■ 16 近付けない想い ■

 ……眠れない。
 その日の夜中、なかなか寝付くことが出来なかった俺は、布団の中で右へ左へ寝返りを繰り返し、ついに諦めて体を起こした。
 8畳くらいの狭い部屋に、幅の狭いベッドが3つ無理矢理詰め込まれていて、ドア側にシサーが長身を窮屈そうにして眠っている。その隣に俺、窓際にキグナスだ。
 そっとベッドを抜け出して、音を立てないよう気をつけながら部屋を抜け出す。一応、何があるとも思わないけれど剣だけは帯びておいた。
 廊下はしんと静まり返っている。窓から覗く月明かりを頼りに、階段に足をかけた。ぎい、と軋む音が思いの外大きく、内心びくりとする。……いや、別に悪いことをしようってわけじゃないんだから良いんだけど、そう言う問題じゃなくて……悪いじゃん。起こしたら。
 宿には今日も何組かの客がいるみたいではあった。昨日とは違うみたいだけど。まあ、あんまり長居することもないのかもしれない。砂漠と山越えの間の中継地点みたいなもんだろうし。
 ぎしぎし言う階段に冷や汗をかきながら下りきって、俺は正面玄関の内鍵を開けた。外に出ると昼間とは違うひんやりとした空気が肌に触れる。激しい寒暖差のせいか屋内の換気と保温が結構しっかりしてるもんだから油断した。その空気の冷たさに薄手のシャツ1枚しか着てこなかったことを後悔する。
 俺の吐く微かに白い息の向こうの暗い夜空に青白い月がぼんやりと光っていた。薄く煙るようなその姿に、明日の天気を思って少し気が重くなる。雨とか降らないで欲しいな。暑いのも嫌だけど。……いや、砂漠の人にしたら降って欲しいんだろうけどさ。
 別段行くアテがあるわけじゃないので、俺はそのまま出入り口の僅かな段差にすとんと腰掛けた。
 一応『砂上の楼閣』はメインストリートに面しているんだけど、昼間と違って今は人の姿はない。遠く、防護壁付近を守る衛兵が、時折ちらちらと動くのが見える。
 昼間の話をいろいろ考えていたら、眠れなくなっちゃったんだよな……。単に寝過ぎだろって説もあるかもしれないけど。
 明日からはまた砂漠を旅しなきゃなんないし、何があるかわかんないんだから寝ておくべきなんだろうけど……その方が良いに決まってるのは絶対なんだけど。
 ……戦争、か。
 まさか、こんな身近に感じる羽目になるとは思わなかった。それはもちろん、自分が剣を持って戦ったりだとかそう言うのももちろんそうなんだけれど……。
 話が、最初に認識していたよりもっと大きいことのような気がする。『王家の塔』に行って、レガードの行方について何か情報掴んで……って簡単にはいかなさそう。具体的に事態が見えてきたからそう感じるんだろうか。
 そりゃあ最初から話は広大な帝国の皇帝位継承権の話であって、それを狙う諸国がいて……王子様がいて王女様がいてってのは、わかってはいるつもりだったんだけど。
(レガードは、どこにいるんだろう……)
 行方不明の期間は単純計算で3ヶ月に上る。俺の、元の世界での行方不明期間より長い。倍の長さだ。まさしく……死んでいておかしくない期間。
 考えて少しぞくっとする。……そう。普通に考えれば、3ヶ月も行方不明になってたら死んでるとしか考えられない。生きていてそれだけの期間があれば、普通は帰るなり連絡を取るなり、何らかの努力をするはずだ。増してレガードの肩には重い責務がのしかかっている。まさかそれが嫌で逃げ出したってわけじゃないだろう。大体戦闘の最中に行方をくらましたことがわかってるんだから。
 じゃあ仮に、自分の意志で行方を眩ませたんじゃないとすれば……生きていると言う前提で、これだけの期間行方が掴めないと言うとどう言う事態が想定出来るんだろう。
 自分で外部と自由に接触出来ない状態……つまり、病気や怪我で身動きが取れないか、或いは囚われているか。あと考えられるとしたら何だろう……記憶喪失とか?
