■ 7 守りたい人 ■

 『王家の塔』のある風の砂漠へは、ギャヴァンから北東に向かう。ナタが、「魔法石がごろごろ落ちている」と教えてくれた、ヘイズの十字路を東に向かうと突き当たる険しい山キサド山脈を越えて向こう側に広がっているのだそうだ。
 俺たちは道沿いにゆっくり北東へ向かって進んでいた。時折、行商人らしい大きな荷を背負った旅人とすれ違う。
 レイアをつれたユリアとニーナは、くすくすと笑い合いながら少し前を行く。俺はシサーと肩を並べながらその後ろをのんびりと歩いていた。
 今日も天気は良い。こっちに来てから、総じて天気には恵まれていると思う。
 キサド山脈に続く道は左右が割と平坦な草原なだけあって、左手……北西の方角には遠くに浄化の森が見えていた。それが少しずつ移動していくのを視界の隅で見ながら、ピクニックにでも行くような気分で歩を進める。
 歩きながら俺は遭遇し得る魔物について、シサーに講釈を受けていた。聞いたからって何が変わるわけでもないけど、聞かないよりはましと言うか……心の準備が出来ると言うか。
「王都近辺は俄然ワンダリングモンスターが減る」
「何で?」
「王都を守備する衛兵や騎士に駆逐されるからな。騎士団とばったり遭遇でもしてみろ。あっと言う間に討伐される」
 それもそうか。
「それに、監視塔からは衛兵と魔術師が警戒していて、王都に魔物が近づけば即魔法が飛んで来る。神殿もあるし、浄化の森に魔物は入れない。まあ、住み良い環境とは言えないだろうな」
 まあねえ……オチオチ食事にも出られないよなあ……。
「全く出ないってわけにはいかないけどな、もちろん。圧倒的に減るってだけで。……それが、ヘイズ辺りまで王都から離れて南下すると少しずつ魔物も増えてくる。この辺りで出るのは、レオノーラ近辺のウォーウルフ、ウガルルム、ゴブリンに加えてホブゴブリン、コカトリス、ワイバーンなんかだな」
 言ってシサーはそれぞれの説明をしてくれた。
「……ドラゴンがさ、何匹かいるって言ってたじゃない?」
 まだ海に程近いこの辺りは潮の香りがしていて、ところどころに名前のわからない花が咲いていた。ぽつりぽつりと見られる大きな木が太陽の光を和らげるよう、風に揺れている。北の、遠くの方に、何だか鬱蒼とした森が少しだけ見えていた。
 ワイバーンと言う小型の飛竜の話を聞いて、昨日シサーが話してくれたことを思い出した俺が尋ねると、シサーは首肯した。
「ああ」
「遭遇することって言うのは、あるの?」
 シサーは鋭い目にからかうような笑いを浮かべて俺を見返した。
「気になるか?」
「そりゃ……まあ……」
 だってそんなもんに出て来られた日には、一挙にオダブツだ。いくらシサーが凄腕だつったって……。俺は役に立たないし。グロダールの時だって、禁軍5千名プラス傭兵部隊とギャヴァンの自衛軍がいたんだろ。
「ドラゴンは黒竜、青竜、緑竜、黄竜、白竜の5匹と言われている」
 俺の質問に直接は答えずにシサーは言った。俺も黙って聞く。
「ドラゴンは活動期と休眠期を繰り返す。休眠期の方が圧倒的に長い。その眠りは数百年とも数千年とも言われていて、今はその全てのドラゴンが休眠期に入っている。遭遇することは、まずない」
 良かったあ……。
「いつその眠りから覚めるかは誰にもわからんから何とも言えないが……仮に目覚めたとしても、ドラゴンはその住み処から大きく離れて活動することはまずない。ヴァルスに住むドラゴンはいないし、大丈夫だろう」
「でもじゃあ、グロダールはどうして」
 シサーは軽く肩を竦めた。
「さあな。ドラゴンの気持ちなんて俺にはわからんよ。……黒竜グロダールは元々ローレシアとラグフォレストの間を南下したところにある黒竜の島ヘルザードに住んでいた。活火山の島だ。眠りから覚めて、何を思ったかギャヴァンへ向けて北上して来やがったんだ」
「へえ……」
 腹でも減ったんだろーか、やっぱり。
「他のドラゴンはどこに?」
