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推奨時期:第2部第1章を読み終えてからの方が良いかも知れません、微妙に。 |
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■ QUEST ex6 夢のつづき ■ ● 1 ● 「ジーフッ。おーい、カイル。あのくそガキ、どこ行ったあ?」 「うわあッ。誰だ、壷の水飴をスライムと入れ替えたのーッ」 「……」 息子を探すクロードの声に重ねるように、調理場の方から雄叫びが上がる。答えようとテーブルから顔を上げたカイルは、思わず言葉を飲み込んだ。 ギャヴァンギルドは、構成員を50人以上抱える盗賊団である。保有する私財を街の振興に役立て、古くからこの街に根ざして街と共に成長してきたその組織は、ギャヴァンと言う一地方都市を盛り立てた陰役者でもあった。 だが、所詮はならず者の集まり、盗みや暗殺を請け負い生業とする彼らを恐れる街人は少なくはない。 「……またあの馬鹿ガキか」 「頭に似て人をからかう才に長けてるようで」 カイルの言葉に、ギルドの頭クロードは同い年の友人を睨みつけた。その視線を受けて、カイルは首を竦めた。 「俺は食物の壷にスライムなんぞ入れたりしなかったぞ」 「代わりに治癒の粉と赤唐辛子の粉を入れ替えたんだよな」 冷静なカイルの言葉に、クロードはぐっと押し黙った。『血は争えない』と言われているようだ。 「と、とにかくだな……あいつはまだまだ子供でいかん。お前たちが甘やかすからだぞ」 半ば無理矢理息子――ジフリザーグに話を戻して咳払いをしたクロードの言葉に、カイルも思わず苦笑を浮かべた。 「可愛がられてるからな」 「可愛がるのと甘やかすのは別問題だろう」 顰め面で、クロードは手に持った大きな籠をテーブルの上に置いた。今更ながらその存在に気づき、カイルが首を傾げる。 「クロード。何だ?それは……」 言いながら立ち上がって覗き込んだカイルは、そのまま絶句した。 「……」 「ジフもこいつで、少しは自覚が出てくれりゃいいんだがな」 「アリス。俺の心に真実届くのは君の愛と笑顔だけだよ」 壁に背中を預け、一見して娼婦として生計を立てているとわかる女性を囲むように両手を壁について、エスタシークが甘い言葉を投げかける。女性の顔には少々、不機嫌さが滲んでいた。 「考えてもごらん。月さえ君の前では恥じらってその姿を隠すほど美しい君がそばにいてくれると言うのに、他の女性に心を揺らすなどと言う過ちをこの俺が冒すなんてことは……」 「よくもまあ次から次へとそんなセリフが出てくるなぁ。聞いてるこっちが歯が浮く」 鋭利かつ繊細に整ったエスタシークの顔が、ぎくりと固まる。恐る恐る振り返ると、良く見知った少年が呆れたような顔で立っていた。 「ジフ……いつからそこに」 「『俺の心に届くのは』あたりから」 全く気づかなかった。いくら目の前の女性の機嫌を直すのに夢中だったとは言え、エスタシークは現役の盗賊である。気配を隠し通すのは並のことではない。 「まーったく良く飽きもせずに次々と新しい女引っかけるな。そういう恥ずかしいセリフはどこから仕込んでくるんだ?」 「馬鹿ッ」 ジフリザーグの言葉に、エスタシークの顔色が変わる。次の瞬間、預けていた壁から身を起こした女性が、鬼のような形相でエスタシークの頬に平手打ちを叩き込んだ。 「さいていッッッッ」 ばしんッ。 「あーあ。大丈夫か?」 自分のせいのくせに心配げな顔で覗き込む少年を、エスタシークは恨めしげな目で睨みつけた。 「ジフのせいだぞ」 「どうせ他にもいっぱいいるんだから、ひとりくらい、いなくなったってどうってことねーだろー?」 齢14歳の彼は、まだ色恋沙汰よりわくわくする何かの方が興味がある。いや、エスタシークが初めて女性と夜を過ごしたのは11の時だから、ジフリザーグはいささか幼いのだろうか。……エスタシークが早熟と言う説もあるが。 ため息をついて、エスタシークはジフリザーグに苦情を投げつけた。 「ジフがそうやって片っ端から壊してくれるものだから、俺の周囲からどんどん女神が減るじゃないか」 「……女神とか言う神経が、まずわかんねぇ」 「ばーか、お前まだガキだなー。女の良さがわからんとは」 やれやれとこれみよがしに肩を竦めるエスタシークにかちんと来て、歩き出したそのふくらはぎを軽く蹴ってやる。 「べっつに、わかりたかないねー、俺は。うるせーだけ……」 言いかけた言葉が、不自然に途切れたことに気づいてエスタシークが振り返ると、ジフリザーグが地面に伸びていた。その上に張り付くようにしてしがみついた武器屋のひとり娘――メアリが、罪のない顔でエスタシークを見上げている。 「……ジフ。人の恋路を邪魔しておいて、自分はラブシーンか?」 「これのどこがだよッッッ!?!?!?」 確かにうつ伏せに地面に張り付いて、背中に幼女がのしかかっているのを『ラブシーン』とするならば、特殊な嗜好があるとしか思えない。 「どけよ馬鹿チビッ」 「何だとおおお!?」 じたばたとメアリから逃れようとするジフと、それにつかみかかるメアリを見ながら、エスタシークも思わず笑いがこぼれる。 避けようと思えば最初から避けられるものを、甘んじて受けてしまう辺り、ジフリザーグも甘い。 ようやくメアリを振り払って立ち上がったジフリザーグと、そのまままとわりついてくるメアリを引き連れて歩き出しながら、エスタシークはふとジフリザーグを見下ろした。 