 そんなことを考えていたら。背後で僅かな物音が聞こえてぎくりとした。振り返る。
「……ユリア」
 昼間と同じ、白いTシャツに黒いフレアミニを身につけたユリアが、ドアを押し開けて外に出て来ようとしているところだった。ドアを開けるには邪魔になるところに座っていたので、体をずらす。
「……どうしたの」
 人気のない深夜だ。ひそひそ声は却って結構響いたりする。俺は極力低い声で尋ねた。
 ユリアは微笑んで微かにぶるっと体を震わせた。「寒いね」と小さく笑う。長袖の俺だって寒いのに、半袖じゃあいかにも寒そうだ。
「眠れないの?」
 逆に尋ねながら、ユリアはドアをそっと閉めて、俺のすぐ隣に腰を下ろした。
「うん……まあ。ユリアも?」
「……眠れないわ」
 大きな瞳が今は少し切なげに細められ、長い睫毛が落ち込んでいるみたいに伏せられている。
「どこ、行っちゃったのかしらね」
「……」
「いろんなことが、難しいわ。いろんな人がいて、いろんな思惑があって……わかるけど。……ただ、無事でいて欲しいって、それだけだわ」
「……うん」
 そう呟いたきり、ユリアは黙りこくった。俺も返す言葉がなくて、黙る。
 不思議と虫の音や鳥の鳴く声のしない街だった。ただ、風の吹く音だけが聞こえる。そして遠くで木々のざわめく音。空を見上げると、先ほどまで月を煙らせていた雲は、強い風に吹き飛ばされてしまったのか姿を消していた。眩いほどの月が晧々と辺りを照らしていて、月が眩し過ぎて星が見えないなんてことがあるのを初めて知った。東京は月よりも街の明かりが明る過ぎて、星が見えない。
「……ユリア」
「ん」
「あの時……何を言おうとしたの」
 月に視線を向けたまま、ふと尋ねる。ユリアが首を傾げるのが気配でわかった。
「シサーたちと合流する……直前」
 風に吹かれ遠景を見詰めながら何かを言いかけたユリアの顔を思い出す。……続きが、気になる。
「ああ……」
 ユリアに視線を向けると、愛らしい口元に微笑を象りながら抱えた膝に頬を寄せて俺を見た。
「わたし、カズキといると、安心するわ」
「……」
 どう答えていいのかわからず、ユリアから視線をそらして俺は微かに俯いた。
「……俺は、頼りないよ」
「そんなことない」
 俺に視線を向けたまま、ユリアが即座に否定してくれる。
「……」
 黙ったままの俺に、ユリアは顔を膝から起こして手を差し伸べた。立てた両膝の上に無造作に放り出してある俺の手を取る。ひんやりとした指先が触れ、戸惑った。
「何……」
 どぎまぎして顔を上げた俺に構わず、ユリアは黙って俺の手を広げさせる。そっとその手の平に指を這わせた。……剣を握るようになってから、ボロボロになった手の平。戦闘率が上がったせいで、血まみれだった俺の手の平の皮はようやく復帰して、今は厚くなっている。でも、ボコボコだ。
「綺麗な手よ」
「……ぼろぼろだよ」
「わたしを守ってくれようとした数だけ、厚みを増してる」
「……」
「……カズキを危険に曝しているのは、わたしだわ」
 俺の手に手を重ねたまま、ユリアが押し殺したような声で言った。
「ユリア」
「昼間、シサーの言ったこと、シェインたちと話したこと、そして『銀狼の牙』のこと……。考えたら、眠れなくなった。……馬鹿ね。少し考えればわかりそうなものなのに。わたし、気がつかなかった」
「……」
「……カズキを、囮にしていたのね」
「ユリア、それは……」
「シサーが言ってた、『レガードの影武者』ってそういう意味でしょ」
「……」
「レガードが『王家の塔』に行くその体裁を整えて、レガードの姿をした者にレガードの行方を探らせる……その結果、何が起こるのかなんてわたし、考えなかったんだわ。……馬鹿ね。狙われるに、決まってるじゃない……」
