| ■ 10 歴史の陰 ■ ガン、と勢い良くドアが開けられ、ラウバルは微かに眉を顰めた。『相手の返事を期待しない形だけのノック』が遂に省かれ、『相手の意向を全く視野に含めるつもりのない訪問』に変わったかと嘆息する。 しかし書き物机から振り返り、シェインのその強張った表情を見るなり口から出た言葉は当初の予定から変更されていた。 「……どうした?」 「ユリアから連絡が来ない」 「……」 ふざけた表情以外滅多にすることのない宮廷魔術師の、苛立ったような表情にラウバルも息を飲む。 「……何か、あったのか」 「わからないから苛立っているのだ」 ふてくされたように言い捨て、シェインは窓際の長椅子にふんぞり返った。思わず椅子から立ち上がりながらラウバルは顎に手を当てる。 「……ぬかりはないのだろう?」 「あるわけがなかろう。仮に『遠見の鏡』を手放したとて、ユリアを守る魔法など重ねてかけてある。だが連絡がないのが気に入らぬ」 「忘れてるのかもしれぬぞ」 「そんなわけあるか。ユリアだぞ」 顰め面でぼやくシェインに、ユリアの身に切実な危険があれば何らかの形でシェインの魔法が発動することを確信し、ラウバルはとりあえず安心した。そうでなければ、ユリアを下にも置かぬほど大切にしているシェインの狼狽がこの程度で済むわけがない。職務など二の次、とっくにユリアを探して行方をくらましているに決まっている。 「……安全は、確かなのだな」 念を押すようなラウバルの言葉に、シェインは片方の眉を微かに上げてラウバルに視線を向けた。 「ユリアの生命は確実に保証しよう。この天才魔術師が全精力を傾けた魔法が発動する」 「ふむ」 ならば問題はあるまい。ふと気になってラウバルは尋ねてみた。 「『遠見の鏡』以外に、どのような魔法をかけたのだ」 「防御魔法だな。『光の壁』だ。俺がその場にいて、最強に発動させたのに匹敵する防御力があるはずだ」 それは凄まじい。ラウバルは思わず片手を額に当てた。さすが、『過保護』との風評は伊達ではない。 「お前とて楽ではなかろうに」 物質に魔力付与したのではなく、ユリアに対して防御魔法の発動をさせるのであれば、発動させた時にはシェインの魔力が消費される。 「ユリアに傷を負わせることを考えれば、大したことではないな」 言いながら両腕を頭の後ろで組む。それから僅かに顰め面をした。 「それから……空間移動の魔法だな」 「空間移動……」 ラウバルも僅かに顔を顰める。何か言いかけたその機先を制すようにシェインが続けた。 「出来れば発動して欲しくないのが本音だ。だからこそ、『遠見の鏡』を持たせた。発動することは、まずない」 空間移動の魔法に関しては、まだまだ研究段階にある、と言うのが現状だ。自由自在に行きたいところへ姿を現すなどとはほとんど伝説の域でしかない。現在完成されている形では、かつて行ったことのある場所へランダムに出現すると言う何とも不便なシロモノだ。つまり、ユリアにそれが発動された場合、レオノーラまたはシャインカルクへ戻ってくれれば問題はないが、どこへ姿を消すかわからないとあってはたまったものではない。魔法道具の中にはそれを可能とするものもあると聞いたことがあるが……。 「だが、生命を失うよりはましだろう。当面の危機を回避すると言う意味では応急処置的に最も効果があるからな」 ラウバルはほっと息を吐いた。書き物机に向けられていた椅子を引き寄せ、シェインの方へ向けて腰を下ろす。 「まあ、生命に別状が及ぶことはないと言うことは良くわかった。ならばそれほど不機嫌になることもなかろう」 「状況が読めぬのが嫌なのだ」 我侭を言うように言い放ち、シェインは組んだ腕を解くとぐしゃぐしゃと赤い髪をかき混ぜる。 