「ジフは、やるのか?」 「あん?何を?」 「ほら、何か頭が騒いでただろ。フラウ侵略戦争のさ……」 「ああ……」 足元の石ころを蹴飛ばしながら、ジフリザーグが気のない声で答えた。 「やるわけ、ねーじゃん」 フラウは、モナ公国にある一地方だ。隣国リトリアと国境を接している為に常にその脅威にさらされているのだが、数十年前に危うくリトリア併合の憂き目を見るところだった。 辛うじて侵略を免れたものの、フラウ地方の辺境にひっそりとあったドワーフの村を筆頭にいくつかの町や村が姿を消した。 その折りの戦争を地方にちなんでフラウ侵略戦争と呼ぶが、その際にドワーフの村から消えたと言う財貨の行方を示した書物を手に入れたのだとクロードが騒いでいたのは、つい3日ほど前のことだ。 ドワーフと言えば美しいものに目がなく、その審美眼は確かである。加えて自ら価値あるものを生み出す才に恵まれており、そんな彼らの村から消えた財貨となればかなりの価値があるに違いなかった。 当然目の色を変えたクロードは、早速その宝の行方を追う気でいる。 とは言え、現段階ではまだその書物に関して何もわかっていないし、見た限りでも書物からして揃っていないようなのだから……まずは、手がかりとなるはずの書物の行方を追うことから始まるのだろう。手始めに多分、フラウのドワーフの集落があったところだろうか。 「まーたそんなやる気のないことを言う。シドが泣くぞ」 「やる気がねーの。俺は。何でシドが泣くんだよ」 「ジフと一緒にフラウの宝を解き明かしたいみたいだなー。あいつ、ジフのこと可愛がってるから」 「……」 ぐいぐいと腕を引っ張るメアリと仕方なく手を繋いでやりながら、ジフリザーグはため息を吐き出した。 クロードは、自分にとっては良い父だとは思う。大雑把でいい加減で女と金に目がないと来ているが、ギルドの頭らしく度胸があり人を仕切る力がある。行動力があり、腕も確かだ。そして自分に対しては父としての威厳を持った態度で接することもあれば、友人のように同じ目線に立ってくれることもある。 けれど……。 「なんだ、ジフは仕事すんのが嫌なのかあ?」 繋いだ手をくいっと引っ張りながら、メアリが生意気な口調で言う。それに憮然としたまま答えないジフリザーグに、エスタシークは苦笑を浮かべた。 「それじゃあ怠け者だぞ?」 「うーるせーなあ。あー、俺は怠け者で仕事すんのがヤなんだよッ」 「あたしは楽しいぞぉ。とーちゃんにいっぱい武器の使い方教えてもらって、怠け者を片づけてやるんだ」 「……お前、本当に俺に武器を向けそうで怖ぇよ」 楽しくなったのか、無邪気な笑顔でメアリがばしばしとジフリザーグの腕を叩く。「痛ぇなぁ」と顰め面をするジフリザーグをちらっと見遣って、エスタシークはぼそっと口を開いた。 「いずれは、お前が継ぐんだぞ?」 「……そんな気、ねぇもん」 「……」 一流の盗賊となるには、当然それに見合ったスキルが必要である。自然に身に付くような種類のものではないし、身につけるには相応の修行や訓練が必要となる。 ギルドの頭の息子として生まれ、ギルド内で育ったと言う環境柄、ジフリザーグは幼少の頃からそれを叩き込まれて来ているが、、ここ数年になってサボりがちなようだ。それが稼業を継ぎたくない、と言う意志の表れなのだろうとは感じていたが……。 (向いてるとは、思うんだがな……) ほっそりした顎に手をやって無意味に親指で撫でながら、メアリとふざけているジフリザーグに目をやる。 才能、とでも言うのだろうか。エスタシークが垣間見た限りでは、ジフリザーグは恐ろしく飲み込みが早く、勘が良かった。頭で考えるより先に体が覚えていく、と言うような感じだ。当然構成員には可愛がられているし、クロードの跡継ぎとしては文句なしだろうと思えば、本人にやる気がないのは非常に惜しい。 と言って、本人が嫌がるものを無理にやらせたいとも思わないのだけれど……。 「馬鹿、やめろよッ」 メアリに髪をぐしゃぐしゃとかき回されて苦笑いを浮かべる跡取りに視線を注ぎながら、エスタシークは複雑な表情で額にかかる前髪をかきあげた。 生温い海風が、柔らかな深みを帯びた赤毛の髪をさらおうと手を伸ばす。 風に吹かれるままに任せ、ジフリザーグは目を細めて両膝の上で組んだ両腕に顎をもたせ掛けた。 街の西側のこの崖はかなりの高度があり、面した海を遙か遠くまで見晴らせる。水平線は空の青と海の碧が溶け合い、太陽の光を白く反射していた。もうすぐ日が沈み始めれば、松明のような赤い光が海の上を染めて輝くだろう。 (跡継ぎか) 因果な言葉だ。本人の意志に関わらず、生まれた環境によって定められている人生の方向性。 (俺、やだなあ……) 心の中でこぼしてから、ふうっと大きく息を吐く。 ジフリザーグは、ギャヴァンと言う街が好きだった。まるで生身の家族のように、ギャヴァンと言う街を愛し、大切に思っている。 そしてそれゆえに、今のギルドの在り方に抵抗を感じずにいられない。 ギルドは、街に大きく貢献をしている。財を街に投じるギルドに対し、人々は感謝の念を示す。 けれどそれは『親愛』ではなく『畏怖』なのだ。 街を支え、力を与えるその一方で盗みを犯し、暗殺を請け負う。犯罪者の総元締めのような立場に立つギルドにはどうしたってならず者のイメージがついて回り、出来るなら関わりたくないと人々は思う。 果たして、それで良いのだろうか、と言う疑念が頭について、離れない。 街と共に歩み育ってきた組織なのだから、人々に愛され街に溶け込むギルドであるべきではないのだろうか。