 また泣くかと思ったけど、ユリアは何かを堪えるように押し殺した声で、けれど声を潤ませるようなことなく淡々と続ける。
「……後悔してるの」
 指を折って、重ねられたままのユリアの指先を包み込むようにしながら尋ねる。冷たい指先に、少しでも温もりを分けてあげられたら。
「わからない」
「……俺、別に知ってたから」
「……」
「ユリアの役に立てるんだったら、俺は、それで、良いよ……」
「カズキ」
「俺……」
 続きを言うのを躊躇って、言葉を切る。ユリアを見ると、ユリアも俺を見詰めていた。ユリアの指先を包む手に、力が籠もる。
 伝えたい。でも、伝えたくない。けれど、知って欲しい。
 本当に、ユリアの力になりたいと、思ってるんだ……。
「安心するって……」
「……」
「俺が、レガードに似てるから?」
 掠れた声を押し出すと、ユリアの大きな瞳が驚いたように見開かれた。急いでかぶりを振る。
「違う」
「……」
「それは、確かに似てるわ。似てる人を選んだんだもの。でも、違う。レガードだと思ったことなんか、ないわ。1度もないわ。……レガードはレガードだし、カズキはカズキだから……」
「良かった」
 どこまで本心なのかは、わからない、正直。でもそう言ってくれたその言葉を信じることにした。小さく微笑む。ユリアがこつんと、おでこを俺の肩に凭せ掛けた。
 な、何か、凄い良い感じじゃないか?鼓動が加速して、胸を突き破りそうだ。触れるユリアの温もりが……。
 ……痛いほど。
「カズキを大切に思っているわ」
 ぽつりと消えそうな声で言われて、心臓が一層跳ね上がる。
「ユリア……」
「レガードやシェインに対してとは、違うの。自分でも良くわからない。でも、でもわたしね……わたし、カズキが……」
 顔を伏せたままユリアが一生懸命言った。俺の脈拍は最早マッハである。ちょ、ちょっとこれは勘違いしそうになるぞ……。何か、彼女が俺に特殊な感情持ってるみたいじゃないか……。
 どきどきする心臓が押さえきれず、その鼓動がユリアに伝わってしまわないかどこかで心配になりながら言葉の続きを待つ。けれどユリアはそのまま、言葉を飲み込むように俯いて、押し黙ってしまった。
「ユリア?」
「……何でも、ないわ」
 ……ここまで期待させといてそれはやっぱり俺が可哀想だと思う。
「どうしたの?」
「ううん……」
 言ってユリアは顔を上げた。僅かに泣きそうに歪んでいる顔を無理矢理笑顔にしている、そんな感じの表情。
「部屋に、戻るわね……」
「ユリア」
「……ごめんなさい。忘れて」
 呟くように言って、ユリアは立ち上がった。俺が制止する暇もなく、ドアの内側に姿を消す。緩やかに靡いたユリアの髪の名残を追いながら、俺もそっと立ち上がった。……意味が、良くわからなかった。
 確かに、気持ちが通じ合ったような……そんな、感じだったのに。
 急に翻られて、それをどう考えて良いのかが、わからなかった。

          ◆ ◇ ◆

 暑い。
 足元の砂はどこまでも広がっていて、踏みしめる感触はどこかソフトだ。おかげでひどく足が疲れる。
 夜が明けて、俺たちはともかく『王家の塔』へ向けて出発した。ユリアはあれから眠れたんだろうか。はっきり言って俺は気になり過ぎて眠れなかった。……眠れるか!?気になるに決まってるじゃないか。
 が、そんな可哀想な俺を余所に、ユリアは朝、顔を合わせた時には何事もなかったかのように普通だった。……女の子は難しい。
「あー、もう。風が強ぇなあああ」
