■ 19 風の砂漠〜ダンジョンU〜 ■

「シサー!!シサー!!シサー!!」
 気が狂わんばかりの勢いでニーナがシサーの名を呼び続ける。俺たちもウィル・オー・ウィスプのそばに駆けつけたが、近付いたからって状況は何も変わらなかった。そこにいるはずの姿はやはりどこにもなく、半狂乱のニーナがいるばかりだ。
 心臓が、早鐘のようだった。背中を冷たい汗が伝わり落ちる。
 ……どこへ行ったんだよ!?
 魔物と遭遇したわけじゃあ、ないんだろう。この程度の距離、これほどの静けさなら、シサーが戦う物音くらい俺たちのところまで響いて来てもおかしくない。
「ニーナ!!」
 俺の隣で青ざめた顔をしていたキグナスが、不意に鋭い声を発した。
「騒ぐな!!耳の良い魔物が集まってきたら、俺たち一網打尽だ」
「……!!」
 戦慄した。
 その一言は、衝撃で状況判断がつかなくなっていた俺に、今置かれているのがどういう状態なのかを理解させるには十分だった。
 シサーと言う強力な攻撃力を失った現在、見習いのソーサラーと初級プリースト、そして剣を握っていくらも経たない俺と言う限りなく頼りないメンバーだ。ニーナが唯一レイピアも下級精霊も使いこなし戦闘慣れしてるとは言え……上級精霊を使役するわけでもないし、細腕の彼女1人でどうなるものでもない。身軽なエルフであればこそ、ニーナだけなら敵前逃亡が可能でも、俺たちはそう言うわけにもいかない。
 ふと見てみれば、ウィル・オー・ウィスプと『導きの光』の前後3メートル以降は暗闇で塗り潰されている。天井と床の区別すらつかない、深遠の闇。それがひたすら前にも後ろにも続いているのだ。
「とにかく、ここを少し探ろう。落とし穴とか隠し扉とか……何か、そう言うのがあるのかもしれない」
 震えそうになる声を努めて平静に保って提案する。それに従って、しばし沈黙のまま壁や床を探った。円形ホールから続くこの通路はそれまでとは違い、狭いのは入り口だけで通路そのものは幅が2メートルちょいくらいある。天井の高さも、3メートルくらいはありそうだ。けれど外れそうな床も壁もなく、もちろん脇道があるわけでもないから、ここでシサーが忽然と姿を消したとしか考えられない。
 ……馬鹿な。
 気になったことと言えば、やはり壁に例の石が埋め込まれていることだけれど、少なくとも俺が見ている間は点滅するようなこともなく、光を失ったままで沈黙していた。……やっぱり、関係ないのかなあ、この石。
 カツ、カツ、カツ……。
 石を見詰めてぼんやりと考え込んでいた俺の聴覚に、足音が飛び込んで来た。まるで騎士が甲冑を身に纏って歩いているような硬い音。それと共に、鎧が触れ合うようなカチャカチャ言う金属質の音が聞こえる。
「敵だ……」
 全身が総毛立った。俺たちが元来た道、その、黒以外視覚に何も訴えかけない空間の奥から響いて来る。全身を闇色の甲冑に包んだ騎士の亡霊が、鋭い剣を振り翳して追ってくる姿を思わず幻視した。
「に、逃げましょう」
 ユリアが震える声で言う。それを合図としたわけでもないだろうが、俺たちは走り出していた。進む先もひたすら闇でしかなく、突如そこに異形のものが姿を現したとしたっておかしくない。足元にはトラップが仕掛けられているかもしれない。けれど速度を緩める気にはなれなかった。後を追う足音は続いている。……いや、むしろ相手も速くなってる!!
 カッカッカッカッ……。
 全力疾走しながら、同じく走り出したらしい背後の魔物がどこから現われたのかを考えていた。続く先は俺たちがいた円形ホールだ。あそこには当然魔物なんかいなかった。5本の通路のうち、他の4本のどれかから移動して来たのかもしれない。それとも、ここに来るまでにどこか脇道があったろうか。……駄目だ、思い出せない!!