「……それほど気にするのならば、やはり止めた方が賢明だったのではないか」 「止められるか。ああ見えてユリアは強情だ。止めだてしたところで、無理矢理抜け出して本当に行方不明になるのが関の山だろう」 それが言い訳だと言うことをラウバルは知っている。 「お前の魔力を持ってしてもか?」 「……」 「……カズキの旅は、必要以上に危険だ。わかっているだろうが」 冷淡とも言えるラウバルの言に、シェインは痛いところを突かれたように視線を落とした。ふてくされるような表情を浮かべ、ラウバルに背を向けて長椅子の上に上半身だけ横たえる。 「レガード様の身に何が起こったとしても、レガード様の姿をしたものが平然と旅をしておれば必ず何かを知っている人物が浮上する。それを陽動と言わずして何とする。言い換えてやろうか。それは、『囮』と言うのだ」 「……」 「レガード様に何かがあったのなら、そこに陥れた何者かが見過ごすはずがない」 シェインは長椅子に横たえた上半身を僅かに起こし、ラウバルの方へ顔を向けた。 「……なぜ、おぬしは見過ごした?」 「何をだ?」 わかっているくせに嘯くラウバルを睨みつける。 「俺がユリアを送り出すのを、だ。カズキが陽動であればレガードの二の舞にならぬとも言えぬだろうが」 「お前がユリアの味方についているからな。宮廷魔術師に刃向かうほど無謀ではない」 「ぬけぬけと。俺がそんな戯言を真に受けると思うか」 「ではお前は陽動とわかっていてなぜ送り出した」 「……」 シェインは盛大に顔を顰めた。 「俺に言わせるのか?……いずれにしても、ユリアには『王の証』を受けてもらわねばならぬからな」 ラウバルは何も答えずに続きを促す。 「……いつまでも蝶よ花よと閉じ込めて可愛がるわけにはいかぬ」 「……」 「……このままではユリアはいずれヴァルスそしてアルトガーデン初の女王であり女帝として君臨することになろう。強くなってもらわねばならぬ。良き主となる為に、国民の姿をその目で直に見詰め、何を必要とし、何を恐れているのか、王城にばかりいたのでは知ることは出来ぬ。……レガードが行方不明の今、『王の証』を受けるのはユリアしかいない。ユリアが『王家の塔』へ向かわねばならぬのは、必然だ。レガードが見付かれば良いのだがな。言いたくはないが、不確定要素は未来に含めて考えるべきではなかろう」 多少詭弁が入るのは承知である。シェインがユリアを止められなかった理由はもっと至極簡単なものだ。だが宮廷魔術師と言う立場にあればこそ、口にするにはいささか憚られる。恐らくは、ラウバルも。 「まったくだな」 「かと言って、アルトガーデンの広大な領土がひとりの娘に継承される瞬間を狙うハイエナどもがいる今、王や後継者が不在の城を俺やおぬしがおいそれと空けているわけにもいかぬ。『レガード』王子をスケープゴートにするわけではないがな……。ましてユリアは顔が知られているわけでは……」 そこでシェインは言葉を途切らせた。視線をラウバルに向ける。 「……レガード様が何者かに襲撃を受けたとして」 低く、ラウバルが応じる。レガードが『王の証』を受けることを阻みたいものは大勢いるだろう。アルトガーデンが手に入るのだから。だが。 「その者はなぜ、『レガード様を知っていた』のだろうな?」 「……」 ラウバルの言葉にシェインが目を見張る。 「……そう言うことか……」 「まだ確定したわけではないがな」 得心のいったシェインは舌打ちをした。 「権力欲しさに兄が弟を襲うとは、まさに腐ったゴブリンだなあやつは」 シェインの言い草にラウバルは微笑した。 「滅多なことを言うな。確定したわけではないと言っている」 「第2王子であるレガードはロンバルトの外交などにも公には参加していない。