはずはなく、シサーの指示の通りに動くしか出来ないけれど、それでも俺は、自らに課すことにした。 苦くても、怖くても、どれだけ夢に見ても。 ――他者を、攻撃することを。 生き延びる為に。 ◆ ◇ ◆ リノの村は、本当に小さな集落だ。砂漠を旅する旅人が必ず立ち寄る村だから宿屋はあったけれど、それでもたったの1軒で、ヘイズの町も小さな町だとは思ったけれど……ここに比べれば大都市と言ってしまいそうな気がする。何せ、1時間もかけずに村の中を1軒1軒回って来られそうな規模なのだ。 整備されていない土で出来た道が村の中を廻ってて、家も物置小屋みたいな……小さな家がぽつりぽつりとあって。妙に……寂しい気持ちになる。 この村には魔物から守る外壁はなかった。危なくないんだろーか。 「あんまり、人が住んでないんだ」 シサーたちが以前も利用したことがあると言う宿屋に荷物を置いて、俺とシサーは外へ出た。ただの散歩だけど、一応道具屋を覗いて来ようかって言ってて。ユリアとニーナとレイアは、とりあえず湯浴みをしたいと言って宿屋の人と交渉してたから……今頃風呂……とはいかなくてもお湯で体を洗ってるのかもしれない。俺も戻ったらお願いしてみよう。 「そうだなあ……。この辺は土地も痩せてるからあまり農作物も育たないし、一応海が間近に迫ってはいるから細々と漁をしながら食ってるって感じだな」 ギャヴァンからリノに向かう行程で一度遠く離れた海は、この村で再び間近に迫っている。ギャヴァンのように賑やかな活気はないけど、この村も潮の香りがした。 「あー、でも今日は久々に屋根のあるところで眠れるんだなー」 思いっきり伸びをする。リノについたのは日暮れ間近で、今も辺りはまだ薄暮に包まれていた。少しずつ空に雲が立ち込めているのが少し嫌な感じだ。 「疲れたか?」 「そりゃもう。何かあちこち痛い気がするよ……。シサーっていっつもこんな生活送ってんの?」 「まあな。もう慣れたもんだ」 これまた町にたった1軒しかない道具屋を覗いて見たけど、目ぼしい物は何もなさそうだった。携帯食の補充だけして店を出る。 「シサーって、世界のあちこち行ってるの?」 「フレザイル以外は、とりあえず全ての大陸に1度は足を踏み入れたな」 シリーと同じようなことを言ってる。……パララーザはまだヘイズにいるのかな。それともどこかに移動したんだろうか。 「……ねえ、ナタって知ってる?」 ふと思いついて聞いてみた。まだほんの子供なのに……下手な大人よりよっぽど謎がありそうな少女。 「ナタ?」 シサーが首を傾げる。……知らないのかな。シリーもメディレスもシサーのことを知っていたから、パララーザのことは知っていそうなんだけど。 「パララーザのシリーって知ってるんでしょ?」 「おお。……何でお前さんが知ってんだ?」 「ヘイズで助けてもらったんだ。シサーに会いに行くんだよって言ったら、『ピカイチのイイ男』って言われた」 ついでに『あんたみたいなガキジャリ』とまで言われましたけどね……。 シサーが苦笑いを浮かべて頭に手をやった。 「またくだらねえこと言ってやがる……」 「旅してる間に知り合ったの?」 「まあ、そうだな。俺もあちこち旅をしてるし、パララーザもそうだからな。時々遭遇するんだよ。……ニーナには言うなよ、シリーの話」 「何で?」 「仲が悪い」 「……」 シサーを大好きな人同士、反目し合ってるってわけね……あ、そう。 「ナタは、パララーザにいた女の子だよ。まだほんの子供の」 「子供?」 シサーが指先で後ろに束ねた長い髪の尻尾を玩びながら眉を上げた。 「うん」 通りには人の姿がない。家にはいるんだろうけど、あんまり気配もしなかった。何だかひっそりと暮らしているって感じがする。けれど、時間が時間だからか、ぽつぽつある家からは食事の用意をする良い匂いが上がっていた。勢い、空腹感を覚え始める。 「パララーザに子供なんかいないぜ」 「え?」 だって……。 「いたんだよ。紫の髪に紫の目の」 「紫?」 「うん」 ぽりぽりと頤を掻いてシサーが首を傾げた。 「知らねぇなあ……。しばらく見ないうちに増えたのか?」 それともナタって、パララーザの人間じゃないのかな……。それにしちゃ、仲が良さそうではあったけど。 「まあ、いいや……。シサー、今日も剣の稽古、よろしく」 「いいぜ。……やる気になってんなあ」 シサーがにやっと嫌な笑いを浮かべた。 「へっへっへー。若いってのはいいねぇ……いよいよ本格的に惚れたか」 「だだだ誰にッ」 「……俺だとは思いたくねえよな、少なくとも……」 「……」 そんなの、俺だって想像したくない。 宿に戻ると、身綺麗にしたユリアとニーナが広間でおしゃべりをしていた。 普段さほど来客のない村らしく、宿屋も農業で身を立てている普通の家が一応お客さんも泊めてあげるって感じで……つまり、普通の家だ。この村の中ではかなり大きな部類に入るとは思うけど。 「そろそろ食事にするけど、大丈夫かい?」 どこかぼーっとした感じの中年のおじさんが戻って来た俺たちに声をかけた。主人のチェザレさんだ。 「あ、はい。お願いします」 頭を下げながらユリアたちの方へ向かう。シサーは買ってきた荷物を置きに、一度割り当てられた部屋へと姿を消した。 「ユリア、お湯、もらったの?」 「うん。カズキも借りたら?」 「そうしようかなあ……」 砂埃と汗と返り血で、相当汚い。