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推奨時期:キグナスさえ出ていれば、特に問題ないと思います。



■ QUEST ex4 Dear My Friend ■

● 1 ●

「……ここ、空いてるか?」
 必死こいて今度の試験範囲のわからないところを調べまくっていたあたしは、突然降って来たその声に顔を上げた。逆立ち気味の白金の髪とオレンジの瞳。一見悪戯小僧風に見えるその少年を、あたしは知っていたからちょっと、びっくりした。
「あ、どうぞ……」
 あたしの言葉に彼――エル、と呼ばれているそのコが黙って隣の椅子を引く。
 何だってわざわざここなんだ?と思って周りを見回してみると、良く見りゃいつの間にか席はいっぱいになってた。……ま、前期の最終試験前だもんね。
 エルくんが、隣でぶ厚い参考書を4冊積み上げ、そのうちの1冊をぱらぱらとめくるのをぼんやり眺め、はっとした。……んなことしてるバアイぢゃない。あたしは今回の試験を落とすと退学だッ。
 ここ、リトリアにあるエルレ・デルファルと言う魔術師の学校は、全寮制で超高くて超厳しい。つまるところは、ばりばりエリート学校だ。ローレシア大陸にあるあらゆる国から、ぞくぞくと金もあって才能もある恵まれたご子息だけが集まってくる。
 入学試験も、ハンパなく難しい。
 にも関わらず、何がどこでどう間違ったもんか……受かっちまった。
 この学校は入学も厳しいけれど、卒業するまでもたせるのも厳しい。まず入学試験は、定員制ではなくて全ての科目の合計点数が800点以上の点数を取れば何人でも入れる。逆に言えば、上から数えて何番目だろうが、800点を越えなければ遠慮なく落とされる。で、越える奴はそれほど多くはどうせいない。
 んで入学後。
 毎月全ての科目の試験が行われ、期末の最終試験で1科目につき総合得点500点以上の成績を修めないとその科目は再履修となり、再履修科目が3つを越えると容赦なく退学になる。
 卒業をする為には、金も脳味噌も必要とされる本当の本当にエリートを育てるところなのだ。
 ちなみにウチは、金があるにはあるが、由緒正しいお貴族サマなんかとは違って、ただの成金だ。
 あたしはたまたま魔力がちょろーっとあったりなんかしちゃったもんだから、成金で経歴に不安な見栄っぱりの両親にエリート学校に放り込まれ、ホンモノのお坊ちゃま、お嬢サマに囲まれ、出来もしない勉強で四苦八苦するはめになっている。
 エルくんはそんな中で、あたしから見ててちょっと異質に見えた。
 別にエリートに見えないとか言ってるわけじゃない。でも何か、あたしと同じ匂いがする……気がする。――言ってるのか。
 でも多分、お坊ちゃまなのは間違いないと思う。しかも、結構お偉い感じの。良くわかんないけど。先生方の、対応から。
 エルくんは一見、ちょっとやんちゃっぽく見えるけど、その割りに意外と大人しくて真面目な感じで、容姿から受ける第一印象と違う感じの人に見えた。
(――はッ!!!!)
 だーかーら!!