「白竜トラファルガーは氷の大陸フレザイルに住んでいる。これは氷竜だ。青竜リヴァイアサンはトートコースト大陸の南東アグナガイル諸島の海底。こいつは水竜。黄竜サンドストーンは俺の故郷ラグフォレスト大陸の北、砂漠のダンジョンに住んでいる地竜だ。緑竜イナラシュはトートコースト大陸の森の中に住んでいる。こいつは風竜だな」
「じゃあ、グロダールって……」
「火竜だ。ドラゴンブレスと呼ばれる強力な炎を吐いて飛び回る、とんでもなく迷惑な奴だぜ」
 迷惑とかそういう次元と何か話が違うと思う。
 風の砂漠に辿り着く為に越えなければならないキサド山脈のふもとにはリノと言う小さな村があると言う。今俺たちはそこをとりあえず目指していて、ギャヴァンからは5日ほどの行程だと言うことだった。つまり、野営を余儀なくされると言うことだ。
 ふわふわと風に揺れるユリアの髪を眺めながら、俺は再び口を開いた。
「風の砂漠ってさ」
 こちらに来てから1ヵ月以上が経過したとは言えまだわからないことだらけの俺は、とにかくこちらのことを出来るだけ知ろうと思っていた。努力をしなければ知識は身につかない。わからないことは聞くしかない。
「海沿いにあるんじゃないの?何で砂漠になっちゃったの?」
「海沿いにあるにはあるが、海と遮るようにキサド山脈がそっちまで広がってる」
 う。何てでかいんだキサド山脈。
「キサド山脈は標高もかなりあるから、西や南の海上から来る湿気を含んだ風は、暖かい気候も手伝ってこちら側で雨に変わり、山脈上方の冷えた空気で今度は雪に変わる。東側から来る風も同様だ。海側を廻る山脈に阻まれる。北側から来る風は逆に海上で温められて雨となって海に消え、乾いた風が山脈にぶつかって昇り切ることが出来ず、東から来る乾いた風と対流を起こしてぐるぐる回る。風が回れば土が定着しないから、結果として砂漠が出来上がる」
 シサーは旅慣れているせいか、いろんなことを良く知っていた。俺が問うことに対して言葉に詰まるということがあまりない。
「ふうん」
 風の砂漠と言うネーミングはその辺りに理由があるのかななどと思っていると、不意に視界の隅で白っぽい光が見えた。……シサーの剣が、正確にはシサーの剣に刻まれたルーン文字が光を放っている。
「……おいでなすったようだぜ」
 え?と思った時には、俺たちの上に陰が落ちていた。巨大な、飛行機のような形いや……爬虫類?そう思った時にはばさっと言う羽音が聞こえた。
「ワイバーンだッ」
 言うなりシサーは俺を突き飛ばした。自分も反対側に飛び退り、それと同時に腰の剣を抜く。一瞬後、さっきまで俺がいた場所を鋭い鉤爪が襲った。地面を抉り、激しく土を跳ね上げる。
「カズキ!!」
「えッ!?」
 咄嗟にどうすれば良いのか判断に困った俺に向かってシサーが怒鳴る。それに答えながら魔物の正体を見ようと顔を上げた俺は、思わず凍りついた。
 ひ、ひぇぇぇぇぇ……。
「ユリアを守れ!!」
「軽やかに踊る風の精霊シルフよ、その身を障壁の渦と変えよ。フェレンティース!!」
 シサーの声と、俺の背後からニーナの声が同時に飛ぶ。ふわり、と風が俺の周りを固めたのを感じた。防御魔法らしい。
 恐竜をイメージさせる巨大なトカゲに羽がついたようなそのイキモノは、シサーの剣を避けてふわりと体を舞い上がらせた。緑色の瞳と土色の鱗で覆われた肌、全長は3メートルかそこらあるんじゃないか?顔面を裂いたみたいなでかい口には剣山のような鋭い牙が覗き、その巨躯からすれば申し訳程度についている手には見合わない巨大な鉤爪が光っている。
 ひ、ひぃぃぃぃ……あんなもんが今し方俺に襲い掛かったのか?死んじゃうじゃん。
 ニーナがレイピアを抜いて、シサーを援護する為に駆け寄った。それを視界の中で認めながらついつい呆然とする。
 が、突き飛ばされたまま座り込んで、剣を翳すシサーとそのありえない恐ろしいイキモノに腰を抜かしかけていた俺は、はっと我に返った。
 そうだ、ユリア……。
 立ち上がって、後方で身を竦めるようにしているユリアに向かって走る。走りながらも膝が笑う。……怖すぎるって!!!!