諸外国との会議の席に参加するわけでもない。つまりヴァルス以外の諸国に基本的に顔を知られておらぬのだ。レガードの身分、立場、状況を細かく知りえて尚且つ動機があると来ればもはや確定であろうが」 落ち着かないのか、シェインは長椅子から立ち上がって窓際に歩み寄った。窓の外に視線を向ける。冷たそうな風が中に招じ入れられるのを待つかのようにカタカタと窓を揺らした。 「だがあのぼんくらがレガードに勝てるとは思えぬな。背後にいるのは誰だ?」 「ロドリスに、奇妙な動きがある」 「奇妙な動き?」 「表立ってはいないのだがな。……バルザックが絡んでるやもしれぬ」 「何……」 シェインの顔色が微かに変わった。ラウバルが静かにその視線を受け止める。 「……どこぞに潜んでたと思ったら、このタイミングか」 「まったくだ。『青の魔術師』と手を組んだかな」 『青の魔術師』と聞いて、シェインは苦笑した。まだご対面をしたことはないが、ロドリス王国の宮廷魔術師はシェインに負けず劣らず、若いらしい。そして現存する唯一のエンチャンターだと聞いている。 エンチャンターとは物体への魔力付与を得意とする魔術師を指す。ソーサラーの中にはこの能力を多少持つ者も少数だがおり、シェインもまたそのひとりだ。だが、エンチャンターと言えるほどに強力な魔力付与を出来る能力を有する者は『青の魔術師』のみだと言う。 実際のところは、もうひとり優れたエンチャンターが存在してはいるのだが、その人物は既にエンチャンターとしての能力を己に禁じており、世間には既に忘れられようとしている。つまりはエンチャンターと言える魔術師は、『青の魔術師』唯一人だ。 「詳細は現在調べさせているがな……。『王家の塔』それからロドリス、この2つの報告が良からぬ結果をもたらさねば良いと思うのだが」 どちらからともなく沈黙した。しばし各々の考えに沈み込む。 「……王女に関しては情報を待つ他ないな。風の砂漠に派遣している調査隊が何か情報を持って来るかもしれぬ」 「ああ……」 頷いてシェインはふっと顔を上げた。 「誤解しないでもらいたいのだが」 「何だ?」 「……俺は、カズキを捨て駒にするつもりは、さらさらないぞ」 「ふむ」 「……シサーたちがついていれば、少なくとも大過はあるまい。その為に、彼らに協力を依頼したのだから」 またも、それぞれがそれぞれの思いに沈み込む沈黙が訪れた。 時が経過すると共に、気がかりは増えていく一方のような気がした。減る気配がなく、まるでそれは何かの前触れのようだ。 何か――アルトガーデンの激震に、繋がらねば良いが。 (……バルザックか……) 黒石のロッドを持つ、魔術師。……かつての友。 ラウバルは自分に永き生命を与えることとなった、バルザックとの間に横たわる因縁に思いを馳せた。 一方同じ頃、ロドリス王国の森の中に建てられた屋敷のその奥、薄暗い部屋の中で黒いローブを身に纏った老人は水晶球に映し出される光景を黙したまま見詰めていた。 3人の人影が険しい山道でジャイアントスコルピオンと戦っていた。バルザックの視線はそのひとり、剣を握る少年に向けられている。 (……違う……) 彼が探している人物に、似過ぎている。だが、違うことに彼は気づいていた。 (何者だ……?) 古代のエンチャンターが魔力を付与した水晶球は、使用する者の魔力に応じて様々な場面を映し出すことが可能だ。だが、彼の探す人物……ロンバルト公国第2王子レガードの行方だけは、なぜかそこに映し出すことがない。 代わりにギャヴァンの街で、このレガードに似過ぎている少年を見つけ出した。それから時折こうして追跡をしてはいるのだが、その正体は未だにわからない。 「レガードは、どこへ行ったのだ……」 低く、呻く。 