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推奨時期:第1部5話読了後がベストと思います。



■ QUEST ex3 One Night ■

「アギナルドさ〜ん」
 コボルトのロットとお揃いの三角巾とエプロン姿で、俺は雑巾とバケツを片手に居間を覗き込んだ。
「終わったか?」
「終わりましたよぉ〜」
 俺の後ろからぴょこっとロットも顔を出す。こくこくと頷いた。
 ここはヘイズからギャヴァンへ向かう途中の森に住む、隠れ武器職人アギナルド老の家。
 何か良いモノくれないかな〜と言う、おっそろしく図々しく安易な考えで立ち寄ったんだけど、もたもたしている間に日が沈みかけ、野宿なんか絶っっっっっっ対嫌だった俺は、家中を掃除しますという労働提供の代わりにここに泊めてくれるよう熱く要請し、掃除を終えたところ。
「お疲れ様」
 アギナルドの向かいに腰掛けて話し相手を務めていたユリアが、笑顔で振り返る。眩いばかりのその可愛らしさに、疲れが飛ぶ。
 いやいやいや、男ならそうでしょ?とりあえず可愛い笑顔には誰しも心癒されるはず。ああ可愛い。
 まだ会ったばかりだし、別に特別彼女のことを好きだとかそういうふうには思わないけど、思わないんだけど……まあ、可愛いものは可愛いわけで。
「いえいえ……」
「だらしなく鼻の下を伸ばすな」
 じじいが言う。余計なお世話。
 こんなわけのわかんねー世界にいきなり放り込まれた俺の身にもなってくれ。このくらいの特典はご愛嬌でしょ。
 口を尖らせる俺に、ユリアがくすくすと笑った。その肩で頬杖をついているレイアが、しらっとした眼差しを俺に送る。
「三角巾とエプロン姿でばーかみたい」
 うるさいなッ。一夜の宿を労働で勝ち取った俺に対してその態度はどうよッ!?
 顔を顰めて、三角巾とエプロンを外す。ロットに手渡すとそれをにこやかに受け取って、ロットがとことこと廊下を歩いて姿を消した。
 この家は、アギナルド老とロットの2人で住んでいるにしては、でかい。正面から見えた限り小造りに見えたから舐めてしまった。驚くほどの奥行きが……あったりなんかして。
 「家中掃除しますッ」なんて言った手前やりましたがッ。正直、やめときゃ良かったと溜め息をつくこともしばしば……。
 いや、部屋数そのものはそんなに多くないんだけれど。玄関にそのまま通じている居間であるこの部屋と、台所と仕事場が2部屋、倉庫みたいなのが2部屋。あとは客室らしきものが1部屋あって、アギナルド老とロットの私室。
 ただその広さがッ。……はああ。
 特に倉庫の広さがハンパなかった。「ホールなの?」と思わずロットに尋ねてしまったくらいだ。いや別に体育館とか言うほどでかいわけじゃないんだけどさ、さすがに。
「あ、わたし、食事の支度手伝って来ます」
 ユリアがロットを追って台所へ姿を消す。レイアもふわふわとそれにくっついていった。代わりに、ユリアが腰を下ろしていたソファに腰を下ろす。……つっかれた……。
「ご苦労じゃった」
「お礼ですから」
 素直にお礼を言われると、俺もどちらかと言えば素直なタチなので照れてしまう。ぽりぽりと人差し指で頬を掻いて、笑顔を見せた。
「詳しい事情を聞くのは、やめておこう」
「……」
 俺の半分くらいの背丈しかないアギナルド老は、小さな椅子に埋もれるようにしてそうしわがれた声で告げる。
「お前は武器と言うものを、良く知らなんだな?」
「……はい、まあ」
 持ったこと、なかったもん。
 こぽこぽと新しいカップに茶を注ぎ入れて俺に差し出してくれながら、アギナルド老が皺に埋もれた目を細めて俺を見た。
「いただきます」
 ぺこんと頭を下げて手を伸ばすと、いきなり笑われた。……何で!?