 俺の隣を歩くキグナスがぼやく。ギルザードを出てからかれこれ1時間以上が経過していて、まだその姿は見えるものの街は遥か遠い。砂漠を進めば進むほど風の強さは増していて、時折強く吹き付ける風が砂を打ち付けてくる。
「ふわ〜ぁ……」
 キグナスの言葉には答えずに欠伸をすると、キグナスが少しだけ下の角度から俺を覗き込んだ。
「お前、昨夜何してたんだよ」
「あ、え、は!?」
 咄嗟にどもる。寝てたんじゃなかったのかよ……。
「な、何で?」
「別に何でってこたあねーけどさー。目が覚めたらいなかったから。どこほっつき歩いてんのかと思って」
「あ、ああ……」
 俺って嘘のつけない奴だな……。
「別に、眠れなかったから……夜風に当たってただけ」
 言いながら、前方をニーナと並んで歩くユリアの後姿に目をやった。
――わたし、カズキが……。
 ……言葉の続きが、知りたい。
「ふうん。まああれだけ昼間に寝こけてりゃあなあ」
 寝こけてたって。
「途中でぶっ倒れんなよー」
「うん……平気だと思う」
 眠いのは眠いんだけど、何か逆に変にテンション上がっちゃってる感じだし。頭が冴えてるって言うか。……そりゃあ、ここにベッドがあったら速攻で寝ちゃいそうな気もするけど。
「しっかしユリア様も頑張るよなあ」
「え?」
 キグナスは、この辺はさすが王城に出入りしているせいか、ユリアに対して『王女様』の姿勢を崩さない。とは言ってもやはりシェインと血縁関係にあると言うか……ざっくばらんはざっくばらんなんだけど。
「頑張るって?」
「だって良く考えてみろよ。王女様だぜ?」
 知ってますけど。
「王女様つったらお前……お城の奥でドレスに身を包んで『うふふ』とか笑ってるもんだろが」
 ……『うふふ』はまあともかくとして。
「言いたいことはわかるけど」
「だろー?何を好き好んで、汗まみれの埃まみれになって砂漠を旅するかって話だよな」
「……」
「……そんだけ、レガード様を大切に思ってるってことなんだろーけどさ」
 ぐさ。
「うん……」
 昨夜躊躇うように俺に何かを言いかけ、押し殺すように言葉を飲み込んだユリアは、レガードのことを思ったからなのかもしれない、とは……俺も、思った。
 俺だって、わかってる。彼女が、レガードの婚約者だってことは。
 婚約者――結婚、するんだよな、レガードが見つかったら。……レガードと。
(最初からわかってたことなんだけど……)
 レガードを見つけてあげたいとは思っている。それに嘘はない。嘘は、ないんだけど……。
「キグナスって好きなコとかいんの?」
 唐突な俺の言葉に、キグナスはぎょっとしたような顔をした。そう言えば俺、この世界の恋愛事情みたいなのって全く知らないような気がする。どういうもんなんだろ。あっちと同じように普通に付き合ったりとかする……んだろな、シサーとニーナを見てると。
 一緒に旅をして魔物と戦うのを『普通に付き合う』と表現して良いもんかどうかは……微妙だけどさ。
「どういう頭の回路でそういう話になったんだ?」
「ユリアとレガードの話だろ」
 そんなに不自然な流れじゃないと思う。別に。
 聞いた割にそれ以上突っ込むこともせずに前を見て黙々と歩く俺に、キグナスは頬をぽりぽりと掻きながら首を傾げた。
「べっつに俺は……ねえなあー」
「ふうん。学校行ってたんだろ?」
「行ってたよ。エルレ・デルファルな」
「うん。同級生とかいるんじゃないの」
「いるけどなあ……学ぶので精一杯だったな、俺は」
 そんなに真面目には見えませんけど。
「俺、頭悪ぃんだよ」
「見ればわかる」
「何だとお!!」
 キグナスがロッドで俺を殴った。……武器を使うな武器を!!
