| ■ 24 大神殿の封印 ■ シャインカルク王城内の階段を、ラウバルはやや急ぎ足で降りていた。足の下で緑色の絨毯が柔かく衝撃を包み込む。 王城内の通路は基本的に2種類に分かれている。赤色の絨毯が敷かれた通路を歩くことが出来るのは王族のみだ。他国からの使者などは敬意を表して歩くことを許されるが、宰相であるラウバルさえ例外ではない。無論、王族に伴われて外出する場合はその限りではないが、その場合も王族より退いた位置から絨毯を外れて歩むのが普通である。 緑色の絨毯が敷かれた通路は、基本的には貴族階級の通り道だ。女官や下働きの者が行き来する場合も多々ある通路だが、絨毯の上を歩むことは許されていない。 階段を下りきって、ホールとなっている空間を足早に過ぎる。途中、十字路となっている角で通り掛かった女官が足を止めて膝を折った。階級上の者が通る時の礼儀である。 「きゃ……シェ、シェイン様」 「おっと、失礼……ラウバルッ」 恭しく俯いた女官の口から悲鳴に似た声が漏れた。次の瞬間その声はどぎまぎしたものに変わる。通路からラウバルを見かけたシェインが飛び出して来たのだ。 代々宮廷魔術師と言う貴族の中でも特権階級とさえ言える家柄にあり、若く、才気溢れるシェインの名前が女官たちの間で囁かれることもあると言う。黙って立ってれば、整った顔立ちに気品があるのだから頷けなくもないのだが。 (……黙って立っていれば、な……) 本性を知らないと言うことは全く美しい。 「そんなに急いでどうした」 女官に笑顔を残し、シェインは足早にラウバルのそばへと歩み寄った。今日はローブを身に纏っておらず、白いシャツに黒のパンツという至極シンプルなスタイルだ。書類仕事でもしていたのだろう。手に持ったロッドだけは相変わらずだが。 足を止めて振り返った姿勢のままラウバルは首を僅かに傾げた。 「急いでいるのはそちらに思えるが」 ラウバルのそばまで来て足を止めたシェインはきょとんとした顔で応じた。 「俺が?俺は別に急いでなどおらぬ。おぬしが急いでいたから、俺まで急ぐ羽目になった」 「……それは悪かった。何かあったのかと気を揉んだ」 「俺のセリフだ。そういう言葉が出るということはそういうわけではないのだな」 「ああ。大神殿に顔を出そうかと思ってな」 言いながら、一度止めた歩みを再開する。なぜかシェインまで並んで歩き出した。 「俺も行こう」 「……暇なのか」 「……失礼な。飽きただけだ」 やはり書類仕事らしい。居丈高に言い切ったシェインに小さく吹き出すと、シェインは横目でラウバルを睨んだ。 「何だかおぬしは俺と会話していると、俺を笑ってばかりいるな。もう少しよそでその表情を見せてやれ」 意外なことを言われて、ラウバルは微かに目を丸くする。その表情を読んでシェインは腕を組んだ。 「仏頂面ばかりしているから、『ラウバル殿は気難しい』などと言われる」 「怖いくらいがちょうど良かろう」 言いながら角を曲がろうとすると、シェインがぴたりと足を止めた。 「どうした?」 「街から行こう」 「街から?」 ファーラ大神殿は、レオノーラ内部にはない。レオノーラを出てやや南西に下った海沿いにあるのだ。だが政の要のひとりである大司祭が大神殿にいる為、シャインカルクから大神殿までは直結の通路が特別に設けられている。この為、王城からは街へ出ることなく、中庭を通じて大神殿へ向かうことが可能だ。要人が使用する通路である為、護りも堅い。 大神殿へ向かう際、ラウバルは常にこの通路を利用し、街へ出ることは滅多になかった。いつも通りそちらへ足を向けたのだが。 「シェイン」 「良いから」 シェインは構わず踵を返す。困惑しながらもラウバルはそれに従った。 