「ユリア嬢もそうだが、お前も育ちが良さそうだな」
 いえ、平民です。
 まあ良い、とひとりごちてアギナルド老は自分のカップに手を伸ばした。一口、口に含んで飲み下す。それを見て俺も一口飲んだ。……何だろう。紅茶みたいな味。紅茶なのかな。
 くんくんと匂いを嗅ぐと、アギナルド老が説明してくれた。
「テファと言う、葉を煎じた飲み物だ」
 紅茶だ。
「何を、言いかけたんですか」
 カップを置いて、さっきの話に戻す。アギナルド老が深く頷いた。それから、独白するように。
「武器は、旅をする人間にとって最も身近な友人だ」
「……」
「敵を、倒す為のものではない。命を奪い取るものではない」
「……」
「自分を、守る為のものだ」
 自分を?
「他人を傷つける為に振るっては、いかん。己を守る為に振るえ」
「……はい」
 違いが、良くわからない。
 けれど、余りにも厳かに言うので俺はまたも素直に頷いた。
「武器は、生きている」
 ……どういう、意味なんだろう。
 理解が追いつかなくて返答に詰まっていると、ユリアとロットがぴょこんぴょこんと顔を覗かせた。
「ごはん、出来ましたよぉ」
「おお。わかった」
 アギナルド老は、何事もなかったかのように立ち上がった。……いや別に何事もないんだけどさ。何かさ、何か……深いことを、言われたみたいで。
(ナタが言っていることと、近いことを……言われたのかな……)
 みんなに続いて、台所続きのダイニングに入る。意外にも大きな、でもやっぱりおっそろしく背の低いテーブルに、半ば寄せ集めの無理矢理みたいに椅子が並べられている。……まあ、普段2人なんだもんね。
 テーブルの上には、焼きたてみたいなふかふかの匂いをあげるパンとサラダ、スープに魚のムニエルみたいなものが並んでいた。西洋の家庭料理って感じの柔かい雰囲気。……ってか、うまそう。
 白雪姫が7人の小人の家に来た時はこんな気分だったんだろうかとつまらないことを考えながら、その、腰が痛くなりそうなテーブルを覗き込んだ。
「ユリア、手伝ったの?」
 王女様なのに。
 あいている椅子のひとつを引いて座りながら問うと、ユリアはしらっと視線をそらした。
「……盛り付けとか」
 ああ……言われてみれば、サラダの盛り付けがいささかぐちゃぐちゃだ。
「いただきます」
 見た目に多少の難は残しつつも、味はロットが作ったらしくて問題がない。俺は出来る限り、ロットの前に置かれている皿から視線を逸らしながらパンに噛り付いた。
「アギナルドさん、いつもロットと向かい合って食べてるんですか」
「そうじゃが」
「……そうですか」
 よく食欲が減退しないよな。
 何でって……何かロットの皿には得体の知れないイモ虫みたいなのを焼いたようなのとか……あああああ……深皿から謎の生き物が逃げ出してるよ……うぅぅぅぅ……。
 ……あッ。
 ロットがテーブルの上をぞりぞりと逃げ出し始めたムカデみたいな、でももっと動きののろいそいつを、ぱっと掴んでぱくんと口に放り込んだ。
(うッ……)
 見ればユリアも微かに青褪めた顔を引きつらせ、瞳を閉じていた。口元を軽く押さえている。
「食べんのか」
 だから何で平気なんだよ……。
「いえ、いただいてます……」
 けど、好意で食事を出してくれてるんだから、食べないなんて失礼な真似をするわけにはいかんでしょう……。別にそう……ロットが食べてるのを見て気分が悪くなるってのも、これまたロットに失礼なわけで。
(……頑張れ、俺)
 無理矢理パンを口に突っ込んで、むぐむぐと食べる。いや、味はうまいんだよ。視界さえ遮らせてもらえれば、この夕食に何の不服もないんだが。
「ああ、そうじゃ」
 苦心して食事を美味しく食べようと努力していると、ふいっとアギナルド老が顔を上げた。中央のバスケットのパンに手を伸ばしながら、俺とユリアを見比べる。
「客室はひとつしかないが、構わんな」
 ぶほーッ。
「は」
「え」
 ……何ぃ……!?

