■ 26 思惑と想い ■

「げほッ……げほッ……」
 森奥深くにひっそりと建てられた屋敷の奥の部屋で、明かりもつけぬまま老人はむせこんだ。地下まで備える意外なほど広いその建物の、しかし一部屋しか老人は利用していない。黒い石を嵌め込んだロッドを節くれだった指先で握り締め、壁に手をつく。
(いささか……厳しいな……)
 体にそろそろ限界が来始めている。このままではいずれにしても、長くはない。かつて得た生命力もそろそろ底を尽きようとしていると言うことか。
 それを感じたからこそ、何としてでもこの計画でストームブリンガーを手に入れる為、多少の無理をしたのだが……。
(やはりジンを縛っておくのは負担が大きかったか)
 かつて手にしていたストームブリンガーにより、バルザックは多くの生命力を吸収した。幾多の生命をこの手にかけ、それにより数百年の生命が蓄積されたのだ。
 だが、どれほど貯蓄があろうとも、消費ばかりして補充しなければいつかは底を尽きる。召喚師であれば尚のことだ。いつの頃からか、老いることを知らなかった肉体はゆっくりと、しかし着実に蝕まれていった。
 召喚を控え、言霊魔法を独学で身につけたことにより生命力の消費は節約されたが、それでもやはり人として生命を繋いでいれば死への行程は短くなる。
 シャインカルク城へと何度も侵入し、ラウバルの持つストームブリンガーを奪い返そうとした。だが、大教皇ラムズフェルト4世と大司祭ガウナの神聖魔法で、大神殿の奥に厳重に保管されている為、邪悪な召喚獣を使役するバルザックはその聖なる空間に入ることは出来ない。
 そこで考えたのが、ラウバルにストームブリンガーを帯剣させて引っ張り出すことだ。
 ストームブリンガーはその邪悪さもさることながら、魔剣としての強力さも侮れないものがある。火急の時には必ずラウバルは帯剣するだろう。
 黒竜グロダールを利用しようと考えたのは、ほんの思い付きだ。そしてその思い付きの為に竜の秘宝である竜珠を欲したバルザックは、休眠期だったグロダールに強力なイリュージョン(幻覚)の魔法をかけ、混乱させた。竜珠を奪い、怒り狂ったグロダールに竜珠はギャヴァンにあると幻覚を抱かせたのである。
 ギャヴァンはヴァルスにとって重要な貿易都市であり、グロダールの凶暴さは半端ではない。しかも怒り狂っていると来ている。必ずラウバルがストームブリンガーを持ち出すとバルザックは信じた。
 果たして、ラウバルは帯剣して派遣された。だが、赤い髪の見習い魔術師と黒髪の傭兵に妨害され、断念を余儀なくされたのだ。
 現在、バルザックはシャインカルク城にすら入り込めなくなった。もはや老い寂れた自分の身に残された時間はそれほどない。
 これまでの道のりを振り返りながら、バルザックはロッドに嵌め込まれた黒石を弾いた。―グロダールの竜珠。
 そんな折、飛び込んできたのがアルトガーデンの激震だった。クレメンスが倒れ、後継者はまだ年若い娘。
 間違いなく諸国は目の色を変えるだろう。だが、下手な国が攻めたところでヴァルスを攻略するのは生半可なことではないし、通常であれば戦陣の陣頭指揮に当たるのは国王。ラウバルの役目はその間、王の代わりに王城の政を瑕疵なく治めることだ。
 それではいくら混乱が起ころうと、バルザックにとっては意味がない。
 ラウバルが国軍の陣頭指揮にあたるとすれば、代わる者がいない時だ。クレメンスは、病床に臥しているのだから問題はないし、王女は問題外である。排除すべきは、王女の伴侶―レガード。
 レガード王子が戦陣に立つのと立たないのとでは、ヴァルス兵の士気が違うように相対する各国の士気も違う。バルザックの最終的な望みを果たすためには、そういった土台を整えることでヴァルスにそこそこ拮抗し得るだけの力を持った国でなければならない。そこで、ヴァルスにとって最大の仮想敵とも言えるロドリスに近付いたのだ。
 バルザックにとって幸いだったことは、ロドリス国王が腑抜けであることと、野心を抱く宮廷魔術師がいたことだ。
 ロドリス宮廷魔術師セラフィは、ヴァルスに戦争を仕掛けたがっている。無論、負ける戦争ではなく、勝てる戦争を仕掛けることを、ではあるが。
(だからこそ……)
 バルザックはむせこみながらも、ゆっくりと椅子に腰を下ろし、水晶球にしょぼつく目を向けた。
 広がる黄色い世界――風の砂漠。
 だからこそ、バルザックは身の危険をおしてでも、負担のかかる上位精霊を呼び出して『王家の塔』への立入を封じた。
 バルザックが見る限りセラフィは、ヴァルス王位にこだわっている。レガードが、あるいは王女かのいずれかが『王家の塔』を攻略してヴァルス王位を継承した後に、戦争を仕掛けて勝利を収めるのでは彼にとって意味がないのだ。レガードがいなくなることのセラフィにとってのメリットは、アルトガーデンの空位ではない。ヴァルスの空位と戦力の弱体化だ。