もっと違う在り方がないのだろうか。 『盗賊』と一口に言っても、悪行を行う者と、冒険者などと共に活動してスキルを生かす者とがいる。盗賊ギルドと言う組織である以上、属する者は『職業盗賊』であるべきではないのだろうか。ギャヴァンの盗賊ギルドの現在の在り様で言えば、その双方が混在し、区別がつかない。 しかし、簡単に盗みや殺しを制限することで片づく話ではない。それらの依頼はギルドと言う組織に対して持ち込まれることもあるが、往々にして個人の裁量で請け負うことも少なくはない。当然報酬は個人の懐に入り、構成員にとっては良い小遣い稼ぎとなる。それを制限すれば不満が出るだろう。ギルドが制している盗賊や闇稼業の人間たちも、上納も捻出出来なくなる。そう言ったギルドの資金源も、もちろん軽視出来る問題ではない。制限することにより発生するマイナスを、どこから供給するのか。 それに、これまで根深く染み込んでいるギルドへの恐怖感は、一朝一夕に拭えるものでもない。人々に恐れを抱かせる仕事を廃し、それに対する補償も行い、尚且つ人々の生活への目に見える貢献がなければ、簡単に払拭出来るものでもないのだ。 ジフリザーグが跡を継ぎ、今のギルドの在り方に納得がいかないと言うのであれば、ジフリザーグがそれを考え、徹底させねばならないことになる。 それも、気の荒い盗賊たちを相手に。 14歳。もう子供ではない。一人前に仕事をすべき年齢だ。親が稼業を営んでおり、将来それを受け継ぐべき立場にいるのならば、尚更父の片腕となって働くべきだとはわかっている。 わかってはいるが、どうしても踏ん切りがつけられない。 考え込むジフリザーグの髪を、今度は先ほどより幾分海上の冷気をはらんだ海風が優しく撫でた。 (……) 黙って立ち上がったジフリザーグは、そのまま道を下って丘を離れると港とは逆方向の海岸へと足を向けた。こちらはなだらかになっている湾岸とは違い、切り立った険しい岩場が連立している。穿たれた穴は奥底まで続き、洞穴の相を呈しているものも少なくない。 そのうちのひとつ、最も奥まった場所にある深く広い洞穴に足を踏み入れる。 「また来たのか」 洞穴の奥から、しわがれた声が投げかけられた。ちらりと目を上げ、仄かに明るさのある奥へと進んでいく。 「もう日が沈むぞ。子供は家に帰れ」 その言葉にも無言で答えたジフリザーグは、勝手に椅子代わりとなっている岩場の突起に腰を下ろした。その姿を呆れたような目線で見送るのは、この洞穴にいつの間にか棲みつくようになった老人だ。 ジフリザーグはその老人の素性を知らない。名前も知らない。 ただ、その澄んだ目を信じて、ひとりになりたい時はこの老人のそばを訪れる。ギルドの人間が、ジフリザーグを愛してくれていることはわかっている。だが、その期待を素直に受け入れられない自分を知る彼は、その場所が重く感じることがあった。 老人もまた、ジフリザーグの素性を知らない。 「帰らねー……」 言いながら、ずるずると背中を堅い岩壁に預ける。何を思ってこの老人がこんなところに棲みついたのかはわからないが、老人は時折ふらりと姿を消す。不思議な人物だ。古びたロッドを持っているから魔術師なのだろうと予想はつくが、魔法を使ったところを見たことがない。 「親御さんが心配しよう」 言いながらも老人は、ジフリザーグを受け入れる為に火を焚いた。洞穴の隅から湧き出る清水を鍋に注ぎ、火にかける。 「心配なんか、しねーよ」 思わず小さく笑った。ギルドがバックにいるジフリザーグに妙な真似をするような人間は、この街にはいまい。彼らは、ギルドの恐ろしさを知っている。ジフリザーグに手を出すことは、ギルドを敵に回すことに他ならない。 それに、ギルドの人間もしくはギルドに仕切られている闇稼業の人間は至る所にいる。ジフリザーグを助けてくれる人間には事欠かない。それを知っているクロードが、ジフリザーグの心配などする理由がない。 「ほう?」 老人は、それ以上は尋ねなかった。鍋の上に手を翳し、水の沸き具合を窺っている。 「では逆に甘やかされておると言うことじゃな」 その言葉に、ジフリザーグは吹き出した。それは確かにその通りだ。自分は甘やかされている。 「うん」 素直に頷くと、老人はくっくっ……と肩を揺らして笑った。 「俺、凄ぇ甘やかされてると思う」 「ほお」 「周りの人が大事にしてくれてるから」 それは、良く知っているのだ。 知っているからこそ……。 「意外と、大人じゃないか」 「どこが?」 「自分が甘やかされ愛されていることを知り、認めることは、周囲の人間への感謝に繋がろう。それを知り認めていなければ、感謝の念を示すことさえ出来まい。本当の子供には、愛され甘やかされていることを認めることはなかなか出来ないものだ。……事実を冷静に認めることは自分を客観視することに繋がり、それは人間関係の向上を図る為には必要不可欠だな」 「……」 老人の言葉に、ジフリザーグは短く沈黙した。構わずに老人は、鍋を火から取り上げる。手近なマグカップを引き寄せ湯を注ぐと、その中に葉を浮かべた。葉の成分が湯に溶け出し、変わった風味と香りのする茶だ。どこか別の大陸の飲み物だと言う。 「ありがとう」 礼を言いながら受け取って、ジフリザーグは湯に浮かぶ葉をぼんやりと見つめた。 「周囲の人間に、感謝はしてるさ。でも……」 「……」 「それに報いる為には、その期待に応えるしかねーのかな」 老人が、黙って目を上げる。 「周囲の人間が、俺に何を期待してるのかは知ってるんだよ。感謝もしてる。だから応えたいとは思う。