 カッカッカッカッ……。
 いつの間にか、無意識のうちに剣の柄に手を掛けたまま走っていた。今、魔物に直接攻撃を加えられるのは基本的には俺かニーナだけだ。ニーナは、動きは速いけど力があるわけじゃない。俺は動きも力も大したことない。つまり物理攻撃にはそれほど頼れない。魔法攻撃がほとんど効かないようなやつもいると言う。そんなのに遭遇したら、アウトだ……ッ。
 通路はひたすら真っ直ぐ続いていく。迷うこともないけど、背後の敵から行方をくらませることも出来ない。息遣いが荒くなる。けれど不思議なことに流れるのは冷たい汗ばかりだった。
 カッカッカッカッ……。
 背後の通路からの足音は、物凄い勢いで俺たちに迫って来ていた。俺たちの走る速度より、圧倒的にあっちの速度の方が速い。暗くて見えないけれど、多分もう肉迫してる勢い……ッ。
「!?」
「嘘だろッ!?」
 キグナスが悲鳴のような声を上げた。前方の暗がりからも何か、物音が……ッ。
 これ以上突進するわけにはいかない。俺たちは足を止めて前方の暗闇を見据えた。柄に掛けたままだった手を引き、剣を抜き出す。指先が震えた。
 ぺた、ぺた、ぺた……。
 どこか柔かさのある足音が近付いてくる。それに伴って、フウゥーッ……フウゥーッ……と、荒い息遣いが聞こえた。背後から近付く足音も変わらず接近してくる。
(――!?)
 あれ?後方の足音……さっきと、何か違くないか?ひたひたと言う、足が地を蹴る軽い音と、それと合わせて床に爪がぶつかるような「ちゃっ、ちゃっ……」と言う硬い音。まるで追ってくる魔物そのものが一瞬で入れ替わったかのようだ。しかも先ほどより遠くから響いてくるように感じる。とは言え確実に近付いているので……だからどうしたって話だが。
 剣を握り締めた手に、じっとりとした汗が滲んだ。キグナスも俺の斜め後ろでロッドを構える。
――来た!!
 ウィル・オー・ウィスプの仄かな明かりが有効な範囲に、筋骨逞しい太い足がまず見えた。人の足のような形。だが、寒気を誘ったのはその肌だ。灰色にくすんだその肌はうろこ状のものでびっしりと覆われている。
「アモル・オムニブス・イーデム。我らを守りし偉大なる女神ファーラよ。汚されし者の邪悪な手を清めたまえ」
 ユリアの防御魔法が俺たちを包み込んだ。
 剣を構えた俺の目の前に現れたその人型の全身を見た瞬間、背筋を寒気とも恐怖ともつかないものが駆け上がる。身長こそ俺と大差ないか低いくらいではあるものの、むき出しの肩や胸はがっしりとした筋肉が浮き出ていた。もちろんそれも、灰色のうろこ状のもので覆われている。そしてその頭部、窪んだ、うつろな眼窩には目玉がない。黒くぽっかりと穿たれた穴が吐き気を誘った。
 何かの皮を剥いだような、血をこびりつけたものを腰に巻きつけ、やはりごつい筋肉質の手にはモルゲンステルンと言うメイスが握られていた。頭に棘が生えた球形のものをくっつけている金属製の棍棒だ。鎖で鉄球が繋がっているモーニングスターとは違い、直、棒にくっついているので飛距離があるわけじゃないけど……こんな狭い空間でそんなことは、何の救いにもならない。
「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、ダテ・エト・ダビトゥル・ウォービース・イグニス。『火炎弾』!!」
「光を与えしウィル・オー・ウィスプよ!!その身を裁きの矛と変えよ。ポエブス!!」
 キグナスが『火炎弾』で先制攻撃を仕掛けた。続けてニーナが魔法を発動させ、それを受けて魔物がよろめく。俺は地を蹴って斜めに構えた剣を振り翳した。
「くッ……」
 だが、メイスが横薙ぎに払われ、弾き返される。壁に吹っ飛んだ俺は背中に鈍い痛みを感じ、片目を顰めながら跳ね起きた。魔物が眼前に迫ってくる。振り上げたメイスを俺目掛けて打ち下ろした。辛うじて紙一重の差でそれを避ける。俺の顔のすぐ横、モルゲンステルンがめり込んだ壁からパラパラと煉瓦の粉が落ちた。
「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、ナートゥーラー・ドゥーケ・ヌンクァム・アベッラービムス。『風の刃』!!」
「『風の斧』!!」
「類稀なる知恵者ノームよ、悪しき者に大地の制裁を!!ダレ!!」
 立て続けに魔法、魔法石が投じられ、魔物が咆哮を上げる。怒り狂ったように腕を振り上げ、壁を打ち砕いた。痛みで混乱しているのか、幸い俺に当たったものはひとつもなく、腕を振り上げる隙を縫って剣を払う。
「ウガァァァッ」
 深く切りつけられた脇腹から鮮血が迸った。再度、俺に向けて腕を振り上げる。