「ユリア!!」
「カズキ……」
 ユリアは顔色が蒼白だった。胸元に手を寄せ、震えている。レイアがユリアを守るようにその顔の前に立ち塞がっていた。
「軽やかに踊る風の精霊シルフよ、心猛りし者の動きを封じ込めて!!ウィンクルム!!」
 呪文を唱えるニーナの声が耳に届いた。ワイバーンの獰猛な唸り声と羽音が背後から間断なく聞こえる。振り返るとシサーが飛び上がってワイバーンを切り付けたところだった。ワイバーンが恐ろしい雄叫びを上げる。その雄叫びだけで、恐怖に泣きたくなる。
 ……しっかりしろよッ、俺ッ……。
 俺には何も出来ない。何も出来ないんだからせめて、ユリアを安心させて……。
 ワイバーンがこっちに向かって来たらどうにもなんないけど、せめて精一杯の意地でユリアを背後に庇いながらシサーたちを見つめた俺は、必死で思考を巡らせた。
 本当に出来ることは何もないのか?何か、何か出来ること……。
 かたかたと震える全身に力を込めるが、却って痙攣しているようになるだけだ。全身の震えを押さえ込みながら考えを巡らせた俺は、はっとアギナルド老にもらった皮袋を思い出した。
 そう、俺は確か、魔法石を持ってる……!!
 思い出して、慌てて荷袋を漁る。焦って震える手がうまく動かず、なかなか見つけられない。ワイバーンはシサーの剣を受けてずたずたになりながら、咆哮を上げて上空へ舞い上がった。シサーの舌打ちが聞こえる。
(――あったッ……)
 魔法石の数は10個。何でもいい、とりあえず袋に手を突っ込んで石を掴み出す。出て来たのは紫の大きい石、効果は確か……。
「『風の斧』!!」
 シサーに注意を喚起すべく、叫んで石をワイバーンに向けて投げつける。ワイバーンに踊りかかろうとしたシサーが俺の言葉に身を引いた。魔法石が炸裂する。
「ギャアアッ」
 巻き起こった風がワイバーンの巨大な翼を切り刻んだ。凄い効果だ。ワイバーンの巨体を持ち上げる巨大な羽は、鋭い斧となった風に切り裂かれその役目を果たすことが出来なくなった。体を支え切れずに地面に墜落する。重い音が響き、地面が振動した。
 シサーがすかさず剣を振り翳して飛び掛った。墜落したワイバーンが、それでも態勢を立て直して鋭い鉤爪をシサーに向けて奮う。それを剣で受け止めるが、シサーの体が横に吹っ飛んだ。
「軽やかに踊る風の精霊シルフよ、その姿を刃に変えよ!!ウォラト!!」
「軽やかに踊る風の精霊シルフよ、その姿を刃に変えよ!!ウォラト!!」
 ニーナとレイアから同時に魔法が飛ぶ。ダブルでシルフの攻撃魔法を受けたワイバーンは全身にずたずたの傷跡を刻んでいた。再び、雄叫び。開いた口から鋭い牙が無数に並んでいるのが垣間見えた。シサーが踊りかかる。白く光を放つ剣が深々とワイバーンに突き刺さり、その巨体が盛大な地響きを上げて地面に叩きつけられた。
「っしゃあ、終了っと……」
「ちょっと手際が悪かったわね」
「うるせぇ」
 ずしーんと言う音と、シサーがとんっと軽く地面に着地する音が重なる。思わず固まったままその一連を見つめていた俺は、痙攣しているみたいだった全身の震えが次第に収まっていくのを待った。
 心臓は、未だばくばくだ。既に命尽きたワイバーンの死体が崩れ落ちている、それを目にするだけで背筋を恐怖が這い上がる。
 こ、こ、怖すぎる……。
「……ユリア」
 引きつった顔でそれを見遣り、それからはっと思い出して背後のユリアを振り返った。真っ青な顔で目に涙を浮かべたユリアは、先ほどの俺以上に激しく震えている。
「ご……ごめんなさ……」
「え、何で」
 何を謝られておるのか俺は。
「わ、わたしだけ、何も……何も出来なくて」
 俺だって別に大したことをしちゃいない。言っちゃナンだが石を投げただけだ。