でも、今のままじゃ俺には納得が出来ねーんだ。嫌なんだよ」 「……」 「応えることでしか、報いることは出来ねーのかな」 真っ直ぐな眼差しで問いかけるジフリザーグに、老人は嘆息してカップの茶を一口啜った。 「周囲の人間がお前に何を期待しているのかは知らぬが、お前が本心では嫌だと思っていることを報いる為だけに行うことを期待してはいまい。お前が望むことが、周囲の人間の望むことであることを期待しているのだろう」 「……」 「けれどそこが一致しないことは、間々ある。お前を本当に大切に思う人は、お前が自分を曲げてまでその期待に沿おうとすることは望むまい」 ジフリザーグは答えずに、膝を抱えた。カップに口をつける。 「だが、お前がそれでも応えたいと思うのなら、周囲の期待とお前の望みが重なるように努力すれば良いのではないか」 「……」 周囲の期待と、自分の望み。 ギルドを継いで、その在り方を変えることか。 「出来んのかなー」 「やってみねばわかるまい」 やってみなければわからない、か。 それは確かにその通りなのだけど。 「青いのぉ〜。青い、青い。かーっかっかっか。このヒヨッコが」 「……じじぃ」 「若いのだから、悩み、迷え。それが全て、いつかお前の成長の糧となろう」 肩を揺らして意地悪く笑う老人に、思わずため息をついた。 「いつになったら悩まずに済むんだろなー」 「悩みは尽きず迷いは果てない。いくつになっても日々学ぶことがある。悩まずに済む日など来るはずもない」 「じじぃくらいの年齢なったら、いーかげん悩むネタにもつきてんだろ?」 老人の言葉に顔を顰めながら言ったジフリザーグの頭が、ゴンとロッドで殴られた。 「いてぇーーーーッ」 「まずは年長者に対する礼を身につけることじゃなッふんッ」 殴られた頭を押さえつけながら、視線を床に落としてまたため息をつく。 ……そろそろ、何らかの形で覚悟を決めなければならないだろう。 自分の手で、自分の納得出来る未来を形作る為に。 ● 2 ● ギルドの息子、となれば、一般階級以上の市民の子供たちが近づいてくることはまずない。 とは言え、どんな街にも素行が決して良いとは言えないような子供たちがおり、そう言う子供たちはそういう種類で固まるものだ。 増してジフリザーグは、一般のゴロツキやチンピラとはわけが違う。筋金入りの裏稼業の跡取りである。ゆえに、本人が望むと望まざると関わらず、ジフリザーグの周囲にはそういった種類の少年ばかりが集まる羽目になる。別にジフリザーグにとって悪い奴らではないし、それはそれで構わないのだが。 翌朝、海岸の洞窟から起き出したジフリザーグは、街中の一角で少年たちと雑談に興じていた。メアリが慌ただしく駆けてきたのは、その日の昼過ぎのことである。 「ジフッ。大変大変大変ッ。お願い、助けてッ」 いつもこまっしゃくれた顔をしているくせに、今は年相応の頼りない顔を不安げに歪めている。 「あん?何だよ」 「お願い、ジフのおとーさんとかエスティとかにお願いして!!」 早口で泣き出しそうに言われて、目を丸くする。どうやら、ただごとではなさそうだ。 「急ぐのか?」 「とっても」 「わかった。じゃー向かいながら話せよ」 「うん」 友人たちに別れを告げて、ギルドの方向へと小走りに駆け出しながらメアリを促す。 「何だよ?何があった?」 「あのね、ジークフリートが大変なのッ」 ジークフリートは靴屋の息子だったか。生意気そうな、そばかすだらけの顔を思い浮かべる。 たどたどしく話すメアリの話を総合すると、こうだった。 ギャヴァンを出て北西に道沿いに、大人の足で歩いて2時間半ほどの場所に林と言えるだけの木々が連立している箇所がある。そこに宝がある、とジークフリートが言い出したのだそうだ。 「ウチの店に買い物に来た客が話してたんだよ。何でも、どっかから流れて来た冒険者が、手に入れた宝をあの林ん中に捨ててったらしいって」 確かめてみよう、と言う言葉に、近所の子供たちが朝から集まって何人かでその林まで向かったらしい。 昼間とは言え魔物の徘徊するこのご時世、子供だけで街を出ることは当然禁止されている。宝探しもさることながら、親の目を盗んで……と言うのは子供心をくすぐるものだ。 ジークフリートの話がガセであれば、子供たちの冒険はそこで終わったのだろう。 だが、ことはそれだけでは済まなかった。 林まで無事到着した彼らは、冒険と称して林の中に入り込んだ。けれど奥まで入るのはさすがに勇気がいる。林に入ってまだほんの数分と言うところで怖じ気づいた彼らに、通りがかった通行人が木々の隙間から垣間見える子供たちに声をかけた。 「おおい。何してるんだ」 「あ、大人だよ。怒られるかな」 「それ以上奥に行くと、魔物が出るぞ」 その言葉に、子供たちはぎょっとした。 「何でも、どっかその辺に開いてる穴に、冒険者がカオスアイテムを捨ててったそうだ。何人かが襲われてる。早く帰れ」 子供たちに戦慄が走る。カオスアイテム――何らかの形で呪われているアイテムだ。 言うだけ言ってさっさと通行人が姿を消すと、子供たちは顔を見合わせて林の外へ向かって駆けだした。 そんな中、ジークフリートが足を滑らせたのだ。……そう。よりによって『その辺に開いている縦穴』に。 まさか、見捨てて帰るわけにはいかない。子供たちは何とかジークフリートを救い出そうと知恵を絞ったが、良い手段もなければ道具もない。 聞けば、穴は横にずっと続いていて、その先からは外の明かりらしき光がこぼれている。ずっとたどって行けば、出られるのかもしれない。 