          ◆ ◇ ◆

「……」
 ……。
 ……。
 ……。
 ……えーと。
(こんなことしてても、仕方ないし)
 アギナルド老に割り当てられた部屋……ってかひとつしかないから他に割り当てようがないんだが、ともかくその部屋の前で俺は手をノックしようとした形のままドアの手前で止めていた。
 ……そうだよなあ。掃除して回った時に、気が付くべきだったんだよ。
(どうしようかなあ……)
 溜め息。
 中には、ユリアがいる。俺はどうして良いのかわからなくて、居間でぼんやりとしていた。アギナルド老に「居間で良いから」とか「廊下で良いから」とは言ったものの……「無理矢理押し込んで来たとは言え、客人に床や椅子で寝かせるわけにはいかん」と断固として言い張られ。
 無理矢理ってあのねえ……無理矢理ですけど。
 ってか。その客人が「そっちが良い」って言ってんだから、良いじゃねーかよおおお……。
「はぁ」
 また、溜め息。
 ……どうせじじいとロットは寝てる。バレないんだから、ここにいるか?
(は〜あ……)
 今度は心で溜め息。
 ……あのね、俺、女の子と付き合ったりとか、そういうの、ないんだよね。まともに好きになった人だって、いたわけじゃない。増して、同じ部屋に泊まったことなんかあるわけがない!!
 とは言え、思春期真っ只中。いろんなことに興味があったりとかするわけで。……そりゃあもう、いろんなことに。
 なんてことをうだうだ悩んでいると、この部屋の前から一歩も動けなかったりする。で、ひたすら溜め息を繰り返す羽目になっているわけだ。
(……)
 ……あほらし。
(やっぱ居間で寝よ……)
 と思ったら、バタンとドアの方が勝手に開いた。
「うわ」
「何してるの?」
 どくんどくん、と心臓が鳴る。ユリアがちょこんと小首を傾げた。
「や、あの、だから、その……」
 咄嗟にしどろもどろになっていると、ユリアはくすっと笑った。……そんな可愛く笑うのやめて。誘ってなくてもふらふらと誘われちゃいそう。
「……俺、居間で寝ようかと思ってて」
「でも、おじいさんに怒られちゃうわよ?」
 怒りたければ怒るが良い。俺はあくまでも理性的な人間でいたい。
「……ま、それは……。ユリアだって、困るだろ」
「わたし?わたしは、別に」
 おいーッ。
 このお嬢様を何とかしてくれ。
「だって、同じベッドで寝るわけじゃないわ」
 同じベッドじゃないからって、理性が保たれると思い込むのは甘いと思う。……いや、そりゃあ俺だって俺がそれほど危険人物だとは、自分で思うわけじゃないけど。
 思わないけど、経験したことのない環境でそういうの、やっぱ、どうかと思う。
 試してみてまずかったら、責任取らないぞ。
「レイアもいるし。2人なわけじゃ、ないから」
 それはそうなんだけどね。あんなんその気になったら人差し指で弾き飛ばせちゃうんですけど。……魔法使われたら困るが。
「だから、そんなに気にしないで。……カズキだって、お布団でちゃんと寝たいでしょう?」
 そりゃまあ……。
「……お邪魔します」
 負けて、俺は部屋に足を踏み入れた。
 そりゃだって、俺だって本当の本音で別の部屋で寝たいわけじゃないんだから。ユリアのことを嫌っているわけじゃなし、むしろ……好感を持ってたりするわけで。
 部屋に足を踏み入れた瞬間、レイアがぎろりと俺を睨んだ。
「妙な真似したら、ただじゃすまさないわよ」
 だから俺にどうせぇと?