 ニーナがレイピアを抜いて、その背後から斬りかかった。振られたメイスを避けきれずに、俺は今度は先ほどよりもろに肩に受けて吹っ飛ぶ。壁に激突した時に気が狂いそうな痛みが突き抜けた。メイスの先端の棘が服を突き破り、肉を抉って、血がどくどくと溢れ出す。
「カズキ!!」
「くッ……」
 壁から崩れて呻く。どっか折れたのかもしれない。痛みが脳に向けて突き抜ける。
「アモル・オムニブス・イーデム。我らを守りし偉大なる女神ファーラよ。その下僕に深き慈愛をもって癒しを施したまえ」
 駆け寄ったユリアが回復魔法を掛けてくれた。
「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、ダテ・エト・ダビトゥル・ウォービース・イグニス。『火炎弾』!!」
 その間に、身軽に相手の攻撃をかわしながらレイピアで攻撃を仕掛けるニーナをキグナスが援護する。
「さんきゅ」
 ふわりと優しい空気に包まれて癒された痛みに、笑顔と礼を投げかけ、俺は再び剣を掴んで立ち上がった。だが次の瞬間事態は絶望的になった。
「ガァァァァッ」
 喉の奥から叫んでいるような掠れた咆哮が聞こえた。さっきの魔物じゃない。背後だ。――追いつかれた。
「ちッ……ヘルハウンドッ……」
 振り返ったキグナスが舌打ちをする。すかさずユリアが魔法石を投げた。
「『ノームの手』!!」
 地から突如湧いて出る茶色い蔦のようなものに四肢を絡め取られたのは、1メートルちょいくらいの大きさの赤錆びたような毛色の犬だった。血のような色の瞳に獰猛そうな光を滲ませてこちらを睨みつけている。開かれた口から覗く鋭い牙も舌も、その全てが黒く、だらだらと涎を垂らしていた。
「きゃんッ」
 ニーナの悲鳴が聞こえる。最初の魔物の腕に振り飛ばされたのだ。
「カズキ!!ヘルハウンドはこっちで何とか足止めしとく!!グリムロックを先に片付けてくれ!!」
 最初の魔物はグリムロックと言うらしい。
「わかった!!」
 短く返事を返して、ニーナに向かってメイスを振り上げるグリムロックの背後に斬りかかった。
「光を与えしウィル・オー・ウィスプよ!!その身を裁きの矛と変えよ。ポエブス!!」
 素早く呪文を唱えたニーナの魔法『光の矢』と俺の剣が同時に襲い掛かる。
「グァァァァッ」
 身を捩ってグリムロックはメイスを取り落とした。咄嗟にそれを蹴り飛ばす。武器を失ったグリムロックに再度剣を振り翳したその時。
「きゃあッ」
「くぉッ」
 背後からユリアとキグナスの悲鳴が聞こえた。それと同時に熱風が吹き付ける。グリムロックに向けたままの視界の隅で、床を舐めるように炎を掃射するヘルハウンドが見えた。……が、最優先課題はグリムロックだ。こいつを倒さなきゃユリアたちのフォローにも入れない。
 もがき、のた打ち回るグリムロックの背中に、垂直に振り翳した剣を突き刺す。正面からもニーナがレイピアを付きたてた。血の噴水。満身創痍だったグリムロックは、口からも血の泡を吹き出しながらその場に崩れ落ちた。それを確認してユリアとキグナスの方へ向けて駆ける。
「大丈夫かッ!?」
「光を与えしウィル・オー・ウィスプよ!!その身を裁きの矛と変えよ。ポエブス!!」
 背後からニーナの魔法がヘルハウンド目掛けて放たれた。『ノームの手』の効果が切れ、ヘルハウンドは強靭そうな四肢のバネで地を蹴りつける。『光の矢』を避けるとキグナスに向かって飛び掛った。
「キグナス!!」
 くッ……間に合わないッ。駆けながらポケットに手を突っ込み、魔法石を取り出した。青の小石。
「『氷の矢』!!」
「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、グッタ・カウァト・ラピデム・ノーン・ウィー・セド・サエペ・カデンドー。『氷弾』!!」
 俺が魔法石を投げつけるのとほぼ同時に、キグナスの魔法が完成する。氷の礫と矢を同時に全身に浴び、ヘルハウンドの体が横っ飛びに吹っ飛んだ。壁に叩き付けられる。だが、すぐさま跳ね上がって四肢を踏ん張った。開けられた口。
「来るぞ!!」
 炎の掃射だ。
「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、オムニア・エウント・モーレ・モドークウェ・フルエンティス・アクウァエ。『水膜』」
 キグナスが起き上がりながら水系の防御魔法を完成させた。次の瞬間視界が赤く染まる。
「くぅッ……」
 咄嗟に片腕で顔を庇う。キグナスの魔法がぎりぎり滑り込んだおかげで何とか火だるまにはならずに済んだものの、熱くないわけじゃない。いや、熱い。俺たちを包み込む『水膜』が散らしきれなかった炎で、ちりちりと腕が灼けるような感じがする。
「『氷弾』!!」