はっきり言って。 湯浴みをしたユリアたちのそばにいると、尚更自分の汚さが気にかかる。 「あの、すみません」 小さな台所を覗き込んで、食事の支度をしているチェザレさんに声を掛けた。 「俺も、湯浴みさせてもらっても良いですか?」 「ああ、良いですよ。風呂なんて豪華なものはこの村にはないんでねえ……。廊下の奥にね、小さな部屋があるんですよ。そこにお湯、持って行きますから」 「すみません」 タオルを取りに行くため部屋に向かうと、こちらへ来るシサーと擦れ違った。部屋に戻って荷物を漁り、マントと上着を放り出してタオルを抜き出すと、チェザレさんに言われた通り廊下の突き当たりに向かう。木製の古いドアがあってそこを開けると、藁葺きで目隠しするようにぐるっと取り囲まれた半畳くらいの小さな空間があった。足元はスノコが置いてあって……でも、外だろ、これ。 チェザレさんは既にお湯を用意してくれていて、でかい盥の中に張られた水からは湯気が上がっていた。シャツを脱いで上半身裸になると、タオルをお湯に浸して体を拭く。 それからひどく苦労して頭を何とかお湯で洗い、俺はそこを出た。何か中途半端な気はするけど……やらないよりはましだろう……。 「ありがとうございました」 「あ、俺も俺も」 俺が広間に戻ると、入れ違いにシサーが湯浴みをしに行き、シサーが戻ってきた時には粗末なテーブルの上に質素な食事が並んでいた。……うー。久々のまともなご飯だ……。 「いただきますー」 パンに魚、具の少ないスープと言う質素極まりない食事ではあったけど、凄くありがたい。あっちの世界では食事がこれほどありがたいものだとは気がつかなかった。 「ユリア、シェインと交信ってやってんの?」 食事を口に運びながらいきなり思い出して聞いてみる。ギャヴァンからリノへ向かう行程の中では交信しているのを見掛けていないような気がしていた。 「うん。毎日、報告してるわよ、ちゃんと」 「そうなんだ」 「何だ?シェインと交信って」 「『遠見の鏡』って言うアイテムを渡されてね……毎日無事ですって報告しろって」 「相変らずユリアに対しては過保護だなあ……」 「王女様なんだから当然じゃないのよ」 ギャヴァンにいた時に、何か気掛かりなことがあるようなことを言ってたけど……どうなったのかな。 「レオノーラで、何かあったの?」 わいわいとシサーやニーナと話していたユリアは、俺に視線を向けた。スープに手を伸ばしながら首を傾げる。 「え?何で?特に何も聞いてないけど……」 「あ、そう?」 別に、何でもないのかな……。 なら、良いんだけど。 「いや別に……何でもないけど」 食事を終えて部屋に戻る。借りた2部屋の部屋割りは、当然俺とシサー、ユリアとニーナ、そしてレイアだった。 宿屋についた時、シサーは意地が悪い顔をして言ったものだ。 「俺はニーナと一緒で良いんだぜ?」 俺はユリアと一緒じゃ凄く困るんだよッ。 わざとそんなことを言ってはからかうシサーを強行突破して、現在の部屋割りを押し切ったのだ。……ってか当然。 「あーあ。カズキにニーナとの間を裂かれちまったなあ……」 意地悪くぼやきながらシサーがベッドのひとつにごろんと転がった。そんなシサーに、タオルを投げつける。 「あのねえッ」 「おーっと。いちいちムキになる辺りがまだまだ若いねえ……」 「おっさんくさ」 「何だとぉ?」 ベッドからぴょこんと体を起こしてシサーが俺に掴みかかった。その筋肉質の腕でヘッドロックを固められる。 「やーめーてー!!はーなーせー!!」 「……なぁにじゃれてんのよ……」 コンコンとノックされるのとほぼ同時の勢いでドアが開き、しらっとした顔でニーナがそこに立っていた。俺にヘッドロックを決めたまま、シサーが顔をそちらに向ける。 「こいつが生意気な口利くから」 「生意気ってねえええ……」 良いから離してよ。 ふっと呆れたようなため息をつきながら、ニーナは部屋に入ってくるとさっきまでシサーが転がっていたベッドに腰を下ろした。すらりと伸びた足を組む。 「どうした?」 「何か、ちょっと変な感じがして」 「変?」 だからヘッドロック解いてよ……。 じたばたと俺がもがくので、ようやく腕を離しながらシサーが尋ねる。げほげほとむせながら俺はもうひとつの空いているベッドの上に転がった。 「……元々風の砂漠はシルフの力が強いところなのだけど」 風の砂漠だからなあ……。風の精霊の力が強いのは当然なんだろう。喉を押さえながら俺はニーナの言葉に耳を傾けた。 「何だか、猛り狂っているような……そんな感じがするの」 「猛り狂ってる?……シルフが?」 「そう」 ニーナの言葉にシサーは考え込むような顔付きをした。 「何でまた?」 「まだ、よくわからない。キサド山脈を越えてもう少し砂漠に近付けば、何かわかるかも知れないけど」 「そうか……」 俺はシェインと交信した時に言っていたことを思い出した。 ―何か妙なことが起こっていそうなのでな。 確かに、そう言っていた。妙なこと、って何だろう……。 「まあ、行ってみるしかないな」 シサーが腕を組んで呟く。ニーナがこくりと頷いた。 まさか、『王家の塔』に近づくことも叶わないなんて、その時の俺はまだ知る由もなかった。 2006/04/23 |
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