 今はこの際エルくんなんかどおおおだって良いんだってばさ!!学べ!!脳味噌に詰め込め!!!!レッツスタディだ、シア!!
 またも思考が飛んでいたことに気づき、青ざめてあたしは自分を鼓舞しつつ、テキストに顔を突っ込んだ。ちなみにエルくんは、あたしの狼狽になどまったく気づく様子もなく、黙々と参考書を繰っている。
 あたしの知る限り、エルくんは結構1人で黙々と勉強している。でも、その割りに多分あんまし成績良くないと思う。頑張ってんのはわかるけど、あんまし結果に出ない人だ。
 エルレ・デルファルってのは、最初の3年間はひたすら座学を受けることになる。実際に魔法を使うんではなく、ひたすらお勉強。4年目に、もうちょっと進んだ研究ってのをやって、5年目、6年目でようやく実践に移れる。まあ、成績の良い人は飛び級とかでもうちょっと早く卒業できることもあるみたいだけど。あたしなんかには、伝説の領域の話だ。
 んで、3年間の座学は必修と選択とがある。ちゃんとした『クラス』みたいな固定のものはない。そんな中、あたしは密かにエルくんと選択授業のバッティングが多かったりする。で、異質なあたしは異質な感じのエルくんと、『お友達になりたいなあ』とか勝手に思ってたんであった。これわ、ちゃ〜んす?
(……勉強する気ないのかあたし)
 だからしろって……。
 何となしに自分が馬鹿な理由がわかったような気がして、ついついがっくりと机に突っ伏していると、ふと視線に気づいた。……ええと〜……。
「……何か?」
 図書館、と言う場所の手前、ひっそりとあたしを珍獣のような目つきでじっと眺めるエルくんに尋ねる。頬杖をついて半ばあきれたような視線をたっぷり浴びせてくれれば、さすがのあたしだって気づこうと言うものだ。
「姿勢だけは勉強してる風だよなと思って」
「……」
 ええええ。まったく姿勢だけですがね。
「……エルくんはお勉強してるみたいで」
 膨れ面で言ってやると、エルくんはオレンジ色の、ちょっと吊り気味の目をぱちくりした。
「俺のこと知ってんのか」
 何であれだけ同じ授業受けてて、あんたはあたしを知らないかな!?
「エルアード・キグナス・フォン・ブロンベルク」
 頭来たんで、フルネームで言ってやる。エルくんは目を瞬かせてあたしを凝視した。……て、照れるなあ。
「凄ぇ。何で知ってんだ?」
 だから何であんたは知らないんだ?
「『自然学』『古代魔術史』『魔学の文化』『ルーン語学』『倫理学』『人間学』『数論』『魔術分類学』……」
 あたしがエルくんと被ってる授業を、ずらずらと挙げてやる。きょとんとした顔のまま、彼は言った。
「オマエ、受けてんのか?」
 受けてるからあんたが受けてるって知ってるだろ!?
 ……とも言えず、あたしはがっくりとうなだれてこくんと頷いた。
「ふうん。知らなかった」
 意外とあどけない顔をしてひとつ頷くと、エルくんはにこっと笑った。ちろっと覗いた、尖った八重歯が牙みたいでちょっと可愛い。
「名前は?」
「……シア。シアーネ・アル・カスティアーネ」
「ふうん。シアか。よろしくな」