レガードが見つからなくてもバルザック自身はさほど困りはしない。 だが、彼の『契約者』が、レガードの身柄を要求している。 青い瞳と青い髪を持つ若者の顔を思い浮かべた。明るい雰囲気の表情とは裏腹の、黒い悪意と野心。……『青の魔術師』セラフィ。 セラフィとの契約が成立しないことは、バルザックにとっても少々都合が良くない。また新しい計画を考え直さなければならなくなってしまう。 (レガードはもしや……奴の手元にいるのか?) このバルザックの魔力を持ってしてもレガードの行方が掴めないとなると、もはやそうとしか考えられない。バルザックからでさえ、その姿を隠しおおせるほどのプロテクトをかけられる人物にはひとりしか心当たりがない。 「まあ良い……。ともかくこの少年を追っていれば、レガードに辿り着くやもしれぬゆえな……」 やれやれ、と言うように首を微かに横に振ると、水晶球の映像を消失させた。立ち上がり、小さく呟く。 「待っているが良い。……ラウバル」 ◆ ◇ ◆ 火の爆ぜる音で目が覚めた。ぼんやりと目を開くと、辺りは既に暗い。体がひどく重く感じられて、ぼんやりとした頭で考える。 ……何だったっけ……? 途端、頭にジャイアントスコルピオンの姿が浮かんだ。切り飛ばされた尻尾。猛然と俺に向かってくる姿。思い出して慌てて、体を起こす。 「カズキ!!」 俺が目覚めたことに気がつき、焚き火のそばでシンとじっと座り込んでいたユリアが俺を呼んだ。 「俺……」 鈍い手応えだけがあったことは覚えている。そこから先、意識が暗転してしまって記憶にない。 「ジャイアントスコルピオンの毒を受けたんだ」 「毒……」 そうだった。結構回りが早くて視界が霞んでたっけ。 「『王女様』が解毒の魔法をかけてはくれたんだが、毒を受けると回復魔法を使っても倦怠感が残るだろう。もう少し休んで……」 言い掛けたシンが不意に言葉を途切らせる。空を見上げて顔を顰めた。 「……とも言っていられないようだ」 つられて空を見上げると、鈍く空を覆った雲から、たまりかねたように滴が落ちてくるところだった。……雨だ。 「凌げるところがあるか、ちょっと探ってくる。その……」 きょろっと辺りを見回し、ほんの少しだけ岩が迫り出している壁面を指した。辛うじて大人2人くらい入れるか、というスペース。 「岩場の陰にいろ」 「あ、俺も……」 慌てて体を起こすと、シンは冷淡に言い放った。 「足手纏いだ」 さいでっか……。 軽やかな身のこなしで足音も立てずに消えていくシンの背中を見送ってユリアを振り返る。促して岩陰に移動しながら、小さく首を傾げた。 ……もしかして。 勢いで一緒に行くとは言ったけど、良く考えたらユリアをひとりで放っておくわけにはいかないし、俺が本調子でないことを気遣ってくれたのかな……。 ……本当に足手纏いなのかもしれないけどさ。 先程降り出したばかりの大粒の雨は、あっと言う間に大降りになり、黄土色っぽい乾いた土は見る見る水を含んで濃い褐色へと変化していった。ところどころの僅かな窪みに水が溜り、降ってくる雨が飛沫を跳ね上げる。 ぶるっとユリアが体を震わせた。夜になって、まだ微かに残っていた大気中の温度は雨に奪われてどんどん気温が下がっていった。吐く息がうっすらと白い。俺は羽織っていたマントを外し、ユリアの細い肩にかけてやった。 「あ……カズキ、寒くない?」 もちろん寒い。 「俺は平気」 「ありがとう」 ユリアは俺を見上げてにこっと微笑んだ。 それから雨に視線を注ぐ。叩きつける激しい雨の音だけが世界を覆っていた。 「……カズキは、どんな世界に住んでいたの?」 ひどく広範囲な攻め方で質問されると些か答えに詰まる。