「……は、初めてだから、ま、魔物……見たの……」
「え!?そうなの!?」
 俺の問い返しに、ユリアはこくりと頷いた。まだその顔色は青褪めている。本当に深窓の令嬢なんだなあ。この世界の住人で魔物を見たことがないのって稀有なんじゃないだろーか。
 細い肩を震わせるユリアの姿に、少しだけ、保護欲が刺激される。
 ……怖い思いを、させたくない。
「俺……」
「え?」
「……」
 口から出そうになった言葉を、飲み込んだ。ユリアが言葉の続きを待って目を瞬く。
 ……強く、なりたい。
 ユリアに、怖い思いをさせることがないよう。
 俺が守ってあげるからなんて偉そうなこと、今はまだ、言えないけど。
「何……?」
 儚い掠れた声が、俺の心をくすぐる。
「……何でもない」
 まだ全然頼りないのはわかってる。シサーがいなかったらどうなったことだろう。でも、シサーがいないんじゃどうにもならないんじゃ……駄目だ。ユリアと一緒になって震えてるんじゃ、話にならない。俺自身がちゃんと、強く、ならなくちゃ。
 思いながら、ワイバーンの死体を振り返った。背筋をぞっとするものが這い上がるのは否定出来ない。
 でも、守りたい。
 俺が、守ってあげたい……。
「ユリア、大丈夫?」
 不甲斐ない自分にそっと唇を噛んでいると、シサーと共に後ろを歩いていたニーナが駆け寄ってきた。ユリアが小刻みに頷く。
「その顔色じゃ、大丈夫じゃないみたい。……安らぎの乙女ドライアード、怯える者に安らぎを与えよ。コンコルディアー」
 ニーナが優しく呪文を唱えると、青褪めていたユリアの顔色が戻って来た。かたかたと小刻みに震えていた体も落ち着きを取り戻している。
「……あ」
「どう」
「もう、大丈夫。……ありがとう」
 ユリアの言葉にニーナはにっこりと微笑んで応えた。
「何、したの?」
「ドライアードは森の乙女であると同時に安らぎの精霊。ユリアの心に安らぎをもたらすよう魔法をかけたの」
「そんなことが、出来るんだ……」
 凄いな、魔法。便利だな。
 シサーとニーナは頼りになる。それは、確かだ。
 でも、じゃあ、俺は?
 俺はこのまま、シサーとニーナの庇護に甘んじて、ユリアと一緒に守ってもらって、それで、いいのか?
(強くならなきゃ)
 ひとりじゃない。少なくとも、シサーとニーナがいる。怖いと思う気持ちがあるから、動きが制限される。……恐怖を跳ね除けなきゃ、俺はいつまで経っても、ユリアを守ってやれることなんか出来やしない。
 ぎゅっと目を瞑った。
 ひとりで戦うわけじゃない。剣の使い方さえ覚えれば、俺は、運動神経だって悪くはない。
 ……怖がるな。

          ◆ ◇ ◆

 魔物と戦闘した後は、その屍肉の臭いを嗅ぎ付けて他の魔物が寄って来ることがあると言う。
 速やかにその場を離れることにして再び北東へ向けて道をゆっくり歩きながら、俺は隣を歩くシサーを見上げた。
「シサー、ありがとう」
「へ?」
 俺の言葉にシサーは目を丸くした。
「助けてくれて」
「どうせやらなきゃ俺だってやられちまう」
 くっくっと笑いながら言うシサーに、俺は首を横に振った。
「最初、突き飛ばしてくれなかったら俺、簾になっちゃうとこだったし」
「ああ、それか」
「うん。……シサーの剣、光ってたね。何か、あるんだ?」
 頷いて目線をシサーの腰から下がった剣に注いだ。今は光も姿を消し、ひっそりと鞘に納まっている。
「ああ……魔剣なんだ、こいつは」
「え!?」
 噂の?
「『グラムドリング』と言う魔剣さ。魔物が近付くと、刀身に刻んであるルーン文字が光って告げる。切れ味も一気に増す」
「へえ……」
「エルヴンソードの1つだ」
 エルヴンソード?