「なぜ街からなど……」 「おぬしは街に出ることも滅多になかろう。いつもこーんな顔をしておるぞ」 言ってシェインはわざと極端にいかめつらしい顔を作った。ラウバルに関してはあながち間違いとも言えない。思わず吹き出す。 「そんな顔をしているか」 「しているな。その服で行く気か?」 言われて自分の服装を見下ろす。官服のままだ。身分の高い者、高位の役職にある者が大衆に顔を曝す場合には、身元を伏せるのが慣わしである。 行く気かも何も、行くつもりなどなかったのだとは言わず、ラウバルは黙って官服を示す上着を脱いだ。中に身につけている淡いブルーのシャツが露になる。 「邪魔だな。誰かに預からせよう。……おーい」 シェインは振り返って、先ほどすれ違った女官がまだ先ほどの場所からぼーっとこちらを見ていることに気が付いた。ひらひらと手を振る。 「は、はいッ」 「すまぬ。預かってくれ」 言って大股に数歩歩くと、まだ距離のある女官に向かってラウバルの上着を投げた。 「システィーナにでも預けておいてくれ」 システィーナとは女官長である。40を越えた女性で、仕事は出来るがいかめつらしさで言えばラウバルと良い勝負だ。 「か、かしこまりましたッ」 「行こう」 言ってさっさと歩き出すシェインの後に続いて王城を出る。門を守る衛兵たちが、ぎょっとしたように最敬礼をした。シェインがふらふらと出て行くのは見慣れたものだろうが、ラウバルと連れ立っていることに驚いたのだろう。 「歩いて行くのか」 「散歩だと思えば良い。たまにはゆっくりと外の空気を吸わねば気がおかしくなるぞ」 「……」 「特にここのところ、陰気な話しか舞い込んで来ぬからな。正直なところ頭が痛い」 そう言って微かに笑う。さすがのシェインも僅かに元気がないようだった。モナの海軍のことが気掛かりなのだろう。国を担う重鎮たちに意見を一蹴されたのがそれなりに堪えているらしい。ことがヴァルスの存亡に関わるだけに……。 「……」 シャインカルク城は街の中心部ではあるが入り組んだ場所にある。戦争の際に、仮に王都まで攻められようと一直線に大軍を送り込めぬように配慮されているのだ。国王がレオノーラから外へ出る時は、一度大神殿へ抜け出た後にそこから出立することが多い。 「……手応えは、どうだ?」 考え深げな視線を通りに落としていたラウバルは、顎に手を当てながら僅かに顔を傾けた。 「軍か?話にならぬな。ブレア将軍はともかく、スペンサー将軍が頑として国軍のギャヴァン派遣を認めようとしない。国軍将軍はブレア殿とは言え、スペンサー殿の方が長老ゆえな。地位としても禁軍将軍の方が上でもある。奴の首が縦に動かぬことにはブレア殿も身動きがとれぬ。……俺には軍を動かす権限などないからな。宙に浮いたままだ」 「そうか」 「ああ。このままでは遅かれ早かれ、危機的状況に晒されよう」 「私からも話してみよう」 「早急に頼みたいところだな」 宰相としてのラウバルの権限は、ヴァルスにおいてかなり強い。だが、政においてはその全てに及ぶ権力も、軍部となれば少々話は違う。地位から言えば国王に次ぐ立場にいるのだから軍部も言うことを聞かざるを得ないし、年齢で言ってもラウバルは誰よりも最年長なのだから理屈の上ではラウバルの命令は絶対なのだが。 軍部、特に禁軍はシャインカルクの中でも少々特殊なのだ。禁軍は『国王直営軍』との自負があるが為に、国王の命令以外は受け付けないと言う姿勢をとる。城内の縦社会における、将軍の自治部隊と言っても過言ではない。全くの別系統であるとは言え、国軍は意識の上では禁軍より下に位置する。禁軍将軍より国軍将軍が若ければ、尚のことその意志を無視することは難しいだろう。 