 その日から、あたしはエルくんと友達になった。




● 2 ●

 エルレ・デルファルには、結構大きな講堂があって、入学式だとか卒業式だとか表彰式だとか、とにかくそういう何かの集いに使われるんだけど、その講堂のホールのサイドについている廊下には、卒業した偉い人の名前と簡単な経歴が金色のプレートに彫りこまれて飾られている。
 偉い人ってのはつまり、どっかの国の宮廷魔術師になっただとか、冒険者と共に偉大な冒険を成し遂げたとか、何かそういう感じ。
 その、今のところ1番新しいところにある名前を、あたしはぼーっと見上げていた。
――シェイン・アルバート・フォン・クライスラー
 あたしの憧れだったりする。
 経歴と噂で仕入れた情報では、大国ヴァルス王国でも代々由緒正しい超豪華なお貴族様で、数年前にここを卒業したばかりの彼は3年前、若くして宮廷魔術師となった。それも、先代がその才能に敬服しての辞退だと言うから……凄まじい。
 ちなみに宮廷魔術師ってのは普通、1度就任すれば終生続ける。ってことはそうそう空きが出るもんでもなく、20代とかで就任することはまずない。先代が若くして死んだとか、何かの特殊な事情があって、尚且つ周囲を凌駕するような才能がなきゃ無理。何せ、宰相と並んで国王に次ぐほどの身分だ。狙う人間は数多といる。
 そんな人が、あたしのほんの何年か前の先輩でいるのかあと思うと……あたしと余りに違いすぎて思わず憧れた。
 ちなみに、ここは年齢で入学するわけじゃないから結構年ってのはまちまちだけど、シェイン・クライスラーは10歳で入学して5年間――通常より、1年早く卒業している。で、卒業して5年で就任と言う異例の早さだ。
 生粋の大貴族だし、きっとこう、流れるような美しい黒髪または銀髪で、涼しげな目元にクールな顔つき、物腰優雅で低く甘やかなテノールで、鮮やかに呪文を唱えるんだわ……とか勝手に想像している。
「何してんだ?」
 ぼーっと妄想を膨らませてプレートに眺め入っていたら、いきなり背後でぼそりとそう呟くのが聞こえた。あんまり驚いたので、びくッッッと過激に肩を震わせて振り返る。
「エル」
「楽しいか?んなもん見て」
「楽しい」
 あたしの言葉に見向きもせず、微かに複雑な顔をしてエルはあたしの視線の先……プレートに目を向けたまま言った。
「どこが」
「だって何か、憧れるから」
「憧れるぅ?」
 そんなに嫌な顔をするなよおおお。
「だって何か……別次元の人間って感じするじゃん。物語ちっくってか」
「……誰が」
「シェイン・クライスラー」
 あたしの言葉にエルは、ますます複雑そうな嫌な顔をした。……だから嫌な顔をするな。
「何で、シェイ……その人なわけ」
「だって、現ヴァルス国の宮廷魔術師でしょ。しかもよぼよぼのじーさんで昔の栄光じゃなくて、現在進行形。由緒正しいお貴族家系。……あたしと違い過ぎで」
「……」
「まだ若いしねー。きっとかっこいい人に違いない!!」
「はっはっは……」
 馬鹿にしてんのかよー。
 明らかに嘘くさい笑いを浮かべるエルをどかっと足先で蹴飛ばす。エルは顰めツラで蹴飛ばされたふくらはぎを撫でながら、ようやくあたしにオレンジの瞳を向けた。
「会ったことねーだろ」
「あるわけないじゃん」
「……ま、夢見るのはご自由に」
「……どういう意味だよお」