 ユリアが魔法石を投げつける。レイピアを抜き放ったニーナが斬りかかった。俺も剣を握って駆ける。ヘルハウンドが跳んだ。
「ユリア!!」
「ユリア様!!」
「きゃあッ」
 太い前足をユリアに向かって薙ぐ。腰の辺りに受けて、ユリアの華奢な体が壁に叩き付けられた。防具に丁度当たったせいで、爪による裂傷は免れたみたいだけど、壁に激突したその衝撃で息が出来ないようにむせている。
「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、ナートゥーラー・ドゥーケ・ヌンクァム・アベッラービムス。『風の刃』!!」
 キグナスの声にかぶせるように、俺はヘルハウンドに突っ込んだ。再度跳躍したヘルハウンドは真っ直ぐ俺に目掛けてくる。俺の剣が届く方が辛うじて早い。赤錆びた首の辺りを斬り付け血が吹き上がるのを眺めながら、俺自身もヘルハウンドの太い前足に薙ぎ払われた。背中から壁に激突する。
「ギャインッ」
 まるで犬を車で跳ねたみたいな鳴き声がしてヘルハウンドが地に転がった。キグナスの魔法が直撃したらしい。
「類稀なる知恵者ノームよ、悪しき者に大地の制裁を!!ダレ!!」
 畳み掛けるようにニーナの魔法『石弾』が飛来する。あまり土系、火系の魔法を好まないニーナだが、水系、風系を制限される今の風の砂漠では背に腹は替えられないと諦めたらしい。
 むせながら体を起こした俺は、剣を構えなおして地面を蹴り上げた。袈裟懸けのように斜め下に向かって剣を振るう。地面に転がったままのヘルハウンドの体から、剣の軌跡を追って血飛沫が舞った。
「……終わったか?」
 身動きしなくなったヘルハウンドに、荒い息をついてキグナスが問う。横たわるヘルハウンドのすぐ脇に着地して、俺はその生死を確かめた。
「……た、多分……」
 肩で息をしながら俺は頷いた。立ち上がって、壁に凭れたままのユリアに近付く。
「ユリア……平気?」
「ん……。怪我は、ないみたい……だから……」
「ゲヌイト・オムニア・フォルトゥーナ・カウサエ・マナ、クーラー・イプスム。『癒しの雲』」
 キグナスが治癒魔法をユリアにかけた。ほっと肩の力を抜いて立ち上がった。
「ありがとう」
「何とか、倒せたわね……」
 ニーナも疲れた顔をして、拭ったレイピアを鞘に収めた。頷いて俺も剣をしまう。
 が。
「オォ〜ン」
 遠くで、犬の遠吠えのような声がした。前方、グリムロックの来た方向だ。……嘘でしょ。勘弁しろよ。
「……逃げよう」
「とにかく、後をつけてきたヘルハウンドは倒したんだし、戻ろうぜ。奥へ進んでも進退窮まるばっかりだ」
 嫌気が差したようにキグナスが言った。
「そうしよう。確かに無鉄砲に奥に進んでもしょうがない。……それにもしかすると、シサーと入れ違ってて、戻ってるのかもしれないし」
 さすがにそれは希望的観測過ぎだとは自分でも思うけど。絶望的なことばかり示唆したってしょうがない。
 一同が頷いて、ヘルハウンドに追われて逃げた道のりを戻り始める。先ほど聞こえた遠吠えは、不意に途切れるように聞こえなくなった。……シサーをちゃんと見つけることが出来るだろうか。
 何より、それまで無事に生き残れるんだろうか。

          ◆ ◇ ◆

 ヘルハウンドから逃げ続け、グリムロックに遭遇するまでにかかった時間は多分30分くらい。尤も計ったわけじゃないし、こういう時って感じ方が全然変わるから、本当は15分くらいなのかもしれないけど。どんなに長く見積もってもって話で。
 ともかく、そんなに異常に長い間移動し続けたわけじゃないはずだ。
 はずなのだが。
「……なあー。こんなに、移動したか?」
 ウィル・オー・ウィスプを借りて先頭を歩く俺に、しんがりを務めるキグナスが尋ねた。ニーナが俺に続いて、その後ろをユリアが歩いている。
「……同感」
 何やらげっそりして来て、疲れた声で応じた。
 ヘルハウンドを倒してから、それこそ30分以上……下手すると1時間くらい歩いているような気がする。
 その間、魔物に遭遇しなかったのは良いんだけど、嬉しいんだけど、長いんですけど。
「おかしいわね」
 ニーナもぼそりと言った。訝しげに呟く。
「そりゃあさっきは確かに走ってたし、危機感あったから、正確な時間は全然わからないけど……いくら何でも、こんなに歩いてないわよね」
「でも、1本道だよ」
 先頭を歩く責任上と言うか、一応言い訳がましく言ってみる。道を間違えたはずなんてない。行きも帰りも、ひたすら1本の真っ直ぐ続く道を歩いているのだ。間違えられるものなら間違えてみろと言わんばかりの、直進。
「まさか、迷子……」
 ユリアの呟く声が、静かな通路に響いた。前も後ろも、相変わらずの真っ暗闇。何も見えず何の変化もない。
「……あら?」
 と、ニーナが不意に声を上げた。