「難しいかもしれぬがな」 禁軍を動かす国王は今や自分の体をベッドから起こすことさえ出来ぬ状態だ。意識不明の日も多い。もはやクレメンスは半月持つかどうか。……いや、良く持った方ではあるのだ。ガウナが心を砕いた延命が功を奏したとでも言おうか。 幾つかの角を曲がり、大通りに出た。色とりどりに着飾った婦人や若者が往来を華やかに闊歩する。その上品な活気に、ラウバルは久方ぶりに触れた。 ヴァルスの春は早い。冬はごく短い間だけで、既に仄かに春の気配が垣間見える。かと言って、地理を考えれば意外にも灼熱の暑さ、と言うわけでもない。ファーラの加護を一身に受けていると言われる所以だ。穏やかな気候は大地に豊穣な実りをもたらす。 柔らかな緑の香りを運ぶ風に、ラウバルの白銀の髪が踊った。黄色い衣服の女性が多いことに気がつき、ふと首を傾げる。 「何か意味があるのか」 「え?……ああ」 ラウバルの視線の意味に気がつき、シェインは苦笑した。 「今年は黄色が流行しているらしいな」 「シェイン!!」 答え終わるか終わらぬかのうちに、通りに果物籠を積んで商売をしている年配の女性から声が飛んだ。 身分を伏せる為に偽名を使う高級官吏も少なくないが、シェインは堂々と己の名前を公開しているらしい。さほど特殊な名前でもないからだろう。 「おう、メディア。どうだ、商売の調子は」 「おかげさんで」 気さくに歩み寄り、果物籠から1つ林檎に似たオレーアと言う果物を掴み取る。おもむろに齧り付いたシェインの手を、メディアと呼ばれた売り子の女性がぺしりと叩いた。 「お行儀が悪いよ」 言いながらも真剣に咎める様子はない。恐らく、シェインが時々大量に果物を買い込んで来て城内でバラ撒いているのはここから仕入れているのだろうとラウバルは推測をつけた。 「ところであんた、変な噂耳にしたんだけど、聞いても良いかい」 「何なりと」 しゃりしゃりとオレーアに齧り付いているシェインが頷くと、メディアは僅かに声を潜めて顔を近づけた。 「あんた、どこぞのお貴族様か何かなのかい」 「はあ?」 ラウバルは所在無くシェインとメディアのやり取りを静観していた。城外に出ることなど滅多にないので、街人とどう接して良いものか既に良くわからない。 「……そう言えなくもないがな。大したことでもないが。どこでそんなことを?」 綺麗に芯までバリバリと食べ終えたシェインが問い返すのを、「お前は野生の猿か」と思いながら眺める。 「『春霞の館』のミオが言ってたのさ」 シェインが出没する娼館のひとつだろう。ミオと言うのは馴染みの娼婦か。 「ミオが?」 ついでに指先までぺろっと舐めながらシェインが聞くと、メディアは軽く肩を竦めた。 「何でもあんたを嗅ぎ回ってる奴がいるって話さ。悪さしたんじゃないのかい」 「し過ぎていちいち覚えておれぬな」 「まったく、通りで物腰優雅だと思ったよ」 「おう。言わずとも気品とは滲み出るものだな」 「その割りに素行の悪さが目を引くからね。親御さんも嘆いてるんじゃないのかい」 「嘆き疲れて嘆くのをやめてしまったようだな」 嘯(うそぶ)くシェインに、メディアはくっくっと笑い、それからやや改まった。 「……お貴族様じゃあ、態度を改めた方が良いかねえ」 「いらぬ気遣いだ」 「そうかい?何にしても気をつけるんだよ」 「おう。……行こう」 毒気を当てられたように黙して2人を見守っていたラウバルを促して、シェインは再び雑踏に足を向けた。メディアに軽く会釈をしてそれに続く。 「……と言うように、思いもかけぬ情報を与えてくれる」 「……なるほどな」 シェインが情報通なわけだ。 「市井に流れる情報と言うのは侮れたものではない。民間人は危機に敏感だからな。