どんな……どんな? こうして改めて考えると、俺は説明できるほどきちんと自分の住むその世界と言うものを把握していないことに気が付いた。例えば政治。例えば経済。国際交流。文化。 ひどく、恥ずかしいことのような気がする。 元の世界に帰れたら、もっといろんなことに興味を持って積極的に知識を取り入れようと密かに決心しつつ、俺は今の可能な範囲で説明を試みた。 「……ここと同じように、いくつもの国があって……俺はその中の、『日本』と言う国に住んでて」 「ニホン」 「そう」 『日本』と言う国名に該当する言葉がヴァルス語にないので、まんま発音すると、ユリアがたどたどしく復唱した。まさに外国人が口にするのと同じイントネーションと言うか言い方で、ちょっとおかしい。 「ここと違って、『日本』には国王がいない。代わりに『天皇』ってのがいるけど、『天皇』は何だろ、いわゆる国のシンボルって言うのかな……。直接政治には参加するわけじゃなくて、国を治めるのは別に『総理大臣』ってのがいて、他に政治家がいて……」 ユリアはちんぷんかんぷんな顔をした。 「基本的には身分制ってのはなくて、みんな平等ってことになってるから、『総理大臣』も血筋じゃない。選挙で国民から選ばれるんだ」 「国民が?」 「そう」 まあ、本当の意味で平等なのかどうかはさておき。代々政治家の家庭なんかは、こっちで言う貴族みたいなもんなんだろうし。 それから俺は、自分にわかる範囲で日本の体制や海外との関係、それから自分の周囲の学校や家庭なんかの環境を手短に話した。 「……そう。良い世界に住んでいるのね」 雨音をBGMにユリアがぽつりと呟く。顔を上げて俺を見つめた。翡翠色の瞳。 「行ってみたいわ、カズキの世界に。……カズキが生まれ育った場所を、見てみたい」 どきりとした。それは、ただの興味本位ってやつなんだろうけど。 でも……。 シサーの声が脳裏を過ぎる。 ――本格的に惚れたか? (……) これが、例えばただ海外とか……そう言う話なら。 ……彼女の言葉に対して、もっと気楽に「今度遊びにおいでよ」なんて……言えるのに。 そりゃあ、彼女の暮らすヴァルスに比べて決して美しいとは言わないけれど。俺の住む東京なんかは。 だけど、こことは違う何かはあるはずだし、ユリアと一緒に……あちこち遊びに行けたら。なんて。 (無理、だけどな……) シンは、まだ戻ってくる気配がない。雨はますます激しく地面を叩き、淡い窪みに出来ていた水溜りは許容量を越えて既に溢れ出していた。まるで道そのものが川のようになっている。 「……その、さ。俺、こっちの世界に来たじゃん?」 「うん」 「……例えば、ユリアが向こうに行くってこととかは……出来ないの?」 ユリアは黙ってかぶりを振った。 「元々、人間があちらとこちらを行き来するようなことは出来ないの。だからカズキを迎えに行ったのもレイアだったのよ。妖精族なら、然るべき手段を使えば可能だから。そうでなければレイアに魔術付与した道具を与えたりしないでシェインが自分で行ったと思うわ」 ……あの中庭に、真っ赤な髪に真っ赤な瞳で巨大なロッドと偉そうなローブを身につけたシェインが現れたら、やっぱり度肝抜くと思う、俺。 「カズキは、魔力でこちらに無理矢理引きずり込んだ。外へ押し返そうとする力が働くものに対して、中から引っ張ったのよ。外から無理矢理押し込もうとしても、無理」 つまり、あっちの世界でシェインみたいに導いてくれる……その、魔力ってかそういうのがある人がいて、ガイドしてくれれば可能ってことなのか。……って、待って。俺、帰れんの? 「大丈夫」 焦ったのが顔に出ていたのか、雨が作る小さな川を眺めていたユリアがふっとこちらを向いて吹き出した。 「元々あなたはあちらの人間なのだから。