「んでな、ほら……まあ、直系の家系ってわけじゃねーけど。いろいろいるわけだろ、俺の家系は」
「ああ……シェインの?代々宮廷魔術師ってやつ?」
 こくこくとキグナスが頷く。その様子を見遣ってから、俺は進行方向少し先の砂に視線を向けた。ざざーっと遠くの方で風が静かに砂を巻き上げる音が聞こえる。
「だからさ……俺だけ馬鹿ってわけにもいかねーし」
「けど別にキグナスのお父さんも魔術師とかそう言うわけじゃないんだろ?」
「うん、まあ……。けどな、何かな」
 ふうん。
「お前は?」
「は?」
「お前ん家は、どんな家なんだ」
「ああ……」
 さくさくと砂を踏みしめる微かな音を聞きながら、遠い異世界にあるはずの自分の家族を思い浮かべた。別に特殊な家庭じゃ全然なくて……どこにでもある、普通の家庭。でも、俺にとっては唯一の大切な家族だ。
「俺ん家は……普通の、庶民だよ」
「ふうん?」
「親父は会社員……人に雇われて働いてて、母親は専業主婦で。弟がいて」
「弟か」
「で、じーさんが、職人やってたけど」
「職人?」
「うん。時計のさ、修理とかやるようなそういうの」
 とは言っても、俺はほとんど会ったことがない。じーさんと親父がめちゃめちゃ仲が悪いので。
「恋人とかいたのか?その……あっちに」
 急に話が戻った。
 さっきのキグナスじゃないけど、俺は自分の頬を人差し指で軽く掻きながら上空を見上げた。昨夜の不安は杞憂だったようで、天気は心配の必要なんか全然ない、快晴って感じだ。雲ひとつない、澄んだ青空が広がっている。遥か遠くに、キサド山脈が見えた。
「いないよ」
「へえ」
「あんまりそういうの……良く、わかんなかったから、俺」
 前にも思ったけれど、なつみに好感を持っていたのは確かだ。でも……こうして見ると、ユリアに対する感情とは全然違う。環境の違いはあるのかもしれないけど、ユリアに対するような、自分を突き動かす何かみたいなものは全く感じない。綺麗なもの、可愛いものに対する、素朴な感情にしか過ぎなかったことが良くわかる。
 キグナスとぽつりぽつりと話をしながら、先頭を歩くシサー、それに続くニーナやユリアの後を5時間ほど歩いたところで、1度休憩をすることになった。とは言っても、砂漠の真ん中、木陰や何かがあるわけでもなくその場で休むしかないわけなんだが。
「必要以上に足が疲れてる気がする」
 ぼやくと、シサーが俺の隣に座り込んで苦笑いをした。
「砂漠だからしょうがねえな」
「うわ」
 そこへ突風が吹き付けてきて、思わずむせた。目を瞑って腕で顔を庇うが、その腕に吹き付ける砂が痛い。髪の中なんか、とっくの昔にざらざらだ。
「しっかし本当に凄い風だな」
「普段より?」
「そうだなあ……。まだこの辺は『こういう日もあるな』って程度でもあるけどな」
 通常だって風の強さなんか日によって変わるだろうしね……それはそうかもしれないけど。
「ニーナ」
 少しだけ離れた場所にユリアと並んで座り込んでいるニーナにシサーが呼びかける。バテたような顔をしていたニーナがこっちに視線を向けた。
「何かわかりそうか」
「どうかしらね。何とも言えないわ、まだ。でももう……シルフとは意思の疎通が出来なくなり始めてる」
「そうか」
 シサーがそう応じたのを見て、俺はふと遠くに視線を移した。……あれ?