安穏と護衛で堅められた王城の奥に巣食う人間よりよほどいろいろなことを知っている。罪のない噂話と言うのはもちろんあるが、時に驚くほど真実に酷迫した情報を持っていることもある。……場合によっては情報の出所は誰かの想像であったりもするが、真実を突いていたりもするからな」 街人が大神殿へ向かうのと同じルートを大通り沿いに歩く。レオノーラから出て草原へ抜けても、道々に設けられたファーラ像が守護してくれるので、道中魔物に襲われることはない。ゆえに『聖なる道』と呼ばれる。 爽やかな風と人々の活気が平和を象徴するようで、ラウバルは小さく欠伸をした。このところ仕事に追われていて、ゆっくりと休んでいる時間がない。 「嗅ぎ回られているとは穏やかじゃないな」 メディアの言葉を思い出して言う。尤も、宮廷魔術師の身を案じるほどお人良しではない。 「ああ、そのようだな」 屋台に目を奪われながらけろりと言ったシェインは軽く肩を竦めて続けた。 「ヴァルスの高位官で最も狙いやすいのは俺だろうからな。まったくない話ではない」 「……」 思わず沈黙する。『稀代の天才』と装飾までつく宮廷魔術師のどこをどうすれば『狙いやすい』のか。 ラウバルの沈黙を正確に理解して、シェインは前髪をばさっとかきあげながら答えた。 「こうもふらふら出歩いていれば、いくら身元を伏せようが筋の人間には自ずと漏れやすくもなる。シャインカルク城内にいる人間よりは街中をうろうろしている人間の方が狙いやすかろう。加えて人の噂には尾鰭がついていることもある」 つまり、軽い調子でふらふらと街を気安く出歩く宮廷魔術師など、噂ほど恐るるには足るまいと高を括るわけだ。確かに警護の堅い王城内部の人間を狙うのはそうそう出来ることではないし、そういう意味ではシェインが一番狙いやすいのだろう。……狙うだけ、ならばだ。手酷く返り討ちにあうのは目に見えている。 「ヴァルス周囲が水面下で慌しく利害を計算している。戦争が起こるのだとすれば、戦力は削るに越したことはなかろう。俺を狙う奴は増えるだろうな」 「ならば外出を控えた方が良いのではないか」 その忠告をシェインはさらりと一蹴した。 「これ以上控えていたら腐ってしまう」 大通りを歩く間に、シェインに声をかける人間は数多かった。他愛もない噂話から、ちょっと気にかかる情報まで幅広く入手する。 「おおーッシェイン!!!」 もうじき『聖なる道』へ差し掛かる辺りまで来て、小さな居酒屋前の路上テーブルで盛り上がっている一団のひとりが立ち上がった。明るい茶色の髪と抜けるような白い肌の若者だ。北部のどこかの国の出身の者だろうとラウバルは見当をつけた。ヴァルスには様々な国から人が流れ込んでいる。 「おう。ノース。盛り上がってるようだな。良いことでもあったか」 言いながらシェインはテーブルの上に広げられたフルーツや酒のつまみの盛り合わせに指を伸ばした。こうしてあちこちで摘み食いをして歩いているくせに、よくも太らないものだ。 「聞いてくれ!!ツェンカー自治領の新リーダーが決まったんだ!!」 「……何?」 シェインの視線がラウバルに微かに動く。それに答えて静かに首を横に振った。知らない。 「確かなのか?」 彼らはシェインが官職にあることを知らない。わざとフランクな調子で尚もつまみに手を伸ばしながら問うと、ノースと呼ばれた若者は照れたように頭を掻いた。 「へへ。実はまだ正式じゃないんだけどな。ほぼ確定だって話で」 「ほう?」 聞きながら頭を巡らせる。 ワインバーガ王国と並んでローレシア最北に位置するツェンカー独立自治領は、その呼ばれ方の通りどこの国にも属さず、国王も戴かない。いくつもの街から選ばれた代表者がそのツェンカーの政の中心人物となる。