 俺が目をぱちくりさせてシサーを見つめると、シサーはグラムドリングを抜き放った。光を受けて反射するその刀身には、文字が刻まれている。
「その昔、仇敵ゴブリンを倒す為にエルフの鍛冶屋が鍛えた剣のことを総称してエルヴンソードと言う。人間界にあるのはほんのわずかだが、そのうちの1本をたまたま手に入れることが出来た」
「へえ……そうなんだ」
 またひとつ賢くなってしまった。
 ただただ草原が広がるこの辺りは、所々に小高い丘や岩場などの起伏もあるけれど総じて見晴らしは悪くない。左手の遥か遠くに見えていた浄化の森がかなり後方まで下がった頃にはすっかり日が落ちていた。
「……どうするの、今夜」
「もう少し行くと小高い丘がある。斜面にちょっとした窪みもあってぱっと見、姿が見えない。丘のてっぺんからは、ま、大した高さじゃないから言うほどじゃねえけど平地よりは見晴らせるしな。そこまで行って野営をしよう」
 シサーの言う小高い丘はすぐに見付かった。そこを上りきると反対側の斜面に窪みがあり、右側に折れ曲がっているので外からはすぐには姿が見えない。奥がそれほど深いわけでもないから、何か魔物の巣穴とかそういうのを警戒する必要もなさそうだった。
「今日は食料になりそうな小動物とは遭遇出来なかったからなあ。携帯食で我慢するっきゃねーか」
 窪みに荷物を下ろし、シサーが伸びをした。
「カズキ、枝を集めに行こう。一緒に来い」
「あ、うん」
「ニーナ、ユリアを頼むぞ」
「任せて」
 シサーについて丘を来た方向とは反対側に下る。遠くに真っ暗な海が見えた。
 こっちの世界は俺の世界と違って人が多分少ない。魔物と言う、生態系で人間を捕食する生き物がいるせいでどんどん増加することが出来ないのかもしれない。街も、土地の割りには多くなく、明かりもあるわけじゃないから街や村の間はひたすら暗く闇に支配されている。
 丘を離れて少ししたところにある灌木の生い茂る茂みに入り込み、潅木に混ざって生えている背の高い木の間を縫って落ちている枝を探す。
「魔物に気をつけろよ」
「うん……」
 気をつけるってこの場合どうすれば良いんだろう。
 黙々と枝を拾いながら、ぼんやりとさっきのシサーの戦いを思い出していた。鍛えられた戦士ならでは、とても言うんだろうか。無駄のない動きをしていた。相手を見据える目線。反射的に体を動かす神経。
 慣れ、ってのは、あるだろう。でもそれだけじゃあユリアを守れない。俺が克服しなきゃならないのは、まず、恐怖だ。
 見たことのない生き物に対する恐怖。命を脅かされる恐怖。その全てが、俺の動きを封じ、視野を制限する。
 このまま、シサーたちに甘んじてたって何とかなるんだろう、きっと。だけどそれじゃあ、嫌だ。じゃあ、どうすればいい?
「カズキ」
 そんなことを考え込んでいて、俺はシサーが俺のすぐそばにいることに気が付かなかった。魔物に気をつけるも何もあったもんじゃない。密やかな声で呼ばれてはっと顔を上げると、シサーが静かに、と言うように人差し指を自分の口に当てた。
「え?」
 つられて俺も小さな声で問い返す。シサーは体を屈めろと言うような仕草をして自分もその場に片膝をついてしゃがみ込んだ。
 ……?