「……はい」
 何となしにがくりと肩を落とし、溜め息をつく。またユリアが小さく笑った。……遊ばれてんの?俺。
 部屋は、それなりの広さがあった。
 とは言え、普通ひとつの部屋にベッドがあったら、まさか壁の端と端には置かないだろう。ここも例外ではなく……まあでも、その距離1メートルくらい。
 ……1メートル。
(近いよッ……)
 10メートルくらい離して。じゃないとどきどきして眠れないじゃないか。
「じゃあ、わたし、寝て良い?」
 何でこの人こんなに無防備なの?
「……おやすみなさい」
「おやすみなさーい」
 ……俺は今、試されている……。

          ◆ ◇ ◆

 ごろん。
 ごろん。
 ……。
(眠れるかーーーーッ……)
 既にカンテラの灯りは吹き消され、薄いカーテンの向こうから僅かに差し込む月明かりが仄かに部屋の中を照らす。ユリアが「おやすみなさーい」と言ってから果たしてどれほどの時間が過ぎたのか俺にはもう良くわからない。
 心臓がずっとどきどき言いっ放しで、疲れた。疲れたけど、おさまらない。
(……これって拷問?)
 すぅすぅと、隣のベッドからなーんの警戒もない、安らかな寝息が聞こえてくる。2つ。ユリアもレイアも、完全に寝静まっている。
 ごろん。
 俺は寝返りを打って上半身を僅かに起こし、横向きのままベッドに頬杖をついた。つらつらと、布団にくるまって僅かに揺れるユリアの眠る後姿を眺める。
(何だかなあ……)
 何でそんなに無防備なんだろう。そりゃあまあ、王城で王女様にむやみな真似をする奴はいないだろうけど。
 それとも。
(……俺って男の範疇に入ってないんだったりして)
 ……。
「ん……」
 微かに色っぽいと言える声を上げて、ユリアがころんとこっちへ寝返りを打った。薄闇にほんのり映し出されるユリアの寝顔。
(……えと……だから……その……)
 な、何考えてたんだっけ……。
 ……ま、まあいいや、どうせ大したこと考えてないんだから、さっきから。ろくでもないことばっかりで。
(しっかし、ホント、良く寝てるよなあ……)
 半ば呆れたような気分で、つらつらとその寝顔を眺める。この状況をシェインが知ったら、頭上から雷が落ちてきそうだ。いや、比喩じゃなく。火だるまかもしれない。どんな魔法を使うのか良く知らないけど。
 諦めて頬杖を解き、ベッドに仰向けに転がる。目が冴えちゃって全然眠るどころじゃない。
(くそじじい……)
 アギナルド老も、遠慮ない真似をしてくれる。
 ごろん。
(うーん……)
 ごろん。
(……うーーーん……)
 ごろ……むく。
 良く寝てるってことは……。
(……)
 ベッドから起き上がって、ユリアを覗き込んでみる。……ほんっと……良く寝てるよな……。
 長い睫毛。綺麗に通った鼻筋。近くで見ても、やっぱり美人だ。
 ほとんどその寝顔に引き寄せられるように、そっと顔を近づけた。……あと、ちょっとで何かが起こりそうになったその時。
「んん……」
(うわあああ……)
 ユリアが声を上げた。きゅっと眉根を寄せ、そのままころんと反対側に向きを変えてしまう。
(……び、びっくりした……)
 俺は今心の中でごめんなさいを100万回唱えた。どきどきどきどき……。
(あぶねー……)
 いささか虚しくなる。何やってんだか。
 ユリアが向きを変えてしまって、犯行が絶対に不可能な状況となった俺はしみじみと自嘲して立ち上がった。音を立てないようにそっと部屋を出る。
 キシ……。
 微かにドアが軋んだけれど、無事部屋を脱出することに成功した俺は居間のソファに沈み込んだ。
――ああ神様。俺の心は汚れてます。
――ユリアに顔をあわせられないッ。
 ……などと思う奴が果たしてイマドキいるだろーか。
(惜しかった……)
 ちッ。
 悪いんだけど、そこまで殊勝でもない。