任期は5年。前リーダーのレオナードの任期がじき終わると言うことで、近々選挙が行われると言う話は聞いていた。 「ツェンカー北部の街ロドのアルディアと南部の小さな町ベイリアのルーベルトの一騎打ちになりそうだと言うことだったな。どちらなのだ」 「我らがルーベルトさッ」 「……ノースは、ベイリアの出身だったか?」 シェインの言葉に、ノースは誇らしげに鼻の下を擦った。 「もう、ノースったらこの前実家に戻って、その話を耳にしてから浮かれちゃって」 ノースの隣で呆れたように水色の髪の少女が言う。 「確か前評では、アルディアの方が有利だとか聞いていたが。ルーベルトは武力派だろう」 腕を組んで首を傾げたシェインに、ノースはびしりと人差し指を突きつけた。 「それが!!状況が変わったんだな!!」 武力派のルーベルトが当選確定と言うことは、まさかと思うがツェンカーもヴァルスへ戦争を挑もうとしているのだろうか。ツェンカーはかなりの破壊力を持つ重装歩兵を有している。戦力としては、かなり手強い相手と言えたはずだ。ワインバーガ王国との小さな紛争も絶えず、戦い慣れしてもいる。 暗澹たる気分になったラウバルだが、ノースの言葉は全く違う方向へと向かっていった。 「フレザイルの様子が気になってるんだ、ツェンカーは」 「フレザイルの?」 シェインが頓狂な声を上げた。恐らくラウバルと同じ方向に頭を廻らせていたのだろう。 「フレザイルが何だ?あそこには戦う相手がおらぬだろう」 「人はね」 「まさか……」 「トラファルガー……?」 シェインの後ろにひっそりと立っていたラウバルの呟きをしっかり受けて、ノースがびしりとシェインに突きつけた指をラウバルに向けた。 「まさしく!!」 「目覚めたのか?」 「や、それが良くわかんねーみたいなんだけどさ。時折、咆哮が聞こえるようになってるらしくって。まだ完全には眠りから覚めてないにしても、覚醒は近いんだろうって」 氷竜トラファルガーに備えて、武力派のリーダーが選ばれると言うわけか。ツェンカーはローレシアの中でもワインバーガやナタリアの一部と並んでフレザイルに近く、海の上に氷の大陸を望むことが出来る。トラファルガーが活動期に入って、その被害を最も受けるのは歴史を紐解いてもツェンカー地方だ。 「へっへー。そんなわけで、俺の故郷からリーダーが初めて出ることになりそうってわけだよッ。俺は鼻が高いよ……」 ノースはだぼだぼとグラスにエール酒を注ぎ足し、立ち上がったままそのグラスを天に翳した。 「かんぱーいッ」 「ほどほどにしとけよ」 苦笑してその場を離れる。道を逸れて『聖なる道』へと差し掛かると、人通りは急に絶えた。 「ツェンカー独立自治領も代替わりか」 「吉と出るか凶と出るか」 いずれにしても、正式に決定すれば外務官から報告は上がって来るだろう。情報を入手するシェインの手腕に、ラウバルは呆れて良いやら感心して良いやら区別がつかずに呟いた。 「……しかし見事なものだ」 「何もしておらぬが」 ただ歩いているだけで、あれほど声を掛けられ情報が寄せられるのは並大抵のことではない。ラウバルが頻繁に街に下りたとしたって不可能だろう。シェインならではではなかろうかと心で結論を下し、民衆間の情報収集はやはりシェインに一任しておこうと密かに決意する。 「王女の様子はどうだ」 石畳を敷いた、幅2エレ弱ほどの『聖なる道』はその両側に花が植え込まれている。気の早い花は既に蕾を膨らませ、今にも花開きそうに見えた。心地良い風が緩やかにその葉を揺らす。等間隔で植え込まれているホーレフの木がさらさらと囁いた。 「何やら地下に迷い込んでおるようだ」 「地下!?」 