が……。 「明かりに向かって少し歩くと、先の方の道の途中に何かが落ちてるのが見えるんだって。その……何か箱みたいなのが」 「それがカオスアイテムってか?」 ジフリザーグの言葉に、メアリは眉根をきゅっと寄せて顔を左右に振った。否定ではなく「わからない」の意だろう。 「かもしれないと思って、落ちた場所からは動かないように言ったの。近づいたら、何か起こるかもしれないでしょ?ジークも竦んじゃって、動けないみたいだし」 「賢明だな……」 だが、近づかなければ何も起こらないと言う保証はない。 「他の奴らは帰したのか?」 「うん……ほとんどは。ジークと仲の良いアルスとルーシーは残ってる」 「ふうん。わかった。何とかしてやるからお前は家に帰ってろ」 メアリと途中で別れ、ジフリザーグは最も近い位置にあるギルド支部を訪れた。本部は街のかなり外れにあり、それとは別に詰め所のようなものが街中に2箇所ある。 一見ごく普通の倉庫を装ったそれは、1階の隠し扉からギルド支部へと入ることが出来る。 「誰かいるか?」 言いながら中に飛び込むと、ギルド構成員のひとりであるシドが、のんびりとコインの数を数えていた。 「おっと、ぼっちゃん」 「……ぼっちゃんってゆーのはやめてくれ。他の人は?」 「下にカイルがいますよ。どうしたんすか?」 「シド、ここはカイルに任せて俺と来てくれ。……みんな、どこ出払っちゃったんだよ?」 「本部と第2支部にもいるでしょう。あ、ちなみに頭はいねーすよ。例のフラウの件で、出てっちゃったみてーすから」 本部や第2支部まで行っていたら、どんどん遅くなる。穴に落ちた子供を助けるだけなら、シドの手を借りれば何とかなるだろう。 「いーや。シド、頼む。一緒に来てくれ。ツールは持ってるな?」 盗賊の携帯道具のことである。シドが頷くのを確認し、ジフリザーグは階下に呼びかけた。 「カイル!!」 「ああ、ジフ。来てたのか」 「ちとシドを借りる。ここを頼んだ」 言うなり、カイルの返事を待たずに外へと舞い戻る。足早に、倉庫の裏手に足を向けた。馬が何頭かいるはずだ。 「ジフ、どこへ?」 「街外の林だ」 「え!?」 答えながら、馬の調子をざっと見て歩く。一頭に定め、手綱を握るジフリザーグに従って自らも馬を選んだシドが、困惑したような声を出した。 「何しに行くんです」 「子供が穴に落っこちたらしい。助けに行く」 馬に飛び乗りながら答えたジフリザーグに、シドがぎょっとした声を上げる。 「自警軍に言った方が良いんじゃねーすか」 「親に隠れてあんなとこまで行ってんだ。騒ぎを大きくしたくない」 「けど」 「頼む」 並んで馬に跨ったシドが、渋い顔をしながらも頷くのを認めて、ジフリザーグは軽く手を合わせた。 「ちょっと厄介かもしんねー。……悪いな」 まだ、無事でいると良いのだが。 馬を飛ばして1時間ほど走ると、問題の林が見えてきた。馬を手近な木にくくりつけて中へ足を踏み入れると、メアリの言う通り間もなくアルスとルーシーの姿が確認出来る。泣いていたのか、2人とも怯えきったような青ざめた顔をしているが、ジフリザーグたちの足音に顔を上げると目を丸くした。 「ギルドだ」 「ジークフリートは」 近づきながら尋ねたジフリザーグの声に反応したように、2人がしゃがみこんでいる穴の中から「いるー……ごめんなさーい……」と言う弱々しい声が聞こえて来た。 どうやらまだ無事なようだ。 「今助けてやっから」 穴から中を覗き込んで、声を掛ける。「はぁ〜い……」と泣き疲れたような返事がまた返った。 「さーて。どうすっかな」 小さく呟いて、シドを見上げる。 「降りてって抱えてくんのが1番早ぇだろうなあー。俺降りるから、フォロー頼むわ」 「わかった」 言って、ジフリザーグは特殊鉤爪付きロープを取り出した。鮮やかな手並みで木にロープを絡ませると、しっかりと固定する。鉤爪付きロープの鮮やかな扱いと言うのも盗賊の特殊技能のひとつである。 「んじゃ、ルーシーたち、頼んだ」 もうじき、日が沈もうとしている。やばいかもしれない。少し嫌な予感がする。 そのカオスアイテムとやらがこんな穴の奥底に捨てられていて、メアリの言うように近付くと魔物が出てくるのだとすれば、誰がどうしてそんなものの存在を知りえたのだろう? ……普通の魔物と同じように、近付く近付かないに関わらず夜になると徘徊しているのであれば、説明がついてしまう。 するするとロープを伝って中に降りると、小さな横穴がそこを起点に続いていた。奥の壁にうずくまるように、ジークフリートがしゃがみ込んでいる。 「よう。怪我はないか」 降り立ったジフリザーグを見て、ジークフリートは目を丸くした。 「ギルド」 「どうせなら名前を覚えてくれ。……ジフリザーグだ」 「じふり……?」 「ジフでいーよ。自分で動けるか?」 ジフリザーグの顔を見て少し怯えたような顔つきをしていたジークフリートは、ジフリザーグの言葉に体を見回して頷きながら立ち上がった。 「うん……」 「よし。んじゃあ俺がおぶってやるから……」 言い掛けた顔が、強ばる。続く横道は、メアリに聞いた通りぼんやりと明るかった。確かにどこからか外の明かりが漏れているようだ。そしてその明かりを背にして通路の途中に何か箱のようなものが転がっているのが見えた。 ――ユ……ル……ス……モ……ノ……カ…… 箱から一瞬、凶々しい黒霧が噴き上がったような気がした。咄嗟にジークフリートを背後に庇い、剣に手を掛ける。 