 居間の長椅子に、ごろんと転がる。頭の後ろで手を組んで枕代わりにしながら、天井を仰いだ。
(いつ、帰れんのかな……)
 その時、カタンとドアの方で音がした。はっとして体を微かに起こす。見ればロットが、きょとんとした顔でこっちを見ていた。くいっと微かに首を傾げると、扉を閉めてとことことこちらへ来る。
「……ロット。どうしたの?」
 と言ってもロットは何も答えない。しゃべれないのか、単にロットが無口なのかは知らない。ただ、俺の言葉を理解していることはわかっている。
 何も答えずに俺のそばを通り過ぎたロットは、ややしてカップを2つ手に戻って来た。1つを俺の前に置く。
「あ、ありがとう」
 それから、もうひとつのカップを手にしたまま、体を起こした俺の隣に腰掛けた。
「眠れないの?」
 尋ねてみると、ロットは小さくかぶりを振って俺を指差した。
「俺?……俺は……」
 その……まあ、いろいろと。思春期の諸事情がありまして。
「寝られなくて……」
 それから俺は、もぞもぞと椅子の上に両足を抱えた。膝の上にこてんと頬をくっつけて、ロットを見る。
「俺と、少し、話……しない?」
 その毛もくじゃらの顔を覗き込むような視線で問うと、ロットはつぶらな黒い瞳をぱちぱちさせて頷いた。
「……ありがと」
 笑顔を向ける。それから視線を床に落とした。
「俺、さ……この世界の人間じゃないって……ユリアが言ったじゃん」
 声もなくロットが頷く。
「信じる?」
 こくり。
 ……この辺がさ、不思議なんだよね。
 例えば俺、元の世界で目の前の人物がいきなり「私はこの世界の人間ではありません」とか言い出したら……はっきり言って正気を疑う。いかれてんのかと思う。引くと言うかコワイと言うか。
 でも、パララーザもアギナルド老も、最初驚きこそすれ……信じたんだよな。そりゃあ本当の本音は俺にはわかんないけど。
 ……やっぱ、魔法があって魔物がいて。精霊や妖精がいて精霊界だとか……異世界において更に異次元が当たり前に認識されてるらしいし。その辺が関係するのかもしれない。
「俺、ちゃんと帰れると思う?」
 ロットは、困惑したような表情を浮かべた。言葉を話さない分、表情と言うか目の動きが豊かだ。
「そんなこと聞かれても、困るよな……」
「……」
「……良くある物語みたいに、帰り方、探さなくていーんだ。俺。帰せる人……知ってるし。もう」
 ロットがじっと聞いてくれるのを良いことに、俺は訥々と話す。アギナルド老がロットと住んでいるわけがわかる気がした。余計なことを言わず、ただ素直に受けとめてくれる感じが……何か安心を誘って。
「でもさ、俺、死んじゃうかもしれないじゃん?」
 ぴょこん、とロットの耳と尻尾が垂直に立つ。つぶらな瞳がまんまるだった。
「だって魔物とかいるんだ。……あ、ロットも魔物か」
 今度は耳と尻尾が垂れ下がる。……な、何か面白いな。俺、特別動物が好きとか嫌いとか別にないけど、犬とか飼うのも良いかもしんない。……ロットに失礼だろーか、この発想。
「ロットは仲間といないでアギナルドさんといて……寂しくないの?」
 ふるふる、と首を横に振る。顔を膝から上げてカップに手を伸ばしながら、更に尋ねた。
「帰りたいとか、思わない?」
 また、ロットは否定の意を返した。
「……俺は、帰りたい」
「……」
 愚痴ったって、仕方がないんだけどね。
 頑張ったって、こんな現状変えられるもんじゃない。今の状態で……必要とされてて人の生命がかかってて……放り出すことは俺には出来ないし、大体「やっぱやめたから帰してくれ」つったってあのシェインが素直に頷くとは思えないし。
 変えられないんだったら、そこから得るしかない。
 無駄な経験なんかないはずだから、俺がそこで得る体験を……自分の中でプラスに持っていくしかない。