「大方誰かがどじを踏んだのだろう」 今、王女と共に旅をしている面々を思い出す。女性2名はともかくとして、男性3名はいずれも何らかのポカをしてもおかしくないような気がしたので、シェインが指すのが誰のことやら判別がつかない。 風の砂漠には確かに前人未踏のダンジョンや遺跡がまだ残っている。そのうちのひとつに迷い込んだと言うことだろうか。おいそれと間違えて迷い込めるような場所でもないはずだが。 「レガードの手掛かりがあるやもと思って入り込んだらしいな」 「そうか……」 「調査隊と遭遇したそうだぞ。じき戻るだろう」 草原に新しい緑が息吹き始め、ゆるゆると昼下がりにこうして大神殿への道を歩んでいると、ふと現状の忙しさを忘れそうな気がしてしまう。 現在、シェインの進言を受けて、使者を飛ばす各国の割り出しと使者の選出、そしてヴァルス領内の各町村への出兵準備の通達などを行っている。兵糧や武器、防具の調達も行っておかなければならない。キール島の海軍も、共有海域上のモナ海軍を刺激しないよう準備を進めるように通達してある。 モナかロドリスかと言う点はこの際置いておいても、いずれ必要になることは火を見るより明らかな為、この辺りについては重鎮たちも協力的だ。 「モナは、相変わらずか」 「……どう踏む?」 逆に問い返される。 シェインは、幾つかの国に間諜を飛ばしているはずだ。尤もこれは全くの個人の裁量でやっていることなので、その報酬は自らの懐から支払われている。よってどこの国に何人飛ばしているのかまでは関知していない。することでもない。 「私はお前と同意見だ」 「と言うと、モナは友軍ではないと」 「ああ。フレデリク公には一度だけお会いしたことがある」 「先の戦争の折りか?だが、あの時はおぬしは……」 遮るようにラウバルは首を横に振った。ナタリア・マカロフ戦争においては、ラウバルは出陣していない。シェインもまた同様だ。2人が戦陣に立つとすれば、それは直接ヴァルスに関わる大事にのみ限られる。 「いや、もっと公が幼少の頃だ。まだほんの6歳、7歳……そのくらいだったろうか」 モナに王子が誕生した際の祝いの席であったと記憶している。フレデリクの弟だ。クレメンスの代理人としてラウバルと当時の外務大臣が祝賀の為モナを訪問したのだった。その頃シェインもまだ10歳やそこらだろう。王城に出入りするようになるのはその6年後だ。 「ほう。どう見た」 「屈託のある方だと」 「……ほんの子供が?」 「ああ」 厳格な父王とフレデリクは確執があったと言う。厳しい教育を施されてきたフレデリクは、冷酷無比な寡黙な男として育った。幼いながらに、皮肉な色を瞳に浮かべていたことを覚えている。あの時、何やら寒いものを感じたその印象は見事に的中してしまったようだ。 「ヴァルスの政治にひどく興味を覚えていた。軍部に関して、或いは政治に関して、幾つもの鋭い質問を投げつけて来ていたな。外務大臣がまごついていたぞ。君主としての資質を感じた。いや……」 君主ではなく……。 「支配者か」 「そのように見受けられた。……風評では確かに、室内に籠もるのがお好きな物静かな青年と聞いている。柔和で、剣などろくに使えないと」 「ああ。一応、そのようになっているな」 「そう思わせるのが手なのだろう。しかもそれを、公位継承の遙か前から周囲に植えつけている。先見の明がある。……そして野心家だ」 「では俺の知る情報を曝そう」 シェインは硬い表情で視線を前に定めたまま言った。話の内容とは裏腹に、頭上を、春の訪れを告げる小鳥が囀りながら旋回する。 「新しい情報としては2つだ。まずひとつは、ロンバルトのレドリック殿下が行方不明だそうだ」 「では……」 「ああ。間違いなかろう。