「ジフ、どうした」 「シドッ合図したらロープを引き上げてくれッ」 上から心配げに声をかけるシドに答え、目線は前方に定めたまま背後のジークフリートに声をかける。 「焦らないで良い。ゆっくりでいーから、そのロープをしっかり体に巻き付けろ。そんで両手でしっかり捕まれ。上につくまで何があっても放すな」 「わ、わかった」 ――コンナ……チイサナ……モノニ……トジコメラレタ……ウラミ……イカリ……カナシミ…… 「巻き付けたか?」 「う、うん」 「よし、しっかり掴んでろよ……。シド、引き上げろッ魔物だッ」 ジフリザーグの言葉をきっかけに、ジークフリートの体が宙に浮き、同時に黒霧が形をとる。姿を現したのは、大蛇のような魔物だった。――但し、首は2つ。 「シャアァァァッ」 威嚇の声と共に、細く赤い舌がちろちろと揺れる。ジフリザーグのほんの僅か上から、割れるような子供の泣き声が聞こえてきた。 「ジーク!!泣くな、男だろッ」 大蛇を見据えながら、剣を抜き放つ。 「俺が何とかしてやっから、お前はロープにぶらさがってりゃいーんだよ。あ、壁にぶつからないようにだけ自分で気をつけろよ?」 わざと軽い口調で言うが、手に滲む汗は隠せない。魔物と戦った経験がないとは言わないが、ひとりで相手取るのは、ジフリザーグも初めてだ。 だが、剣の扱いは幼少から叩き込まれている。ジフリザーグの場合、最大のウィークポイントは持久力だ。長引かなければ、シドもいることだし、多分何とか出来る。 大蛇が、鎌首をもたげた。ジフリザーグの頭など丸ごと飲み込んでしまいそうな巨大な口を開き、躍りかかって来る。 「うぉあッ」 思わず妙な声を上げながら、身を屈める。首が2つもあるので、1つを避けたつもりでももう片方が予想外の方向から襲いかかってくる。 2つ目の首を避けて横をすり抜けようとして、思い止まった。背後に回してジークフリートを追われては、元も子もない。剣を翳して牽制する。 身の軽さならば自信があるのだから、逃げるだけなら何とでもなるのだ。けれど下手な真似をして、外にいる子供たちを危険に晒すわけにはいかないだろう。であれば、倒すしかない。 「ジフッ大丈夫か!?」 頭上からシドの声が降ってくる。 「大丈夫じゃねーッ!!」 怒鳴りながら、襲い来る首を避け切りつける。身の軽さが効を奏し、攻撃を受けることはないがこちらの攻撃も弱い。 「今行く!!」 苦労して頭のひとつを切り飛ばしたところで、ジークフリートを引き上げたらしいシドがすとんと降りてきた。途端、残った首が咆哮を上げてシドに襲いかかる。 「のあー。何だこりゃー」 「大蛇だ」 首をひとつ飛ばされて猛り狂う大蛇を前に、人を食ったような答えをするジフリザーグにシドが怒鳴る。 「見りゃあわかりますよッ」 「馬鹿、お前、ただの大蛇だと思ったら大間違いだぞ」 「何すか、ただの大蛇じゃないって!!」 大蛇の攻撃を避け、フランクスカ(投げ斧)を叩き込みながら怒鳴るシドに、低い位置から大蛇の鎌首の下へと滑り込んで答える。 「首が2つ」 「……見ればわかりますってッ!!ふざけてる場合ですかッ!!」 怒鳴るシドのフランクスカが、深々と大蛇の腹部に食い込んだ。痛みと怒りで、大蛇が尾を振り回す。叩きつけられた壁からパラパラと石が崩れ落ち、擡げられた首目掛けてジフリザーグの剣が疾った。 ――アアアアアアアアッ……!!!! 「うあッ」 暴れまわる大蛇の尾を避け損なって、壁に体を叩きつけられる。シドが駆け寄ってくるその背後で、ジフリザーグの剣を体に突き立てたままの大蛇からびりびりと空気を揺るがすような叫びが上がり、血の噴水を噴き上げながら大蛇の重い体が地響きを上げて、地面に崩れ落ちた。 「はぁ……はぁ……」 壁から背中を起こし、荒く息をつきながら目を見張った。横たわった大蛇の姿が、まるで煙のように霞んで消えていく。後にはただ、元凶となった箱だけが取り残された。 「……ったく誰だよ、こんなもん捨てて行きやがったの。あー、いてぇ」 立ち上がって歩み寄ったジフリザーグが足で箱を蹴り飛ばすと、がんっと思いの外重たい音が響いた。中に何か入っているらしい。 「……?」 思わず顔を見合わせる。知らず、互いの顔に期待が浮かんだ。 「宝かな」 「開けてみよう」 先ほどの大蛇が、鍵だったのだろう。箱は抵抗なく、あっさりと開いた。 「……すっげえ」 それほど大きな箱ではないが、中にぎっしりと金貨が詰まっている。 「……」 それを見たジフリザーグの脳裏に、何かが走った。ヒントを得たような気がする。 (そうか……トレジャーハントか……) ――資金源だ。 盗賊のスキルは、財宝が眠るとされるダンジョンなどでは特に重宝される。問題は遭遇する魔物だが、盗賊であればこそ回避率も高い。 盗みや殺しを制限し、トレジャーハントに特化すれば、ギルドを自分のやり方で立て直すことが出来るだろうか。制限されて寂しくなった盗賊たちの懐を、トレジャーハントで潤したギルドの懐から補償してやれないだろうか。 人数が多く、組織化されており、スキルも持つギルドならば、下手な冒険者などよりよほど効率が良いはずだ。これまでギルドが片手間で手掛けてきたそれを、もっと本格的に、いずれはそれを資金源の柱とすることを真剣に吟味してみても良いかもしれない。 クエストには必ずカイルやシド、エスタシークなどの100%信頼に値する人間を同行させる。入手した宝は、ギルドの財として管理し、適正な配分を行う。目を盗んでくすねる奴は出るだろうが多少のそれは大目に見よう。 盗みや暗殺などの稼業は、個人取引を廃止し、全てギルドの管轄化とし、必要性があると判断した場合にのみ手を貸す。