 わけもわからず、拾い集めた枝を落とさないようそっとしゃがみ込む。見ると、シサーの視線は潅木の茂みの向こう、もう少し高い木々が生い茂った海際の絶壁の方へ注がれていた。俺もそちらに目を向ける。息を飲んだ。
 ともすれば木々に隠れてしまいそうな小さな体。暗がりで詳細は良くわからない。けれど、つるっとした感じの頭に大きな尖った耳、そして暗闇の中でぎらぎらと光る目だけが見えた。……何だ、あれ……。
 心臓が、どきどきした。ぞわーっと全身に鳥肌が立つ。考えているそばから、この恐怖だ。克服することなんか出来るんだろうか。シサーは冷静そのものの顔で魔物を見据えている。
「ゴブリンだ」
 ゴブリン……。
 数えてみると、6人……いや、6匹だ。何かごちゃごちゃと得体の知れない言葉を吐き出しながら、がさがさと茂みの間を縫って行く。じっと息を殺して、その背中が遠ざかって行くのを見つめていた。手に汗が滲むのが、わかった。
「……もういいだろう」
 やがてシサーがぽんと俺の肩を叩いて立ち上がった。笑顔を俺に向ける。
「あれが噂に名高いゴブリンだ」
「……強いの?」
「いんや?大したこたぁねぇけどな……集団になってることも多いから、見付かるとちっと面倒だ。耳も良ければ鼻も良い。目は大して良くねえが。ついでに言えば、しつこい。小賢しいから武器に毒を塗りつけてたりすることもある」
 けろっとした顔で苦笑する。その余裕な姿を見て、俺ははあっとため息を落とした。俺は全身に鳥肌が立ったって言うのに……。
 シサーと共に枝を抱えて丘に戻り、火を焚いて野営の準備をした。ギャヴァンから持ってきた干し肉とパンを火で炙っただけの簡単な食事だったけど、1日中歩いていたせいかひどく美味しく感じる。
 やがてニーナとレイア、そしてユリアが窪みに潜り込んで眠ると、俺はシサーと2人で黙って焚き火の火を見つめていた。時折シサーが棒で火が消えないように調整しながら枝を足す。どこかで虫が鳴いていた。
「……お前も寝ていいぞ」
「でも……」
「明日も1日歩きだ。休んでおける時に休んでおかないとキツくなる」
「……うん」
 膝を抱えてぼんやりと炎が揺れるのを眺めていた。レオノーラを発って初日のウォーウルフ、そしてさっきのワイバーン、ゴブリン。
「……シサー」
「あん?」
「俺に、剣の使い方を教えてくれないかな」
「……そりゃあ構わねえけど」
 言って、また小さな枝を放り込む。パチパチと枝の爆ぜる音の間を縫って、時折遠くから波の音が聞こえてきた。潮の香りこそもうしないけれど、風が音だけを運んで来る。そのくらいの、距離。
 黙って慣れるのを待っているんじゃあ、進まない。
 ユリアを、守りたい。
 特別な感情とかそういうんじゃなくて、そうじゃなくて、女の子のひとりくらい守れないんじゃあかっこ悪いだろう。
 ……そう、別にそれは、特別なことじゃない。
 怖い思いを、させたくないだけだ……。
「……ユリアに、怖い思いをさせたくない」
「……」
 ぽつっと小声で落とす俺に、シサーが無言で目を丸くした。
「ふ、深い意味があるわけじゃない。そういうのじゃ、ないけど……」
「……」
「……情けない」
 同年代の男にだったら、言えなかったかもしれない、こんなこと。
 圧倒的に俺より頼りになり、優れていると思えるから、素直に負けを認められる。そうじゃなきゃ、こんなこと、言えるかよ……。
 しばらく、シサーは答えずに黙っていた。時折、ぱきんと枝を追って火の中に放り込む。
「……ラグフォレスト大陸のな、シュートって小さい町があるんだよ。一応港町なんだけどな」
「……?うん」
 やがて、シサーが口を開いた。唐突に話が始まったような気がして、とりあえず曖昧に頷く。顔を上げると、焚き火の炎がシサーの精悍な顔を照らして揺れた。深い陰影を落とすその顔には、何の表情も浮かんでいなかった。
「俺はそこで育った。小さな町だけれど、商人の多い町でな。俺の家も例外じゃなく商人の家だったんだ」
「へえ」
「それも結構裕福な家で……兄貴がいるんだよ、俺には」
「うん」
 言われて、ふと自分の弟を思い出した。6歳も年下の拓人。えっらいブラコンな弟で、俺の後ばっかりついて来てはすぐに俺の真似をしたがる奴で。でも……可愛くて。
 どうしてるだろう。俺がいなくなって、泣いたりしていないだろうか。
「これがまた優秀な兄貴なわけだ。裕福な商人……ま、商家って言うんだけどな、商家の人間の考え方では、身は自分で守るものじゃない。金で雇った人間に守らせるものなんだ」
 つまり金持ちなわけだ。豪族とかそういう感じの考え方で良いんだろーか。
「俺には、合わなくてな。……何か飲むか」
 微かに顔を俯けて苦笑したシサーの横顔が寂しげに見えたのは、俺の気のせいか……?語調を一転して水筒の水を小さな鍋に注いで火にかけシサーの顔は既にいつも通りだった。