ぽんと外に押してさえあげれば、あっちの世界が元に戻そうと働きかけて引っ張ってくれる。……わたしは、異質だから、駄目」 「……そっか」 別に、期待しちゃいなかったけど。 帰りたいけど。……帰りたいって、思ってるけど。 帰っちゃったら、ユリアとは、お別れなんだな。多分……一生。 シサーやニーナ、レイア、シェインやキグナス、ラウバルら……みんなとも、もちろん。 そんなふうに思ってしまうと、本当に帰りたいのかどうかさえぼやけていきそうで、どきりとした。 「……カズキは少し、変わっているわね」 自分の世界、こっちの世界について思いを馳せていた俺は、不意に言われた言葉に顔を向けた。ユリアが俺を見てそっと微笑む。 「そう?」 「うん。魔物と戦う時に、迷っているように見えるわ」 「……ああ」 そうか。この世界では、魔物と戦うことなんか当たり前のことだ。怖がりこそすれ、その命を絶つことに怯えているなんてやつはきっといないに違いない。 そう思うと少しおかしくて、俺は小さく笑った。 「生きてんだなって、思うから」 「……?」 「魔物でも動物でも……人でも。生きてるのは、一緒じゃん……。俺は、死ぬのは怖い。俺が死ぬのが怖いんだから、きっと魔物もそうなんだろうと言う気がする」 「……」 「そこまでも考えちゃいないだろうけど、でもどこかでそう感じているから攻撃してくるし、抵抗する。……そう、思える」 血塗られていく手のひら。 けれどそれでも尚、今も思う。 俺は死にたくない。ユリアを守りたい。だから、それを知りながら剣を振るうことを決めた。けれど心のどこかで、まだ迷う。 「自分だったら、どう、思うだろう。……全てを自分に置き換えて考えるのはある意味傲慢なのかもしれないけど、相手の気持ちを量る目安のひとつにはなる。少なくとも自分が嫌で、つらいと感じることなら、相手も喜びはしないような気がする。……だから、迷う」 「でも……魔物だわ」 「……うん。魔物だね」 馬鹿なことを言ったような気がして、思わず笑った。けれどユリアはそんな俺を真顔で見つめていた。 「……怖いよ」 「え?」 「命を奪うのは」 「……」 「魔物でも、人でも何でも、それは相手の命を自分が決めているってことだ……。そんな重たいもの、俺には背負えない」 「……」 「だけど、俺も奪われたくないから、そうすると、背負わざるを得ないんだ」 因果だ。 奪われたくないと思わせる気持ちが、奪わせる。そして、背負わせる。――他者の命というものを。 負うものが増えて、背中が重たくなってくる。次第に手が、血にまみれて赤く染まる。 「……争いごとは、好きじゃない」 「そうね……」 「他者を傷つけてまで、俺は、生きようとする自分が怖い」 それきり、沈黙になった。ユリアも黙りこくっている。俺も、これ以上言葉を紡ぐのをやめた。 これ以上言葉を重ねてしまえば、それは、この世界に生きることそのものを否定することになりそうで。 雨が地面を叩く音だけが、響く。 「……カズキにばかり、危険な思いをさせて、ごめんね」 ユリアがぽつりと言った。顔を向けると、視線はどこか遠くを見ていた。ユリアの口から零れる息も、僅かに白い。 「俺は……」 傷つけることに慣れていく、この手。 だけど俺は、そうしなきゃならない。 ユリアを守りたいから。……ユリアの為じゃなく、ユリアのせいじゃなく、俺自身がそう望んでいる。 「……」 「ユリアに、約束したから。レガードを、見つけてあげるって」 「……」 「だから、平気」 雨に定めた視線の片隅で、ユリアが微かに頷くのが見えるような気がした。 2006/04/29 |
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