「え?」
 足を止めて振り返る。ニーナは明かりに仄照らされた少し先を見つめていた。
「あそこ、脇道があるんじゃない?」
「脇道?」
 とりあえず進んでみる。明かりがちゃんと届く範囲になってみると、ニーナが指した辺りの右手の壁には20センチほどの窪みがあった。脇道ではなく、壁と同じような色の、でも煉瓦じゃなくて錆びた鉄製の扉がある。
「扉?」
「さっきあった?こんなの」
「……でも、さっきは急いでたし」
「それはそうだけど……こんだけ戻ってきてるってことは、シサーの後を追ってる頃かなあ」
「にしては、まだまだ最初の場所に辿り着かない感じだけど……。まあ、先が見えないから何とも言えないけどさ」
 口々に言いながら、何となしに扉の前で足を止める。取り囲むような感じでそれを凝視して、悩んだ。
「……見た方が良いと思う?」
「あ、でも……シサーの手掛かりになるかもとか」
「ここに入ったのかもしれないって?」
 それにしちゃ場所が変って気もするけど。歩いて来た距離感から考えれば、本当言うとシサーが消えたらしい場所……つまりウィル・オー・ウィスプが残されていた場所なんかとっくの昔に通り過ぎて、それどころか円形ホールも通り過ぎちゃってるような感じなんだが。
「まあ、気になるところは調べた方が良いよね」
 そう呟くと、全員の視線が俺に集まった。……待って。それは俺に扉を開けろってハナシなの?
「わかりましたよ……」
 そりゃ確かにこう言う危険な役回りってのはファイターの役目なんでしょうが。けどでも俺、ファイターじゃなくって剣持って戦ってるだけで、高校生なんですけど、ただの。
 とは言え、こう言うダンジョンなんかでは至るところにトラップが仕掛けられているってのがお約束らしいし、扉なんかまさにその基本中の基本って感じだし、開けた瞬間何が起こるかわからないようなもん、ユリアやニーナにやらせるわけには当然いかないわけだし。
「気をつけろよ。毒を塗った矢が飛んで来たりとか、開けた瞬間魔物が襲って来たりとかするかもしれねーし」
 キグナスが言う。あんまり脅すようなこと言うとやめちゃうぞ。
「下がってて」
 3人が扉から身を引いて、何かあってもすぐ対応出来るよう構えたのを見て扉に手をかけた。思い切ってぐいっと扉を引っ張る。
「……あれ」
 予想に反して、扉を開けても何もおかしなことは起きなかった。ちなみに実は押し戸だったなどと言うお約束なオチもなしだ。
「平気そうか?」
「うん……多分」
 半開きにした扉から、中を覗いてみる。そこは通路と違って濃灰色の石造りの部屋になっていた。8畳くらいの広さだ。ガランとした部屋の隅には開けられた形跡のある宝箱が3つくらいある。部屋の中央より正面奥の壁寄りに、何か俺の胸の高さくらいの台座があって30センチ程度の像が2つ置かれていた。
 壁にはカンテラが掛けられていて、細々と炎が揺れていた。おかげで薄暗いとは言え、魔法なしに中の様子が見ることが出来る。……ってか、このカンテラそのものも魔法で持続してるのかな。まさか管理人がいて、蝋燭が切れたら灯しに来るってわけじゃないだろ。
 蝶番が錆びているらしく、扉を更に押し開けるとギィと軋んだ音がした。構わずに目一杯開けて、部屋の中に足を踏み入れる。
「何も、なさそうね」
 俺に続いて部屋に入ってきたニーナが、辺りをきょろっと見回して呟いた。とりあえず、壁際の宝箱に近付いてみる。幅50センチくらいはありそうな宝箱で、ありがちな半円形の蓋が付いていた。もちろん今は開け放たれている。
「鮮やかだな〜」
 一緒になって宝箱を覗き込んだキグナスが感心したように呟いた。
「鮮やかって?」
「お手並み。これ、多分いちいち鍵見つけて開けたんじゃねーんじゃねーかなあ。大体ダンジョンにある宝箱って、鍵がどこ探したってないやつだって多いって言うぜ。鍵開けのスキル持ってるやつが開けたんだろ」
「シーフってこと?」
「とも限らねえだろうけど。まあ、8割9割は、職業盗賊じゃねえかな。苦戦した様子、なさそうじゃねえか?綺麗に開いてるよなあー」
 やっぱりシンなのかなあ……。
「ねえ、これ見て」
 宝箱にはあまり興味がないらしい女性2人が俺たちを呼んだ。2人とも、扉から入って正面の壁を見上げている。2つの像の間だ。
「何かあった?」
 倣って視線を壁に向ける。扉正面のその壁には、規則性を持った凹凸が刻まれていた。壁彫刻って言うのかなあ。大小の2本の円を外枠にして、中心には何やら奇々怪々な図形が描かれている。大小の2本の円のその間には幾つか区切り線のようなものが縦に入っていて、区切られたそのひとつひとつに文字が書かれていた。
「何これ」
「魔法陣ね」
「魔法陣?」
 何でそんなもんが?