 小さくため息をついて踵を返すエルにつられて、あたしも講堂を出て歩き出した。
「何しに来たの?」
「別に。おめーが脇目もふらずに歩いてくのが見えたから。どこ行くのかと思ってついてきただけ」
 あ、そ。
「暇人」
「んなとこでぼけーっと口あけて、ただのプレート見て妄想膨らませるオマエもよっぽど」
「そりゃそうだ」
 今日はもう授業も試験も何もない。エルと並んでロッカー室の方向へ何となく足を向けながら、あたしと大して差のない高さにある顔を見た。
「エルって何でエルレ・デルファル入ったの……うわ。学校名とあんたの名前、続けて言うと鬱陶しい」
「……鬱陶しいとかゆーなよ。俺のせーじゃねえ。んじゃキグナスって呼べば」
「長い」
「4文字だろ!?」
「エルで良い。……で?」
「俺の身内はキグナスって呼ぶぞ」
「何で」
「俺がエルアードって名前キライだから」
「良いじゃん。エルで」
「ま、良いけど。……何だっけ」
「……まじ馬鹿なんじゃないの」
「ああああ馬鹿だよッ」
「何でエルレ・デルファル入ったのって聞いてんの」
 エルは鼻の頭に皺を寄せたまま、天井を睨んだ。妙に大人っぽい表情。まだあんまりエルのことを知らないけど、時々こんな表情をする。
「……別に。家的に」
「すげえアバウト」
「んなこと言ってもしょおがねえじゃん。別に。いろいろ。魔力あったし。そんだけ」
「ふうん」
 それからエルは、あたしの方を見て問い返した。
「おめーは」
「あたしはあ……」
 ……何だろう。それこそ。
「家庭の事情……」
「んだよそれ……」
「しょおがないじゃん」
 ぶんむくれて唇尖らしてやってから、あたしは更に尋ねた。
「んじゃあさあ、卒業出来たらどうしたいとかって、ある?」
 廊下にはあんまし人がいない。明日が試験最終日だし、みんな寮に帰って勉強してるんだろう。全国各地から生徒が集まるこの学校は全寮制だ。
「……」
 あたしの投げた問いは、エルにとって簡単に答えられるようなもんではなかったらしい。沈黙が返る。不審に思ってちらりと目をやると、少し難しい顔で前方を真っ直ぐ睨みつけていた。
「……わかんね」
 がくー……。
「そんだけ長く考えて、そのオチかよ……」
「いろいろあんだよ。んじゃあおめー、考えてんのか?」
「あたし?あたしは……」
 あたしは。
 魔術師なんかじゃなくて。全然そんなん、なりたいわけじゃないし、なれるとも……思ってないし。
「あたしはねえ、お店、やりたいんだ」
「店ぇ!?」
 あたしの答えに、エルは素っ頓狂な声を上げた。
「そう。それも親父がやってるよーな商人じゃなくってさ……ああ、ウチ、商家なんだ、ナタリアの。んでもそういうんじゃなくって。ナタリア出て、ツェンカーかワインバーガ行って……パンとかケーキとかね、作ってさ。子供らに安く売ってやんの。そういう店」
「……へえ」
「意外?」
「そりゃそーだろ。エルレ・デルファルなんか出たって、何の役にも立たねーじゃん」
「うん。……だから、家庭の事情」
「ふうん」
 小さく頷き、それからエルはぼそぼそと、あんまり低くない子供っぽい声で、答えた。
「俺は……どうしたいのかとかわかんねぇし、どうしたいとか言えるほど……何も出来ねぇし。けど、とにかく、ちゃんと卒業して、魔術師になる。……今は、それだけ」
 そう言ったその横顔は、意外なほど……切羽詰った真剣なものに、見えた。