「シサー」
「あ?」
「人がいる」
「え?」
 俺の声にシサーも同じ方向を見る。声が聞こえたのか、他の3人もつられたように顔を上げた。
 人がいる、とは言ってもまだ結構遠いんだけど。俺たちが今いる場所より少し先から緩やかに砂が盛り上がり始めていて小高い丘のようになっているが、そのほぼてっぺんよりまだ向こう。5人とか6人とか、そのくらいの人数の。
「……シャインカルクからの調査隊だな、ありゃあ」
 立ち上がって見遣ったシサーが呟いた。砂地の上にべたっと倒れていたキグナスも跳ね起きて隣で頷く。
「本当だ。戻って来たんだ」
「何か、情報がもらえりゃあありがたいんだがな」
 あんまり期待していないような口調で言って、シサーは荷物を手に立ち上がった。
「行くか」
「うん」
 それぞれ立ち上がって砂を叩く。どうせ吹き付けてくるからあんまり意味はないんだけど。
 言われて、再び歩き始めたのは良いが、しかしそこから先は結構長かった。単調な風景と言うのは、思ったより人間の感覚を狂わせるものらしい。通常より歩みが遅いってのもあるんだろうけど……。
 双方歩み寄っているはずなのに、調査隊のところまで辿り付くのに40分近い時間を消費していた。
「ユリア様!!レガード様!!シサー殿!!」
 俺とユリアの前に調査隊が一斉に地面に膝をつく。凄い光景だ。……そうだよな。俺がレガードじゃないと知っているのはシャインカルクでもほんの一部なわけで。
 つまり彼らにとって俺は『レガード様』なわけで。
 で。
 ……どう対応して良いのか困る。
「デリス!!」
「よお」
 どうやら知り合いがいるらしい。ユリアも破顔して駆け寄った。シサーの名前も敢えて挙げると言うことは、シサーが禁軍にいた頃に会ったことがあるんだろう、きっと。
「ご無事で……ッ」
「わたくしは大丈夫です。あなたたちこそ、ご苦労ですね。無事な姿を見られて、嬉しく思います」
 久々に見る、『王女様バージョン』のユリアに、何か変な感じだった。普段普通の女の子なのに、こうしているとそこに不自然さがない。身分の高い人間らしい、毅然とした雰囲気。……距離を、感じる。
「勿体無いお言葉」
「何か、わかったことはありますか」
「それが……」
 どうやらこの中で1番偉いらしいデリスと言うゴツ目の、髪を短く刈り込んだ男性が頭を深く下げた。
「『王家の塔』周辺には全く近付くことも叶わず……。情報を集めようにも人はいない有様でして」
 それはそうだろう。砂漠だ。
「そうですか」
 特に落胆の色を示すこともなく、ユリアは鷹揚に頷いた。だが彼女が何か続ける前にデリスが口を開く。
「ただ、関係があるのかはちょっとわかりかねますが、『王家の塔』へ向かう途中にあるダンジョンが、最近何者かが侵入した形跡がありました」
「ダンジョン?」
 風の砂漠には、たくさんの遺跡やダンジョンがあると言うシサーの言葉を思い出す。ダンジョン、って言葉の響きが……嫌だよな、何か。暗い感じで。
「シサー。関係があると思いますか」
 ユリアに問われて、シサーは肩を竦めた。
「わかんねえなあ……。最近か」
 シサーの問いにデリスは頷いた。
「これまでに誰かが踏み入れたわけではなさそうです。恐らく、長い間眠っていたのでしょう。単に立ち入れなかったのかもしれませんが。いずれにしても、侵入したのは新しそうでした」
「寄るだけ寄ってみるか?あんまり意味はなさそうだが」
 大して興味もなさそうな顔でシサーがユリアに問う。ユリアは困ったような顔をして頷いた。
「可能性があれば、全て探ってみたいとは思いますわ」
「ですが」
 遮るようにデリスが顔を上げた。
「我らもそう考えて侵入を試みたのですが……少し進んだところで通路が塞がれておりまして」
 ユリアの言う『可能性』とはレガードの行方に関してだが、デリスの言うのは違うだろう。大体彼らの頭の中で、ユリアがこんなところにいると言うのはどのように処理されているんだろうか。『レガード』と一緒だから……一緒に『王の証』へ向けて旅をしていると理解しているんだろうか。
 ま、いーや。何でも。
「じゃあ、奥まで行けねえってことか」
「は」
「塞がれてるってのは?人為的に?」