「これ、最初の場所にもあったわ」
 ユリアが呟いた。それを受けてニーナも頷く。
「あったわね」
 え。何でそんなもん見てんの。
「どこに?」
「気付かなかったの?」
 呆れたようにニーナが言う。キグナスもきょとんとした顔をしていた。……何か男2人、注意力が足りないみたいじゃん。
「気付かなかった」
「床にね、描かれてたのよ」
「床?」
 壁の石にばかり目が行ってたので気が付かなかった。
「何か意味ありげじゃん」
「でも、どうしようもないわね、何か」
 ニーナが魔法陣に目を戻しながら溜め息をつく。俺は壁に近寄って、その魔法陣を良く見てみた。近付いてみると、その魔法陣はただ壁の石を削って作られたものじゃないらしいことがわかった。
 いや、削られているはいるんだけど、ぶち抜かれてるって言うか……つまり、魔法陣を描く形に石が繰り抜かれている。抜き型って感じだ。繰り抜かれた向こうはどうなってるのか良くわからない。触ってみるとつるっとした感触で……ガラス、かなあ。これ。
 何だろう。何のためにこんなややこしいことを?
 ガラスのその向こうは、多分、砂。外?なのかな。
 ここ爆破したら外に出られるんだろーか。……生き埋めになるのがオチか。
「気持ち悪ぃなあ、これ」
 魔法陣に飽きたのか、キグナスの嫌そ〜〜な声がした。振り返ると顔を顰めて像を覗き込んでいる。
「何」
「人間じゃねえのか」
 言われて見てみると、俺の胸の高さくらいの台座の上に飾られている像は確かに人間を模っているものだった。台座と同じくらいの大きさのざらざらした地面の上を、どこかよろよろした感じで中腰に歩き掛けている。何かを求めるように右手を器型に中空に翳し、左手はもがき苦しむように自分の首に当てられていた。
 もう1つの像も、全く同じものだった。ただし方向が違う。2つとも中心……つまり互いを見るような形で作られている。
「何だろね」
 あんまり気持ちの良いもんじゃない。苦悶の表情なんかやけにリアルで……バシリスクに石化された人間じゃなかろうかなんて馬鹿な考えが一瞬過ぎる。いや、大きさ的にありえないんだけどね。高さ30センチくらいなんだから。
「あんまり目ぼしいものはなさそうね」
 がっかりしたようにニーナが言った。
 まあここにいきなりシサーがいるとは思っちゃいなかっただろうけど、どっかに続く階段とか、そう言うのがあれば良かったんだろうけど。
「そうだね。……行こうか」
 とは言ってもどこへ行くのかなんて良くわからない。
 とりあえず円形ホールを目指しているはずなんだけど……。
 意味ありげなこの部屋が気にならないと言えば嘘になるし、さっきの戦闘と真っ暗な通路をひたすら歩き続けると言う気力も体力も著しく消耗する作業で疲れてはいるんだが。
 こうしている間にもシサーの身に何が起こってるのかと思うと気が気じゃないし、早く合流してこんなトコ抜け出したいし。
「そうね」
 ニーナが頷くのに合わせるようにして、俺たちは再び通路へと戻った。
 扉を出て、右手に向かって真っ直ぐ歩く。ギルザードを出てから歩いて来た方向とダンジョンの入り口の方向から察するに、今は北に向かって真っ直ぐ歩いているはずだ。……はず……なんだけど。
「いくらなんでも、嘘でしょ……」
 俺のすぐ後ろでニーナがぼやいた。全く同感だ。少なくとも、あの扉の部屋から既に2時間は歩いていると思う。感覚が狂って長めに換算しがちなことを差し引いても、だ。グリムロックやヘルハウンドの戦闘からは、3時間とかそんくらい歩いてると思う。
「おかしいよ、やっぱり」
 魔物には遭遇していない。静かなものだ。俺たちの立てる僅かな足音と、防具や武器の触れ合うかちゃかちゃと言う音しかしない。後は……遠くで、風の音。でも最初に聞いたのより遥かに風の音は遠くなった。……遠くなった?元の場所に向けて歩いてるはずなのに?