「うん。ありがとう」
「それで家を飛び出したは良いが、こっちはそれまで学校に放り込まれてお勉強しかしちゃいねえ」
 ……学校で勉強ばかりしているシサーと言うのも想像がつかない。
「剣なんか一度だって触ったことなんかなかったんだ。……今のお前さんと、一緒だ」
 ……あ。
 目を見開いて、動きを止める。
 どうしてシサーが突然こんな話を始めたのかが、わかった。俺の気持ちを汲んでくれてるんだ。
「何をして良いのか、全然わからなかったな。……俺が強くなったのは多分……」
 シサーはそこで一旦言葉を切った。視線を窪みの方へ向ける。
「ニーナと出会ってからだ」
「……」
 意味するところを掴みかねて、俺はシサーを見返した。窪みからこちらに視線を戻して口元に笑みを浮かべる。
「出会った頃、あいつは俺なんかより遥かに戦い慣れしててな。傭兵稼業を始めて半年したくらいか。まだまともな戦闘なんかろくに体験しちゃいなかったし、ニーナはエルフとしてはまだ若くてもこっちに比べりゃ何倍も生きている。生れついてのエレメンタラーって要素もある。経験値が全然違ったんだよな」
 コトコトと言う音が聞こえてきた。火にかけた鍋の中で、小さな泡が無数に生れては消えていく。
「けど、悔しいんだよ、これが」
「……うん」
 その気持ちは痛いほどわかるので、素直に頷いた。
「守りたいと思う人が出来た時、強くなれるんだと思うぜ」
「……」
「尤も、思うことが強くするわけじゃねえけどな。そんなことで強くなれるんだったら、誰だって苦労はしねえんだよ。そう思えば、強くなるよう努力する。それが人をあらゆる意味で強くする。綺麗ごとじゃ、ねぇと思うぜ、俺は」
 さっきよりも激しく大きな泡を幾つも生み出しては消えていく、鍋に沸いたお湯を取り上げて、食事の時に使って置かれたままのカップを手元に引き寄せた。カップにお湯を注ぐと鍋を地面に置き、荷袋の中から小さな布袋を取り出す。中には乾燥させた植物の実が入っていて、それをお湯に溶かすとコーヒーに近い味がすると言うことを、俺はギャヴァンで知った。コカの実、と言うらしいんだが。
「大切な人を守る為に、自分が強くなれ」
 カップのひとつを俺に手渡しながらシサーが続ける。受け取って礼を言うと、コカの実の芳ばしい香りが鼻腔を刺激した。
 大切かどうかは、今の俺にはわからないけど……だって俺にはまだ、ユリアのことも良くわかっていない。
 ただ、突き動かされる。
 泣かないで欲しい、怖い思いをさせたくない。
 ……ただ、それだけ……。
 鍋を火から下ろしてしまったので、再び辺りには静寂が訪れていた。虫の密やかに鳴く声だけが、まるでBGMのように闇を支配している。
 不意に風が吹いて、木々の葉が擦れ合うざざっと言う音が聞こえた。炎が揺れる。俺の髪も風を受けて軽く舞い上がった。
「俺……」
 カップを両手で持ったまま、口を開く。視線は揺れる炎に注いだままだったけれど、シサーの視線が俺を捉えているのを視界の隅で感じた。
「何が、出来るような特別な人間じゃ全然なくて。今もそうだけど、元の世界でもそうで」
「……」
「シェインとかシサーとか、凄く優れてるんだって俺でも見ててわかるから、羨ましいってのは正直思うけど。でもそうやって上見て憧れて指咥えて見てるだけじゃ、全然駄目だから……。これまでの苦労を、いきなり俺が今日明日で突然追いつけるわけないし」
 シサーが静かにカップを口に運ぶ。
「いきなり上見て、なりたいったってなれるものじゃなくて……じゃあ、俺が今。出来ることが何なのか……それからやってけば、いつか必ず、自分のなりたい自分に近付いていけるはずだから」
 言って俺はシサーを見てちょっと笑った。
「俺の世界にね、『千里の道も一歩から』ってことわざがあるわけ」
 きょとんとシサーの銀色の瞳が俺を見る。
「どんなに長い道のりでも、一歩一歩進んで行けば良くて……その第一歩を踏み出さなきゃ、ゴールにたどりつくことは出来ない」
「良い言葉だな」
「うん。……俺に、どれだけ何が出来るのかなんて、今の俺には全然わからない。何も、出来ないかもしれない。だけど、ユリアが泣くのを見たくない。怖い思いをさせたくない。……出来ることなら……」
 守って……。
「……」
「……努力、するから」
 そう簡単には、どうにもならない。
 それは知ってる。
 だけど俺はひとりじゃない。手を貸してくれる人がいる。教えてくれる人がいたって、学ぼうとしなきゃ何も俺の身にはつかない。
「俺、努力するから。だから……俺に、戦い方を教えて下さい」
 シサーの口元に笑みが浮かんだ。
「明日から特訓だな。俺はスパルタ教育だぜ?」
 ……またスパルタなの?