現在街中で闇稼業を行っている者はギルドに金さえ払えば黙認されているけれど、そこを更に監視下に置き、目に余るものには自ら制裁を下す。表の規律を守ろうとしない闇稼業の連中も、裏の掟には従うことが多い。それは、街の安全にも繋がっていくだろう。 盗賊たちは自らの懐が確かに潤ってさえいれば、最初はともかく次第に統制を取り戻していくかもしれない。 簡単なことではないが、すべきことの光が見えたような気がする。 「……あ?待て……何か入ってるな」 自分の考えに沈みそうになったジフリザーグをよそに、シドがふと声を上げた。良く見れば、金貨の合間に鉄色の何かが見え隠れしている。 「何だろう」 「気をつけて下さいよ」 「ああ」 そっと金貨をかき分けて取り出してみると、どうやらそれは特殊な形状の武器のようだった。ナイフのように鋭く尖った刃が三方に広がっている。 「トゥルスか」 「こいつがカオスアイテムってやつかな」 トートコースト大陸の方の投擲武器だ。ローレシアにもないことはないが、あまり広くは使われていない。 「その冒険者ってのはあっちの方から流れてきたのかな」 「どうすかね。どっかのダンジョンとかで見つけたんだったらその限りでもないでしょうし。んでも、何で捨ててったんでしょうかねー」 「開かなかったんだろ」 手に入れたものの、開けることが出来なかったのだろう。あの魔物には、遭遇しなかったのかもしれない。 「ラッキーじゃないすか。カオスアイテム、手に入れることが出来るなんて」 「お前、いらないのか?」 「ジフがほとんどあの魔物を倒したんだから。ジフがもらうのが筋でしょう。この金貨も持ち帰れば、頭が喜びますよ」 ぽんぽんとジフリザーグの頭を撫でるシドに、小さく苦笑しながら、ありがたくカオスアイテム『トゥルス』を頂戴することにする。 「んじゃ、行くか。子供たちの親が怒り出す前にな」 「そうすね」 先ほどの考えを、もっと緻密に吟味してみる必要がある。 身軽に穴から外へと舞い戻りながら、ジフリザーグは先ほど浮かんだ考えを繰り返した。 簡単なことではない。けれど、高い盗賊スキルを持つギャヴァンギルドならば不可能事でもない。 いずれ来るだろう自分の時代にその動きを持ってくるのであれば、今から可能な準備を進めておかなければならないだろう。 まずは、次期頭首自らが、そのスキルを身につけなければ。 「シド」 「はい?」 「……俺、やっぱやるわ」 「は?」 ギャヴァン盗賊ギルドが現在唯一興味を示しているトレジャーハント――フラウ地方の、ドワーフの宝。 「ってあれですか?」 「ああ」 まずは、やってみる。 そこから問題点を洗い出し、対策を練り、ある程度の段取りのつけ方を身に着けていかなくては。 代替わりには、まだまだ時間はたっぷりとあるだろう。 ならばその間に。 (やるなら、徹底的に) 下の人間には、自分の考え方を浸透させてやる。 ● 3 ● 子供たちを無事ギャヴァンまで送り届け、心配しているだろうメアリに報告を済ませると、第1支部へ戻るシドと別れてジフリザーグは本部へと戻った。 中に入ると、いやに静かだ。 (……?) 不審に思いながら、奥へと足を運ぶ。多数の人の気配はするのに、話し声ひとつしない。不自然過ぎる。 「カイル……」 本部には、大概カイルが詰めている。口を開きながら奥の扉を開けたジフリザーグは、一瞬ずざっと後ずさった。狭い部屋に8人もの男が黙したまま、入ってきたジフリザーグに視線を注ぐ。 「何……」 ぎょっとして声を出したジフリザーグに、手近にいたグランドが飛びついた。口を押さえる。 「ふごふごふご……」 口を押さえられたまま抗議の目を向けると、手近にいた男がこちらを見て口に人差し指を当てた。 「……?」 きょとんとして口を閉じたジフリザーグに、グランドが手をどける。首を傾げながら歩き出すと、固まっていた男たちが道を開けた。 その中心にいたのは。 「赤ん坊?」 すやすやと、粗末なおくるみに身を包み、籠の中で赤ん坊が眠っている。 「ようやく、寝てくれたんすから」 手近な男が、恐る恐る潜めた声でジフリザーグに囁いた。これだけの男で、しかも強面ばかりが集まって、赤ん坊をあやしていたのだろうか。 「さっきまで、大泣きして大変だったんすよ」 そりゃあ泣きもするだろう。 思わず吹き出しそうになりながら、その赤ん坊を覗き込む。 柔らかそうな、真っ黒なまだ少ない髪が、ふわふわと揺れている。 「……可愛いな。どうしたんだ?これ?」 屈み込んでその顔を覗き込みながら誰にともなく尋ねると、赤ん坊の最も傍に座っていたカイルが口を開いた。 「クロードが拾ってきた」 「拾ってきたぁ?」 「ああ。ギルドの第2支部の前に落ちてたらしい」 「落ちてたって……」 「親が生活にでも困ったのだろう。ギルドならば、今更1人2人増えたところで困るまい」 「誰が面倒見るんだよ」 ジフリザーグに母親はいない。構成員の中にはエスタシークのように恋人や妻と呼べる存在がいる者もないではないが、まさかギルドの赤ん坊の世話をさせるわけにはいかないだろう。 「クロードは、ジフに頼むと言っていたぞ」 「は!?」 ぎょっとして大声を出す。咄嗟にばしっと自分の口を両手で押さえたが、ジフリザーグの大声に赤ん坊がその瞳を開いた後だった。 「あぁぁぁ……」 周囲からため息が漏れる。「泣くぞ、泣くぞ」とびくびくする男たちの中で、赤ん坊はそっと辺りを見回した。視線がジフリザーグに定まる。 「あー……泣くなよぉ?」 