「同じところ、回ってるのかしら」
 どう考えたって、ヘルハウンドから逃げていた距離がこれより長いはずがない。そんなに何時間も走っていられるわけがないんだから。って言うか、これだけの距離を1度も曲がることなく直進してたらいつか海に出ちゃうぞ。サンドワームじゃないんだからさあ……砂の中を通って砂漠を横断するのもどうかと思うんだけど。
「ちょっと休もう」
「……そうね」
 溜め息と共に言葉を吐き出し、ニーナが賛成した。足を止めてその場に座り込む。ずるずるとニーナもユリアもキグナスも、その場にへたり込んだ。
「おかしい。ぜーーーってぇ、おかしい!!」
 キグナスが自分の両膝に顔を埋めてぼやく。ユリアは疲れ果てて言葉も出ないように壁に背中を預けて瞳を閉じていた。
「迷路、なのかしらね」
 迷路ってもっと右に左に曲がったりするもんじゃないの?
「1度も角を曲がらないってのは、変だよ……」
「……よねえ」
「ワープトラップ……?」
 閉じていた瞳を開いて、ユリアが長い睫毛を瞬かせた。
「ワープトラップ?」
「それよ」
 ニーナが頷く。……そうか。そうだとすればシサーが忽然と消えたわけもわかるし、ひたすら直進してるのもわかるかもしれない。つまり、直進通路の途中でワープトラップに引っ掛かって、新たな別の直進通路に飛ばされる。そこでまた新しい通路の直進部分に飛ばされれば、実際は同じところをぐるぐる回ってるのかもしれないけど、こっちにしてみればひたすら直進していることになる。
 あ、そうか。追って来た魔物の足音が入れ替わったのって、そう言うわけだったのかな。考えてみれば、ヘルハウンドがあんなに金属質な足音立てるわけがないし、最初の魔物から逃げてるうちにワープトラップに引っ掛かって……で、ワープ先でヘルハウンドに遭遇したんだ。
 もう少しダンジョンの……進行方向の先が見えていれば、例えばこの先に曲がり角があるだとか、あったはずの角が消えただとかってわかんのかもしれないけど、生憎ほとんど先は見えていない。壁や床はずっと同じ造りだし、気付くはずもないわけだ。
 ワープトラップか……。
 忽然と消えたシサー。どこのかわからない『第3の鍵』。開けられた宝箱。シン。ワープトラップ。風の砂漠。
(……あれ!?)
「ワープトラップだとしたら、トラップガイドがあるはずだよな。どのタイミングで作動してんだ?」
「カズキ?どうしたの」
 ニーナが俺を覗き込む。……あれ?今……・。
「いや、何でも……」
 何か……何か凄く重要なことが繋がったような気がしたんだけど。一瞬で忘れてしまった。
「何でもない。……トラップガイド?」
「だからさ、俺たちの動作のどこかに、ワープトラップを作動させる何かがあるわけだろ。例えば何かのスイッチを無意識に踏むとかさ」
「意味不明にワープ空間でもあるんじゃないの」
 魔法のことなんかわかんないので、ほとんど投げ遣りな返事をする。
「馬鹿。ここは『3つ目の鍵』のダンジョンなんだろ。どこの何の鍵かわかりゃしねえけど、とにかく大事なもんなわけだよな、きっと。で、不特定の奴には奪われたくないからこんなダンジョンに仕込んでるわけじゃねえか。でも鍵なんか用意するくらいだから、受け継ぎたい誰かがいるんだろ、多分」
「ああ……孫とか?」
「それはわかんねえけどさ。ともかく、無差別稼動じゃその『特定の誰か』だって辿り着けねえじゃねえか」
 それは言えている。
「だとしたら逃げ道があんだよ絶対。知らないうちに、ワープトラップのスイッチ押してんだ。気付けば、避けられるようにはなってるはずなんだよ」
「ああああ!!!」
 わかった。
 突如大声を上げた俺に、ニーナが飛びついた。俺の口をその手の平で押さえつける。
「騒がないでよ馬鹿!!」
 う、ごめん……。
「俺、わかったかも、その……トラップガイド」
「本当に!?」
 みんなの視線を受けて俺は、壁にぽつりぽつりと設置されている石の存在を話した。
「見るタイミングによって薄く光ったり消えたりしてるみたいなんだ。光り方……って言うか、光ってる時間の長さも結構ランダムでまちまちみたいなんだけど。俺が見てた限り、平均して1分くらい光ってると思う。もう少し短い時もあるかな……」