「俺が、お前を強くしてやる」
 シサーの言葉に被せるように、一際大きな音で火にくべられた枝がパチンと爆ぜた。

          ◆ ◇ ◆

 レオノーラの街をやや南西に下ると、海沿いにファーラ大神殿がある。
 広大な庭には聖典に登場する天使たちを模った像が置かれ、良く手入れの行き届いた木々や植物が風に揺れていた。
 神殿の白い大理石の壁も磨き抜かれていて僅かな汚れもない。
 正面に開放された扉から入るとそこはすぐに大聖堂になっている。扉に入らずに、廻らされた回廊を歩いて行けば、聖職者たちの住まう神殿内部に入ることが出来た。大の男が2人で腕を回しても抱えきれないほどの太さがある神殿内部の連立する柱の間をラウバルは奥へと進んで行く。大聖堂の奥、祭壇の正面にこちら側に背を向けるようにして立っている老人が振り返った。
 長身のラウバルに比べれば圧倒的に小柄なその体は、質素だが凝った刺繍が施されている白いローブに包まれている。頭にはローブとお揃いのつばのない帽子を被り、丸い顔には穏やかな表情が浮かべられていた。大司祭ガウナだ。それなりに高齢とは言え、背筋は伸びており緩やかな動きはしかし矍鑠としている。
「どうなされた」
 人の良さそうな小さな目を細めたまま、問う。ラウバルは少し離れた位置で足を止めると、会釈をした。
「お耳に入れておいた方が良いかと思いまして」
「何か、あったのですか」
「いえ、まだ。……ただ、戦争になるかもしれません」
「戦争……」
 ガウナが痛ましい色を目に浮かべ、そっと伏せた。
「また、多くの者が命を落とすのですね……」
 ラウバルがそっと顔を横に振る。
「確定したわけではないのですが。……ちょっと、不穏な動きを感じておりますゆえ」
「不穏な動き……」
 頷いてラウバルは祭壇の前に歩を進めた。ファーラ神の壮大な像がそこに祀られている。
 ファーラ神は、人を慈しみ、愛するよう説く美しい女神だ。だが、戦いの女神としての側面も持っている。相反する2つの顔を持つのだ。複雑なその多面体は、まるで人のようだと思う。
 ガウナもラウバルに従い、ファーラ神に目を向けた。しばらく黙して神に祈りを捧げる。
「まだ調査中のことゆえ、はっきりとは申し上げられませぬが……『王家の塔』に向かったと言う奇妙な一団を目撃したと言う情報が」
「奇妙な一団……」
 ガウナが微かに目を見開く。
「詳細を確認する為に、『王家の塔』へ人を派遣しました。まだ、報告は得られてはおりませんが……別ルートから得た情報ではロドリス王国に妙な賓客がいるとの話も」
「賓客、ですか」
「ええ」
 いずれも詳細はまだ不明だ。決定的などんな出来事があるわけではない。
「全身黒ずくめの……ローブで身を包んだ魔術師だとか」
「特徴は」
 黒ずくめの魔術師など、挙げていればきりがない。それだけでは『妙な賓客』とは言えないと判断したガウナが更に問う。
「……大きな黒い石を先頭に掲げたロッドを持っている、との話です」
 低く言ったラウバルに、ガウナが身動ぎした。驚愕の色が浮かんでいる。
「まさか……」
「……やもしれぬ、と考えてはおります」
 ガウナが飲み込んだ言葉を正確に把握してラウバルは肯定した。
「……やつだとすると、レガード様は……」
「滅多なことをおっしゃるものではありません、ラウバル」
「……は。失言でした。お忘れ下さい」
 柔らかな叱責にラウバルは表情を変えずに謝罪した。
「『青の魔術師』も、何を考えておるのかわからぬ男ゆえ……」
 ラウバルが言いながら顔を横に振った。長い銀髪が揺れる。正面に祀られた像に視線を戻した。
「奇妙な考えを起こしていなければ良いのですが」
 ファーラ神は、何も言わない……。







2006/04/23
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