● 3 ●

「んでさあ、何であんだけ勉強しててさあ、エルってこの成績なわけ?」
「うーるーせーえーなああああ」
 長〜〜〜〜い試験期間が終了して、打ち上げがてら馬鹿コンビ2人でリトリアの王都セルジュークの街へ繰り出したあたしは、通り沿いにあるカフェテラスで冷たいお茶を飲みながらエルくんの前の試験結果を見せてもらって、思わず哀れになった。
「今度は違う予定」
「予定は確定じゃないからねえ」
「わかってら、んなこと」
 話すようになって気づいた。エルは結構、人見知りくんだったりする。あんまり自分から積極的に周囲の人間と交流を図るタイプではなく、寄って来られても意外とどう接して良いのかわかってない感じ。
 その代わり、一旦打ち解けてしまえば口も態度も悪いことこの上ない。……良いけど。それはそれで別に。
 だから、あんまし仲の良いコとかも多くはないみたいだった。性格は、素直で良いんだけど。
「シアだって人のこと言えねーじゃねーかよ」
「あたしは!!……むしろヤバイです」
 ああああ……今度の試験で退学になったらどうしようまじで。
「ま、故郷に帰っても頑張れよ」
「洒落になってねええええよ」
「……おめー、一応女なんだったら、その言葉遣いと態度、なんとかすれば」
「……最初にあたしを男だと思った奴に言われたくない」
 そうなのだ。何と、あの図書館での遭遇の時、馬鹿エルはあたしのことを男だと思ったらしかった。
 そりゃああたしは、髪はショートだし?顔立ちは決して繊細な女の子な顔してるとは言えないし?服装だっておしゃれとは程遠いし?女性らしい体型とは言えないし?……つーか、余計なお世話。
 カラカラとストローでグラスを掻き混ぜると涼しい音がする。リトリアはローレシア大陸の真ん中よりちょっと北にあって、んでもあたしの故郷のナタリアよりは南に位置するからあったかい。ナタリアなんか氷の大陸と遠くないし。
「べーつーに、あたしはこの学校で恋愛しようとか思ってないし!!」
 ずるずるとストローを咥えて反論すると、エルは呆れたように頬杖をついてあたしを見た。
「あ、そ」
「エルだって色っぽい話なんかどぉせひとつもないくせに」
「……いらねぇよんなもん。それどこじゃねぇっつーの……」
「エルー」
 そのぼやきにかぶせるように、大通りの方から声がした。顔を上げる。あたしもつられてそっちを見た。
「ファイ」
 背の高い、眼鏡をかけた金髪の男の子が、人を避けながら大股でこっちに向かってくるのが見えた。小脇にはブックベルトで束ねた数冊の本を抱えている。同じ学年のファイラントだ。確かロドリスのコで、常に上位の成績を保持しているんだけど、エルと時々話しているのを見かける。
「試験の後、とっとといなくなったと思ったらこんなトコで遊んでる」
「せっかく終わったからな。……おめー何してんだ?」
「新しい参考書を買いに」
 優等生だぁ……。
「ファイ、エルに勉強教えてあげれば」
 あたしがストローを指先で突っつきながら言うと、ファイは盛大に顔を顰めた。
「え、やだよ。エルって飲み込み悪いんだもん」
 ひどいこと言ってる。
「んじゃあたしに教えてよ」
「もっと嫌だよ。シアって飲み込む以前に聞かなさそう」
「……」
 ひどい暴言を淡々と吐いておいて、ファイはエルに視線を戻した。
「まったく、家系を考えれば突然変異だよな」
 ……へ?
「家系?」
 あたしがきょとんとファイを見上げると、答えるより先にエルがそれを遮った。
「だからさ……」
「ファイ!!」
「……何だよ?」
「いーんだよ、別に。そんなこと言わなくたって」
 それから不機嫌そうに、「俺が1番そう思ってるよ」と呟いた。それを見て、ファイは軽く肩を竦める。
「ま、エルは退学になることだけはないだろーからな。頑張れよ」
 ええ!?
「……」
 それには答えないエルに頓着せず、ファイはまたすたすたと人ごみの中に紛れていった。
 ……なんか、幾つか気になる点があったりとか。あたしだけか?
「何?今の」
「別に」
「エルって、退学には絶対なんないの?」
「んなこたねぇだろ。なる時はなるよ、んなもん」
 そりゃあそうかもしれないけど……でも。
「……家系って、何?」
「何でもねぇ」
「……」
 変な、感じ。
 けれど尋ねても、エルはそれ以上何も答えてはくれなかった。