裏切り者はレドリックで確定だ。行き先はロドリス以外にあるまい」 「……。もうひとつは」 「モナは、ロドリスに使者を送った」 「何?」 「海軍を動かした翌日のことだ」 ラウバルの視線を感じているはずだが、シェインは前方に視線を固定したままで続けた。 「使者への対応及びその内容は不明。だが、明らかだな。モナはロドリスと手を結んだ。海軍の目的はヴァルス侵攻だ」 「その話を、スペンサー殿には……」 そこでようやくこちらに顔を向ける。険の浮いた表情だ。 「話すわけがないだろう。言ったところでどこまで信用するやら」 「拗ねている場合ではないぞ」 「拗ねているわけではない。告げれば情報の在り処を問われよう。情報源は、俺独自の情報網だ。果たしてその言葉を受けてスペンサーが動く気になると思うのか」 「……」 「我が国の重鎮たちは、自国の宮廷魔術師より他国との過去を重んじる風習があるようなのでな」 口調だけ聞いていればシェインが拗ねているようだが、言っている内容は真実だった。恐らく情報の出所はシェインの放った間諜だと言ったところで、鼻で笑われることだろう。その結末はラウバルにも想像がついた。 「だが、ますます火急となるな。挟撃される日が近くなる」 「まあ、一概にそうとも言えまいよ」 「同盟か?」 「ああ。モナから使者が送られようと、速急に返事はしてないだろう。相手がモナであればロドリスも慎重にならざるを得まい。自分の信用が置ける各国との同盟が成立せねば動くとは思えぬ。……その場合モナの動きはどうなるだろうな」 コツン、と足元の小石を蹴飛ばしてシェインが呟いた。答えは出ている。 「……単独で仕掛けてくるか」 「だろうな」 頷いて、僅かに首を横に振った。 「いや、事実そうなるかはわからぬが……せめてそうあって欲しいと願うのみだ」 モナは既に海軍を動かしている。だが思うようにロドリスは動かない。モナは焦るだろう。いつまでもぼんやりと海上に浮かんでいれば、開き直ったヴァルスから先制攻撃をくらいかねない。ロドリスの同盟成立まで果たして待てるだろうか。恐らく否、だ。ロドリスの重い腰を上げさせる為、そして信用を勝ち取る為、功を焦ってヴァルスに仕掛けてくる。 ……そしてまた、そうでなくてはヴァルスにも現状勝機がない。指導者のいない軍で勝利を収めるには、各個撃破するしかないのだ。 ◆ ◇ ◆ 大神殿は既に春であるかのように花が咲き乱れていた。美しく手入れされた庭は見る者の心を慰め、一時の平穏をその心に与える。 「やはりお出でになりましたか」 ラウバルがここへ来るのを感じていたのか、ガウナは既に大神殿の入り口に佇み迎え入れてくれた。尤も、シェインを伴っているとは思っていなかったらしく、小さな目を見開く。 「奥へ」 大神殿本堂へ続く入り口を回避し、廻る通路へ足を向ける。本堂沿いにしばらく進み、渡り廊下を通って更に奥へ向かった。 「アモル・オムニブス・イーデム。我が偉大なる主ファーラよ……封じられし扉を開きたまえ」 綺麗に整えられた木々の間を縫っていくと、大神殿の半分程度の大きさの堂がある。ファーラ大神殿に仕える司祭たちすらも立ち入ることの出来ない空間だ。何重にもガウナの護りの魔法が固められている。 白亜の石で出来た重い扉に向かってガウナが魔法の解除を発動させた。それからゆっくりと扉の取っ手に手をかける。開いた堂の内側にまずガウナが足を進めると、ラウバルとシェインもそれに従った。 中にあるのは、外から見れば意外なほど小さな部屋だ。天井こそ高いものの、床面積はほんの4畳程度である。入り口から正面には祭壇が置かれ、ファーラに奉納された供物や護符などが捧げられていた。