「恐らく」
 キグナスの問いに、デリスはこちらへ顔を向けた。
「爆破物で塞いだものと思われます。竜巻にそれほど関係があるわけでもなさそうだったので、そこで打ち切ったのですが、行かれるのであればご一緒致します」
 それはやめて欲しいなあ、とぼんやり思った。俺を『レガード』だと思い込まれていると、どうにも対応がしにくい。俺、レガード知らないもん。フリをしようにも出来るわけがない。
 こっそり顰め面をしていると、シサーがちらりと俺を振り返って苦笑した。
「いや、そっちは王城へ戻って報告をしなけりゃならんだろう。場所だけ教えてもらえれば、こっちで勝手に行くさ。あんたらよりは、俺の方がそういうのにも慣れてる」
「ですが」
「入りゃしねえだろ。ちょろっと様子を覗いて来るだけだ。そんなに気を使ってるとハゲるぜ」
 何とも失礼な物言いでデリスを黙らせた後、そのダンジョンの場所を聞き出して調査隊と別れる。見送る彼らに手を振って砂漠に歩を進めながら、シサーが俺に向かって笑った。
「……カズキの顔」
「……何だよ」
「『俺にレガードの真似なんか出来ないよ』って書いてあるもんだから、おかしくってな」
「黙りこくってるのは正解だったわね」
「カズキにレガード様のフリは無理だろ。あれほど気品がない」
 言いたい放題言われている。
「あのねえ……」
「ま、王城の調査隊なんか一緒に来られたら肩が凝ってしょーがねえやな……」
 わざとらしくくりくりと肩を回し、シサーはダンジョンの場所を書き込んだ地図に目を落とした。
「関係、あるかな」
 隣から俺も覗き込む。風が表面の砂を攫うように吹いて、辺りが一瞬黄色く煙った。
「どうだかな。あんまり期待は出来そうにねえけど。行ってみるか、とりあえず」
「……あら?シサー、ここって……」
 俺と反対側からやはり地図を覗き込んだニーナが何かに気付いたようにぽつりと呟いた。視線は地図に落としたまま、シサーが頷く。
「ああ……『3つ目の鍵』のダンジョンだな」
 『3つ目の鍵』?
「何それ」
 俺の視線にシサーが顔を上げた。
「詳しいことは良く知らん。そう言われてるって話を耳に挟んだだけだ。『1つ目の鍵』がローレシア最北の王国ワインバーガの森、『2つ目の鍵』がラグフォレストの山、そして『3つ目の鍵』が風の砂漠で手に入るんだそうだ」
 へえ?何の鍵?
「が」
「何の鍵かまでは知らないのよねーえ」
 がく。
 じゃあ意味ないじゃん。
 ありありと不満を顔に書いた俺に、シサーは地図を折畳みながら肩を竦めて見せた。
「生憎と俺は冒険者じゃねーからな。興味が持てん。傭兵稼業で食えるだけ稼げれば、余分にお宝を手に入れようとも思わないしな」
 冒険してる人って話なら、シサーだって十分そのカテゴリーに入ると思うんだけど。
 後ろからついてくるユリアとキグナスを時折振り返りながら言うと、シサーは緩やかに首を横に振った。
「冒険者ってのがいるんだよ。職業って話で言えば俺と同じ剣士だったり魔術師だったりするわけだが。パーティを組んで、ダンジョンを攻略したりとかそう言うのを専門にしてるのを冒険者と言うな」
 ふうん。そう言う人たちもいるんだ。
「だからそう言う奴らなら何か知ってるかも知らんが。俺は真面目に攻略しようと思ったこともないんでな。調べたこともない」
「でも、興味のないシサーが噂を耳にしてるってことは、有名なダンジョンなんだ?それが最近まで攻略されてなかったってことは……」
「ああ。結構厄介なダンジョンではあったらしいな。だがまあ、出入り口付近の通路が爆破されて塞がれてるってことは……多分誰かが攻略したんだろう」
「攻略したら塞ぐの?」
「と決まっているわけでもないが。そうする奴もいるらしいぜ」
 けど……そうやって聞くと確かにシサーの言う通りあんまり関係があるとは考えにくいかもしれない。まさかごく最近攻略されたダンジョンに、レガードを監禁してるとは思えないし。まして竜巻との関係なんてあると思えないし。
「ちょっと回り道になるんだが、寄るだけは寄ってみるか……」
 そこでシサーは僅かに顰め面をした。銀色の瞳で何かに挑むように遥か遠くを見据える。ニーナが風に靡く長いさらさらの髪を片手で押さえながら溜め息をついた。