● 4 ●

 何とか前期を生き延びることに成功したあたしは、それでも毎月の試験にのた打ち回っていた。
 まだ入学して2年目。最短だとしたって、これがあと4年も続くのかと思うと……ぞっとする。
「シア」
 月末の試験を終えてげっそりとしながら、エルと帰りに街の本屋さんに参考書を買いに行くぞなんつってて待ち合わせた正門に向かおうと、廊下をぼんやりと歩いていると声を掛けられた。
「ミファ……」
 ミファもエルのように、あたしと重なる授業が結構多い。
 いかにもお貴族とゆーか、プライドが高く鼻っ柱の強いコだけど、まあそれはそれで意外に良い奴だったりする。
「はあ、はあ……。シアって歩くの速い」
 息を切らせてあたしに追い付くと、ミファはにこっと笑った。並んで歩き出す。
「シア、最近エルアードと仲良いじゃない」
 急いで追い付いて、言いたいのはそんなことか?
「うん、まあ」
「前から仲良くなりたいなあって言ってたもんね。良かったじゃない」
「うん、まあ……」
 それは事実だ。事実なんだけど。
 ……ミファの言う意味が、何か違うような気がする。
「エルアードも、万更でもないんじゃない?」
「ちょっっっっっと、待ったッッッ」
 あたしは思い切りしかめ面で力一杯嫌な顔をしてやった。
「違う。何か。あたしの意図してるところと」
「何が?」
「あたしが進めたいカンケーは、『オトモダチ』であってそれ以外はノーサンキュー」
 あたしの言葉に、ミファが唇を尖らせた。そんなささやかな仕草だけでも、女の子な容姿を持っているミファがやれば可愛い。あたしがやったんじゃ……ははは……怖がられるのがオチだろーなあ……。
 ……別に……女の子らしくなりたいわけじゃ……ないけど……。
「ええー!?何つまんないこと言ってんのよ?せっかくエリートばっか集まってるとこ来てんのよ?つかまえなくてどーすんのよ?」
 そ、そうか……そういう考え方もあるのか……。
 ……何しに来てんだ?あんた。
「エルアードなんか、そういう意味では結構おいしそうだけどなあ」
「……おいしいって、何」
 ミファの言葉の意味がわからなくて、問い返す。いつの間にか昇降口まで来ていて、あたしたちは建物の外へ出ると、階段をゆっくりと降り始めた。ミファがきょとんとした顔であたしを見る。それからまじまじと覗き込むようにして。
「……やだ。シアったら仲良いくせして、エルアードから聞いてないわけ?」
「だから何が」
「エルアードって……」
 あたしの反応を楽しむように、ミファはいったん言葉を切った。嫌らしいにやにや笑いを浮かべる。
「あんたの大好きなシェイン・クライスラーの、甥にあたるのよ?」
 ぼとり。
 手から持っていた荷物が落ちる。それと同時に足が止まった。
「……何?」
 声が、掠れた。
「あたしはさあ、ファイから聞いたんだけど。ファイって学園長の息子でしょ?余計なこと、良く知ってんのよねー。情報収集するには便利な奴よ」
 そんなミファの後半の言葉は、まったくあたしの耳に入ってなかった。……何?エルが、シェイン・クライスラーの、甥ぃぃ!?
「ま、『稀代の天才』と血縁にしちゃあ、ちょーっとお粗末な成績だけどねーえ。シェイン・クライスラーの方は美形だったって聞くし」
「……」
「……ま、それはそれで……」
「シア」
 ミファが尚も何か続けようとしたところで、正門間近まで来ていたあたしたちの目の前にエル本人が現れた。あたしもミファも、口をつぐんで注視してしまう。エルはその視線にたじろいだように目をくるくるさせた。
「な、何だよ……」
「べっつにぃ。んじゃね、シア」
「あ、うん……じゃあね……」
 ミファがにやにや笑ったままいなくなり、何となくあたしとエルの間に気まずい沈黙が流れる。エルは読みかけだったらしい本をパタンと閉じ、ちょっと眉を顰めた。
「何だよ?」
「……何で、教えてくれなかったの」
「は?」
 掠れた声は届かなかったらしい。あたしはきっと目線を上げて、エルを睨みつけながらもう一度言った。
「何で教えてくれなかったんだよッ」
「だから何が」
「あたし、あんたが、シェイン・クライスラーの身内だなんて知らなかった!!」
 一気に言ったあたしの言葉に、エルは息を飲むようにしてあたしを見つめた。何だか、目が熱くなるのを感じた。涙がこみ上げてくる。
 何で?知らない。別にエルには教えなきゃなんない筋合いなんかなくって、そんなのあたしだってわかってるけど……でもとにかく、何がかわかんないけど悔しくて。
「……どうして、それ」
「ミファに聞いた。ミファは、ファイに聞いたって言ってた。……何で教えてくんなかったんだよ馬鹿!!」
「え?お、おい、ちょっと待てよ……」
 怒鳴るなり踵を返して学校へ駆け戻って行くあたしに、エルはぎょっとしたような声を出したけど、知らない。あたしだって、何がこんなに悔しいのかなんか全然わかってない。
 でも。けど。
――友達になれたんだと、思ってたのに。