困りきって覗き込むと、髪と同じ真っ黒いつぶらな瞳が2度、3度瞬きをしてジフリザーグを見つめた。 「……」 「……」 「……」 「……」 「……泣かないな」 ほお〜っと安堵のため息が充満し、ジフリザーグは困った顔のまま人差し指をそっと赤ん坊の頬に寄せた。つん、とつついてみる。思いのほか柔らかなその感触に驚いていると、不意に赤ん坊の顔がくしゃりと笑みの形に変わった。 「おお〜。笑った〜……」 (可愛いな……) つんつん、と尚もつついてみる。赤ん坊は嬉しそうに目を細めたまま、その小さな手を伸ばした。 「男?女?」 「男の子だそうだ。まだ、生後半年かそこらじゃないかって話だが」 「ふうん……」 自分の指程度にしか大きさのないその手を包むように親指で撫でながら、籠にもたれかかる。 「お前、そんなんで捨てられちゃったのかぁ……」 真っ黒な瞳が、ジフリザーグを映し込んでいる。ぎゅっと指先を掴む掌に、強い力を感じて、ジフリザーグは軽く胸を突かれた。その温もりに、生命の、人の営みの重さを感じる。 「しょうがねぇなー。俺がお前を育ててやるかー」 この街を豊かにするなどと言うのは、おこがましいかもしれない。 安全にして人々の信頼を勝ち取ることなど、出来ないのかもしれない。 けれど、この街に根差す組織を運営していく立場にある以上、やはり出来ることは尽力を尽くさなければならないだろう。 「大事に育ててやるからなー」 囁きながら、恐る恐る手を伸ばす。 抱き上げたその重みは間違いなく……生命そのものの重みだ。 この赤ん坊がいつか、今のジフリザーグと同じ年になった頃に、今より僅かでも、恐れられるギルドではなく愛されるギルドとなっていることが出来るだろうか。 大切な街と、大切な仲間の双方が、共存出来るように。 せめて、その足掛かりだけでも……。 ――ジフリザーグがギャヴァン盗賊ギルド第15代目頭首に就任するのは、それから13年後、27歳の時となる。父クロードの海難事故での急逝による、突然の代替わりだった。 14歳の頃から方向性を定め、足場を固めてきたジフリザーグの元、新体制のギルドは混乱なくスムーズな引継を終えた。ジフリザーグは就任当初に殺しと盗みの個人取引の厳しい制限を宣言している。 組織がトレジャーハントに特化することはまだまだ難しいが、それでもクロードが存命の頃から、ジフリザーグは遺跡やダンジョンの探索を積極的に提案し、参加した。スキルはそれなりに身についてきているだろう。追い続けているフラウの宝も、あと一歩と言うところまで来ている。 あれからまだ、3年。 街と共にありたいと言うジフリザーグの願いは、ゆっくりではあるが実を結び始めた。 ことに、ギャヴァンにおけるモナとの攻防戦で自警軍と足並みを揃えて街を守るために奔走したことは、皮肉にもかつてないほどの市民の信頼を勝ち取ることとなった。 そして今、街の修復においてギルドは財を投げ出し、多大な労力を惜しみなく提供している。 (これで、良かったのかな……) 海風が、ジフリザーグの髪を撫でた。 風の香だけは、今も迷っていたあの頃と同じだ。 けれど、あの時はそばにいて支えてくれていた手が、今はもうない。 この戦役でジフリザーグが失ったものは、あまりに多かった。 (親父だったら、どうした?) 先頭に立って戦ったことが、ギルドに大きな痛手を負わせた。けれど、見て見ぬフリをするわけにはいかないだろう。考え始めればきりがない。どうすれば良かったのかなどと答えが出ないとわかってはいるのだが。 ……失った笑顔は、再び戻ることは決してない。 「何をこんなところでぼさっとしている?」 切り立った崖から望む海に視線を注いでいるジフリザーグの背中から、聞き慣れた声が投げかけられた。振り返ると、あの時ジフリザーグが抱き上げた小さな生命が16年の成長を遂げて、そこに黒髪を靡かせている。 「シン」 「東の防護壁の修繕の人手が足りないようだ。暇なら手伝え」 そっけなく言って踵を返すその背中を見て、ジフリザーグは小さく笑った。 (全て失ったわけじゃないか……) その肩には矢を受けた痛々しい名残が、まだ残ってはいるけれど。 「しょーがねーなー……いてて……」 かく言う自分も、仲良くお揃いの場所に包帯をしたままだ。 「頭がさぼってちゃ示しがつかんだろう」 「へいへい」 ――悩みは尽きず迷いは果てない。いくつになっても日々学ぶことがある。悩まずに済む日など来るはずもない まだ、迷い続けている。 あの時抱いていた迷いは、形を変え、質を変え、けれどまだ確かに胸の奥に残っているのだけれど。 「おー、シン!!頭いたかあ!?」 「またそんなとこで、ひとりでサボってるー」 「サボるんなら誘って下さいよぉ」 緩やかに続く丘の下に、ギルドメンバーの何人かの姿が見えた。――ゲイト、リグナード、ラリー。 (失ったものばかりでも、ねーな……) あの頃には、なかったもの。 新しく差し伸べられるようになった手。 「んじゃ、示しつけなきゃいけねーからな。おっさきー♪」 「何……あ、おい」 歩いてきた軌跡の中で手に残ったものを、これ以上……失わないように。 どうか。 (どうか、これ以上……) まだ、しなければならないことはたくさんある。 自分が夢見た未来を形にする為に……そして、支えてくれた愛情に報いる為に。 祈りながら仲間の元に駆け出したジフリザーグの後を、苦笑いを浮かべたシンの黒い影が追いかけた。 Fin 2007/1/24 |
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