 ……クエスト、と言う言葉がある。
 探求――探し求める、と言う意味だ。
 俺は、何を探し求めるんだろう。
 ひとつひとつの小さな冒険じゃなくて、小さな冒険が積み重なった大きなこの……俺が放り込まれた『旅』と言うクエストが終わった時、俺は何を見つけるんだろう。
 何かを……見つけられるだろうか。
(そうだよな……)
 かつてない体験。何かを学ばなきゃ、嘘だ。
 俺の身に起こっていくことの全てが……これからの俺を形成する何かに繋がるはずだから。
「……ロット」
 顔を上げると、ロットが俺をじっと見ていた。笑顔を向ける。
「聞いてくれて、ありがとね」
 何かを、見つけ出すことが……。

          ◆ ◇ ◆

 結局そのままそこで、ロットのちょっとごわごわした温かい温もりに寄り掛かって眠ってしまったらしい。はっと気が付くと、窓から零れ入ってくる日差しが部屋の中を明るく包み込んでいた。
「結局こんなところで寝おったか」
 出たな、じじぃ。
「当たり前」
「まあ良い。若いのだから悩み、迷い、苦しめ」
 ……何てことを。
 ってゆーか。
「……わかっててやりましたね?」
「部屋数がないのは事実じゃからな」
 それはそうだけどッ。
「気を利かせてやったのにのー」
 ……じじぃッ!!
 あのなあッ、おかげでなあッ、おかげでッ……。
 ……。
 可愛い寝顔が見られましたけど……。
「……ありがとう」
 何を礼ゆーとんじゃ、俺は……。
「まあ、これからの長い旅で頑張るんじゃな」
 あのね、生命かかってんの、俺。頑張るのはそんなことじゃないでしょ!?
 そこへ居間の扉が開き、身仕度を整えたユリアとレイアが顔を覗かせる。途端、やっぱりこう……罪悪感が。
(……未遂で良かった)
「おはよ」
「……おはよ」
「結局、こっちで寝ちゃったの?」
 爽やかな顔で微かに小首を傾げて、こちらに来る。まともに顔が見られず目線をそむけたまま挨拶を返すと、レイアが白い目をした。
「……何か変ね」
「……別に」
 どうやら嘘をついたり隠しごとをしたりするのは、あまり得意ではないみたいだ。
「あは、カズキ……」
 ユリアが俺の顔を覗きこんだ。ややややめて。あんまり顔を近づけられると、昨夜のことを思い出してしまう。口元にばっかり目が行ってしまいそうになって俺はどぎまぎしたが、ユリアは何も気付かずに笑顔のまま俺の頬を人差し指でつついた。
「跡、ついてる」
「ああああそう……」
 言われた場所をそっと撫でる。アギナルド老がユリアを呼んだ。
「ユリア嬢、ロットの朝食の支度を手伝ってやってくれ」
「はぁい」
 ふわりと身を翻す。レイアがそれに従った。まだ下ろされたままの長い髪がその背中で軽く揺れる。
(……ま、いっか)
 何にかわかんないけど、内心そんなふうに呟いて俺は小さく息を吐いた。
 剣を持つのも、魔物を見るのも、王女様なんか見るのも、それこそ女の子と同じ部屋に泊まらされるなんてのも……何もかもが初めてで。
 何もわからなくて、全てが慣れなくて、いろんなことが怖くて。
(生まれたてのヒヨコみたいだなあ、何か)
 『やらされる』のは好きじゃない。どうせやらなきゃいけないんだったら、自分でいろんなことを考えなきゃ。
(……頑張ろ)
 大きなことを出来なくても、良いから。
 ひとつひとつ目の前の小さなことをちゃんと片付けていけば、いつかゴールには辿り着くはずだから。
 だから。
「カズキ。薪を運ぶのを手伝ってくれ」
「はーい」
 とりあえずはギャヴァンへ。そして……『王家の塔』、へ。
 軽く髪をかき上げるとアギナルド老の声に応えて、俺は歩き出した。



                                                         Fin

2006/07/11