 どんな道筋を暴走したのか、良くわかってない。
 泣きながら学園内を走り回ったらしいあたしは、はっと気付いてみれば屋上へと続く上り階段の途中で佇んでた。
 あと数段上れば、屋上。古びた、両開きの扉についている大きな窓から、沈みかけている太陽の光が柔かく差し込んでくる。
「……なんなんだよ、もう……」
 ぜぇぜぇ、と不意に背中で声がした。誰もいないと思ってたから、びっくりして振り返る。
「怒鳴って泣くなり走り回って。わっけわかんねぇ……」
 エルが、肩で息を切らしながら手すりに寄り掛かっていた。
「……何してんだよ、こんなトコで」
「そりゃあおめぇだろが。こんなトコまで何しに来たんだよ」
 茫然と尋ねるあたしに、エルが顰め面をする。すとんとその場にしゃがみこむので、あたしもその場にしゃがみこんだ。距離は、3段。下にいるエルがあたしを見上げる。
「……何で、隠してたの?」
「……」
「あたし、好きだって言ってて。全然隠すような人じゃないじゃん」
「……」
 ふいっとエルが顔を背ける。ちょっとしょげたような目線。
「自慢にこそなれ、隠すことないじゃん。何で、黙ってたの?」
「……嫌だから」
 何ぃ?
 ぼそっと言った後、思い切ったようにエルは大きな声ではっきり言った。
「嫌だからだよ!!あいつと同じ一族で名前を連ねてるのがッッッ!!!」
 何てことおおおおおおおおッ。
「エル!!」
「……おめぇさぁ……考えてもみろよ……」
 怒鳴りかけたあたしにつられることなく、エルは低い声で淡々と言った。今度は真っ直ぐ、あたしを見て。
「俺、こんだけ馬鹿でさぁ。かたや天才魔術師とか言われてさぁ……」
「……」
「……知ってるか?あいつ、ここ卒業して間もない頃に、グロダールの討伐に派遣されてんだぜ?」
「グロダール?……黒竜の?」
 こくん、とエルは首肯した。伝説に残るドラゴンの中でも、最も凶暴と言われる黒竜。
 4年くらい前に、確かヴァルスの港町で黒竜グロダールが大暴れしたって話は聞いたコトがある。でもまあ……他国のことだし、あんまし良くは知らないんだけど。けど。でも。
「いくらなんでも、見習いじゃなかったわけ?」
「見習いだったよ!!なのに国から正式に派遣されてんだから凄ぇんじゃねぇか」
 そりゃあそうだけどー。
「……比較になんねぇんだよ」
「……」
「あいつが俺と名前を連ねるのが嫌なんじゃない。俺の名前が、あいつと連なってんのが嫌なんだよ」
「エル……」
「せっかくあいつの能力と努力で積み上げた名声、俺が傷つけそうじゃん」
「……エル、だからあんなに勉強してんの?」
「……」
 エルはバツが悪そうにまた顔を背けた。
「勉強したって馬鹿なんだ。勉強しなきゃ、もっと馬鹿じゃねぇか」
「……」
「だから言いたくなかったんだよ。あいつの経歴に傷つけそうだから」
「……エル、好きなんだ」
「はぁ!?」
「シェイン・クライスラーのこと」
「……そりゃ……まぁ……」
 そこだけ、妙に照れた顔をした。オトナびたような表情から一転して……ちょっとひねたガキんちょみたいに。
「……がんばろ」
「……」
「エル、大丈夫だよ。頑張ってるもん」
「……」
「……参考書」
「え?」
「買いに、行かなきゃね」
 泣いて喚いたのが馬鹿みたいで、子供みたいで、あたしは笑顔を向けた。トントン、と階段を降りる。
「がんばろ。……『稀代の天才』に追いつくよーにさッ」
 エルを通り過ぎて、今度はあたしが下から見上げた。立ち上がったエルが、鼻の下をこする。
「……おう」
 一緒に、卒業出来たら、良いね。



          ◆ ◇ ◆

 夢を、見た。
 凄く嫌な夢。
 目が覚めたら……汗をたくさんかいていた。
――エル。
 ……気をつけて……。




● 5 ●

 春。
 新しい学年に移れたコは、その前のお休みに浮かれている。移れなかったコも、退学になんなかったことにとりあえず安堵の溜め息を洩らしている。
 そして、あたしは……。