両脇には太い柱を思わせる、やはり白亜の石棚があり、置かれた聖杯には聖水が注がれている。 そして……。 「『ストームブリンガー』か」 シェインが祭壇の後ろの壁の高い位置に視線を向けて呟いた。ここに入るのは初めてのはずだ。 「ああ」 白亜の壁の天井と床の中ほどの位置に、クリスタルで作られた透明の箱が固定されている。その中に閉じ込められた、闇色の巨大な諸刃の剣。――魔剣『ストームブリンガー』だ。 主が訪れたことを知ったのか、ストームブリンガーはキィィィ……と超音波のような高周波の僅かな音を立ててその身を微かに振動させた。呪われし魔剣が、己の欲求を主へと訴えかける。 ――血ヲ…… 「良く懐いているじゃないか」 口をへの字に曲げてシェインはストームブリンガーから目を逸らさずに呟いた。どう受け止めて良いものか迷い、ラウバルはその言を黙殺する。 ラウバルの知る限り、バルザックが執拗にラウバルを狙う理由のひとつがこれだった。黒衣の魔術師の望みは魔剣ストームブリンガーを手に入れること。……いや、前の持ち主はバルザックだったのだから、奪い返すこと、と言うべきなのだろうか。例えそれが不正に入手したのだとしても。 「いつ以来だ」 「グロダールだな」 「あれ以来か。さぞ腹が減ったことだろう」 「……」 ストームブリンガーは、己の意志で血を求める。そしてその刃を埋めた相手の生命を吸い取り、己が主に注ぎ込むのだ。主の方が剣に負ければ、ストームブリンガーの意のまま、ただの殺戮者と化すだろう。 現在の持ち主はラウバル。本来召還師とは、己の生命を削り、召還獣を呼び出して使役する為短命となるのだが、ラウバルの場合はストームブリンガーによって永き生命をもたらされていた。ラウバルの生命を繋いでいるのは、これまで手にかけて葬り去った生命だ。 そんな己を忌み、ラウバルは大神殿にこの壊すことも捨てることもままならぬ剣を封じた。持ち出すのは、戦場のみ。普段はごく普通のバスタード・ソードを帯剣している。 ふと、ユリアの曇った顔が浮かんだ。なぜラウバルがこの剣を持つのか、忌み嫌いながらも手放すことをしないのか、込み入った理由をユリアは知らない。知るのはガウナのみだ。だが、シェインにしろユリアにしろ、ラウバルの長寿の秘密がストームブリンガーにあることは元より承知である。 自己の手で断ち切った生命を取り込み、生命を繋ぐことに苦しむラウバルを知り、ユリアはラウバルがこの剣を握って戦いに出る時、悲しい顔をする。優しい王女だと思う。 「守護を、強化することは出来ますか」 静かにガウナに問う。入り口間際で2人を見守っていたガウナは、小さく頷いた。 「私で出来る範囲は越えておりますけれども。大教皇にお願いすれば、可能でしょう」 「大教皇のお力をお貸しいただけるよう……お願い出来ますか」 「やってみましょう」 言ってガウナはゆっくりと奥の壁へと歩み寄った。その壁を節くれ立った手でそっと撫ぜる。その奥にもうひとつある、完全に封じられた部屋へと意識を向けた。 「ここに封じられし者も……暴れ出さないとは限りませんからね……」 振り返ってラウバルを穏やかな表情で見つめる。 「念を入れ過ぎるということはありません。可能な限り早い対応を心掛けます」 「お願いします」 「……戦の際には、お持ちになるのですね?」 ユリアと同じ、悲しい瞳をガウナはラウバルに向けた。シェインは口を挟まずに黙って2人を見つめる。ラウバルはその視線に応えて静かに頷いた。 「……はい」 「呪われし永き生命を繋ぐ為に……」 首肯する。 「義務が……誓いが、ありますから」 2006/06/03 |
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