「あの辺は、厄介なのよね」
「厄介?」
 俺の問い返しに答えたのはシサーだった。
「ああ。あの辺りはサンドワームやバシリスクの多発地帯だ」

          ◆ ◇ ◆

 両脇に広がる畑では農家の人がのんびりとお弁当を広げている。昼食時だろうか。1年を通して総じて穏やかな気候に恵まれるロドリスでは真冬を除き何らかの実りがもたらされる。グレンの上司の髪の色のような空に綿菓子を連想させる雲がぽかんぽかんと浮かんでいる。
「はああああ……まったくセラフィさんは優しい笑顔を浮かべて人を徹底的に使う方ですよねえ……。これで特別手当ってのがないと来てるから、私、転職考えちゃいますよねえ」
「あんねえ、セラフィ様の悪口ばっか言ってると言いつけるよ?」
 長身に似合わない情けない物言いに、隣を歩く女性が白けたような声を出した。ちなみにセラフィに使用を許可されたはずの乗馬は、昨夜の野営の時にグレンが繋ぎ損ねて逃げられている。そのせいで徒歩を強いられる羽目になり、彼女はすこぶる機嫌が悪い。
「ああああッ。やっぱり!!そうじゃないかと前から常々疑ってたんですよ!!」
「ななな、何がさ」
「私の味方のような顔をしながら、エレナさんはやっぱりセラフィさんの味方ですね?エレナさんもセラフィさんにぞっこんなクチですね?」
 エレナ、と言う愛くるしい音の名前の割には、長身でがっしりとした体躯の筋肉質の体をしている。肌は黒く日に焼けており、臙脂色の短く刈り込んだ髪はまるで男性のようだ。だが長い睫毛と髪と同じ色のくりっとした瞳が僅かに女性らしさを感じさせる。
「ななな何言ってんのさ」
 エレナは色黒い顔を微かに赤らめたが、グレンはじっとりした目でそれを横目で見つめ、肩を落とした。
「大体あたしはあんたの味方のような顔をした覚えは人生掛けてただの1度もない。セラフィ様の味方なのは当っ然だろーが」
「全くセラフィさんが羨ましいですねえ。あれだけ男も女もたぶらかしてれば人生楽しい……」
 セリフを最後まで言うことは出来なかった。エレナが鞘に収めたままのショートソードでグレンの頭を殴りつけたからである。
「……うううううう。エレナさん。逞しい女性がか弱い男性に武器を使って暴力を振るうのはやはり反則かと……」
「誰が逞しいって?」
「……ううううう」
 殴られた後頭部を押さえ込んで蹲るグレンに、続けて蹴りを食らわせてやろうかと構えたエレナは、ふっとその視線を彼方へ向けた。王都フォグリアから海に程近い通りを北上している2人からは、岬のせり出しているモナの港が辛うじて見て取れる。
「……グレン」
「はひ……」
 まだ蹲っている呑気な相棒に、エレナは呆然と言葉を投げかけた。
「……あんた、何かした?」
「は?」
 ようやくグレンが顔を上げた。海上に向けたままのエレナの視線を追って、グレンもその黄金色の瞳を細める。
「あれは……?」
「モナの海軍だ……」
 緩やかにモナの海軍と思しき船は、2人の視線に気付くはずもなく南下していく。思わず顔を見合わせた。
「私じゃありませんよ」
「でも」
「セラフィさんは、私の他にも使者を何人か飛ばしているはずです。そのうちの誰かが成功した、と言うことなんでしょうかね」
「だって……モナだよ?」
「モナですね」
 何かを言いたげにグレンを見上げたエレナに答えず、グレンは突然慌てた顔になった。
「はッしまった」
「え?何!?何かまずいことが……」
「誰かが成功していると言うことは、私も成果を上げなければ特別手当どころか減俸になってしまうじゃああーーりませんかッ。こうしてはいられません、エレナさん、急ぎましょう」
「……グレン……あんたって……」
「どういう思惑かは知りませんが、モナが今動くと言うことは、こっちもうかうかしていられないと言うことですよ……」
 ふっと低められたグレンの声に、エレナは顔を上げて息を飲んだ。
「……そうか」
 のどかな風景を横切っていくモナの海軍とは逆の方向へと、セラフィの使者たちは足を速めた。





2006/05/15
←BEFORE         NEXT→