「完了ッ……」
 荷物をまとめ、部屋をくるんと見回す。忘れ物は、なし。
 寮で同じ部屋だったジェンナーが、ちょっと泣きそうな顔をした。
「シア……元気でね」
「うん。ま、あたし、元々魔術師になりたかったわけじゃないし……。ジェンナーこそ、卒業まで頑張ってね」
「うん……絶対会いに行くからね」
「わかった。待ってる」
 まんまと、退学。
 2年目にして、あたしの魔術師への道は閉ざされた。
 2年間お世話になった女子寮を出る。ぞろぞろとそこまで見送りに来てくれた寮生たちが、寮の出入り口で足を止めた。振り返る。
「ありがと。みんな頑張れよッ」
「シアも元気でねーッ」
「頑張ってねーッ」
「遊びに来てよーッ」
「おーうッ。じゃあなー」
 みんなに手を振る。何も気にしないふうに、あたしは出来るだけ元気に歩いた。ホントは、寂しいけど。頑張っても届かなかった自分が。
 ちょっと、泣きそうになった。
 そんな自分に気付かないフリでのしのし歩いていると、エルレ・デルファルの正門の辺りまで来た。ふわ、と舞い散る花びらに揺れる白金の髪。
「エル……」
「……店、出すんだろ」
「……」
 正門に寄り掛かって、ポケットに手を突っ込んで、ちょっとひねくれた子供みたいに、目線をどこか明後日の方向に向けて。
「……うん」
「ナタリア?」
「ううん。ナタリアはきっと、出て行くと思う」
「ふうん……」
 あたしはエルの前を通り過ぎた。エルも、何も言わない。
「……また会える時が、来るかな」
 エルを通り過ぎて、少ししたところであたしは足を止めた。振り返る。エルは軽く肩を竦めた。
「さぁーな」
「エル……」
 あたしの胸に、不安が過ぎった。
 あの時見た、黒い夢。
 エルはきっとここを卒業してから、大変なことに巻き込まれる。
 ……魔力なんか大してない。魔術なんか何も使えない。
 けど、確かな予感だった。
「あ?」
「……気をつけて」
 別れの言葉にしては、ちょっと妙だったかもしれない。エルがぽかんとした顔をする。
「んだよ?それ……」
「……わかんないけど。気をつけてね」
「? ああ……」
 とすん、と荷物を地面に置く。そのままエルの方に向かって歩いた。一歩、もう一歩。
「何だよ?変なや……」
 その言葉を遮るように、口と口が重なる。一瞬だけ。するりと離れたあたしに、エルはまだ同じ顔で目をまんまるにしてた。
「……何で?」
「……何となく」
 短く答えて、荷物を放り出した場所に戻る。
「頑張れよ、未来の宮廷魔術師ッ」
 小さなバッグを手に、くるんと振り返った。笑顔で怒鳴ると、困惑したような表情のままだったエルもようやく笑顔になった。……うん。やっぱり笑顔でお別れしよう。
「おう」
「とりあえず、目指せ卒業だッ」
 言いながら、少しずつ後ずさる。少しずつ、少しずつエルの笑顔が遠くなっていく。
「おう」
「まずは進級、おめでとうッ」
「……さんきゅ」
「次は、前期の試験突破だぜッ」
「おう」
「……元気でな」
「おめぇもな」
「うん」
 エルの笑顔が、霞んでく。
 ……駄目だ、このまんまじゃ、泣いちゃうから。笑顔で、お別れしたいから。
 これ以上見ていられない。
「……じゃあなッ」
「じゃあな」
 そこであたしは、エルに背中を向けた。前を向いて真っ直ぐに歩き出す。
 会えるかな、またいつか。
 胸を過ぎる不安。
 エル、気をつけて。頑張って。負けないで。
 そして……。



 ……いつか、また。



                                                         Fin

2006/08/21