「臭いわね、それ」
「光ってる時が、ワープトラップ作動中ってことか?」
「わかんない。逆かも知れないし」
 とりあえず立ち上がって、俺は壁を見上げながら数歩歩いた。みんなもついてくる。休憩していた場所からほんの5メートルくらいのところに石を見つけて、俺はそれを指差した。
「確かに、時々見かけたわね。でもただの装飾だと思ってたわ」
「時々、ほんの少しだけ光るんだ。よーく見てないと気が付かないくらい、本当に薄くなんだけど」
 言いながら石を見つめる。みんなでじっと見守る中、少し経ってから石が光り始めた。ぼわーっと、光ると言うよりは色彩が明るくなったのかなって言う程度。
「本当だ」
 光は40秒ほどで消えた。また元通り、薄暗い沈黙で壁に収まっている。
「良くこんなの、気が付いたわね。光ってるって言えないわよ、こんなの」
 ニーナが褒めてんだか呆れてんだか、良くわかんない口調で言った。
「最初のホールになってるとこにもあったから。そこで気が付いたんだ」
「んじゃ、これが光ってる間にここを通過すると、ワープさせられてんのか。どこに跳んでんだ?」
 キグナスが言う。
「それはやってみないとわかんないけど……光っている石から光っている石に跳ぶとか」
 覗き込むには少し高い位置にあるので、首を伸ばして見上げながら勝手な想像を口にした。
「じゃあともかく……しばらく、光っている時は通過しないってやり方で進んでみましょーか。それで状況が変わらないようだったら、今度は逆にしてみましょ」
「じゃあ、行こう」
「ねえ、待って」
 歩き始めようとした瞬間、ユリアが制止の声を上げた。
「さっきまでは最初の場所を目指してるつもりだったから、右手へ進んでいたわけでしょう。でもワープトラップで跳ばされてたんだとしたら、本当にそっちで良いのか、わかんないわ」
 ……まったくだ。
「もし他の階とかあるんだとしたら、階を越えて跳ばされているのかも知れないし」
「俺、このダンジョン、ワンフロアじゃないと思う」
 ユリアのセリフを受けて俺は口を開いた。
「シサーが、爆破物で塞がれてる通路を掘ってる時に、思ったんだ。外から砂が流れ込んでなかった。このダンジョンは砂漠の中にあるんだから、外壁が爆破されたら砂が流れ込んでなきゃおかしい」
「そっか。そりゃそうよね」
「うん。だから上のフロアがあるんじゃないかなって思ったんだけど。……単に外壁が二重構造になってて内側だけ壊れたってだけなのかもしれないけどさ」
「でも、ここで突っ立っててもしょおーがねえじゃん」
 議論に飽きたようにキグナスがロッドを弄びながらぼやいた。それも一理ある。どこにいるんだかわかんないのは確かだけど、黙って立ってたって先には進まないし。
「マップ、作りましょ」
 言いながらニーナは自分の荷袋をごそごそ漁った。薄い茶色の、目の粗い紙束とペンを取り出す。
「マップぅ?」
「そうすれば少なくとも、今いる場所からはわかるようになるじゃないのよ。ダンジョンの基本なのよ、一応」
 ゲームなんかだと自動的にマップがあるから良くわからない。
「マッパーがいれば良いんだけどね。生憎そんな技術持ってる人はいそうにないし。……誰が書く?」
 言いながらニーナは俺を見た。自動的にみんなの視線が俺に集まる。……あのねえ!!
「カズキ、お前、元の世界で学生やってたんだろ?」
 それがこの場合どこにどう活かされると?
「キグナスに任せたらぐちゃぐちゃになりそうだし、ユリアに書かせるわけにはいかないし、わたしは嫌だし」
 嫌だしって、それ言ったら俺だって嫌だし。
「わかったよ……」
 全員の視線の圧力に負けて、ニーナから紙とペンを受け取った。深々と溜め息をつく。
「何か、やりたくないこと、みんな俺に回ってくるような気がする……」
「頼られてるのよ」
「頼られてるのよ」
 ユリアが励ますように言い、キグナスが茶化すようにそれを真似た。
「こういうのは頼られてるんじゃなくて、貧乏くじを引かされてるって言うんだと思う……」





2006/05/25
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