 建前ではヴァルス領土を分割、ロンバルトを併合してロドリスの国力を増強し、アルトガーデンを掌中に収めることを目的としているが、国王はともかく宮廷魔術師の本当の目的は恐らくそんなところにはない。ロドリスが後ろ盾としてヴァルス王位をレドリックに継承させ、それを改めて排除することによってヴァルス王位を操れる、力。
(だが、知ったことではない……)
 セラフィの目的がどこにあろうが、それが果たされようが果たされまいが、そんなことは関係はない。
 肝要なのは、セラフィの目的がロドリスの国力増強でないが為に、仮にロドリスと無関係のところで誰かが王位を継承してしまえば放棄しかねないと言うところにある。
 ロドリスには、陣頭不在のヴァルスを攻めてもらわねば困るのだ。新たな計画を練り直しているような時間は、バルザックに残されていない。
 ストームブリンガーを手に入れて、そして……。
「……」
 その先の、本当の狙いと言える考えに沈み込もうとして、バルザックははっと体を起こした。館に近付いてくる青い気配。――セラフィ。
 連絡を寄越さないバルザックに痺れを切らして、先方からご訪問と言ったところのようだ。
(……どうするか)
 レガードを逃してしまったせいで、ロドリスはなかなか重い腰を上げようとしない。確実にレガードを仕留めていれば、次期国王を失い混乱するヴァルスをナタリアと組んで勢いで攻める姿勢もあったのだが、タイミングを逃した為に慎重にクレメンス崩御と同盟の拡大に重きを置いている。
 最終的にどちらが勝とうが知ったことではないバルザックとしては、時間も余りないことだし、さっさと始めて欲しいのだが。
(やはり、焚きつけるか)
 視線の先には、砂漠を旅する『偽レガード』の一行がある。本物のレガードとは明らかに違うオーラを持つ、少年。
 そして……。
 その隣で黄金色の長い髪を揺らす少女に目を向けた。口元に薄く笑いを浮かべる。
 これだけレガードにそっくりな少年なのだから、「本物だ」と偽ってセラフィに首を差し出してやっても構わないが、ここまで来れば恐らくロドリスはいずれにしてもクレメンス崩御と同盟成立のタイミングを待つだろう。
 それよりももっと、戦争が起こらざるを得ない状況にしてやれば良い。
(ヴァルス王女……)
 通常ならば知るはずのない王女の顔を知るのは、バルザックが幾度もシャインカルクに侵入していればこそである。まさか王女自ら旅をしているなどと思いがけなかったことと、服装や髪型が全く違った為に気がつくのが遅れたが、この一行を何度か観察しているうちに気がついた。
 利用出来るが、どう利用すべきかを検討していたのだが。
「そうさせていただこう……」
 どうやらそれが、最も手っ取り早そうだ……。
「覗き趣味かい」
 静かに、しかし高温を発する青の焔が部屋を訪れた。ゆっくりと振り返る。
「久しいな」
「そうだね。1ヶ月?それ以上?あんまり僕に会いに来てくれないもんだから、恋焦がれて僕の方から来てしまったよ」
 ロドリスの宮廷魔術師は、美形と呼ぶに相応しい顔に笑顔を作った。だがその瞳にはどことなく険がある。
「光栄だな……」
「相変わらず陰気臭いね。せめて明かりくらい灯したら」
 言ってセラフィは指に嵌め込んだ指輪から『灯火』を放った。言霊魔法で言う『導きの光』の上級魔法に該当し、灯す先を特に選ばない。
「……で?」
 壁に肩を預けて、セラフィはゆっくりと腕を組んだ。バルザックを青い眼差しが見つめる。
「どうなってるのかな。その、水晶球に映っているのはレガード王子に見えるけど」
「ほう。目敏いな」
 言ってバルザックはまたむせこんだ。ひとしきり咳き込んで、水晶球に向き直りゆっくりと撫ぜる。
「いかにも、レガードだ」
「ひとり占めする気だったのかな。僕がレガード王子を待ち焦がれているのを知っていて」
「誤解と言うものだろう。本物かどうか、様子を見ていたのだ」
「本物かどうか?どういう意味さ?」
「妙なことが起こっているようだ、と以前言ったはず……」
 しゃがれた声が、『灯火』を灯して尚暗い部屋に響く。セラフィはその辛気臭さに僅かに鼻の頭に皺を寄せながら、バルザックの言葉に耳を傾けた。
「ああ……言ってたね」
「この水晶球にすら、しばしレガードの姿は映らなんだでな」
「なぜ?」
「わかりはせぬ……。良いではないか、今こうして映っている」
「……」
 謎かけのような言葉で追究をかわし、バルザックはセラフィを微かに振り返った。真実のレガードは、未だこの水晶球にその姿を映さない。
「で、本物かどうかはわかったわけ」
 バルザックは低い笑いを漏らし、明言を避けた。
「面白いことを教えてやろう。見るが良い」
 言われるがままに水晶球を覗き込む。黄色い砂が吹きすさぶ中、5つの人影がバシリスクと戦闘をしているところだった。黒髪に赤いメッシュの入った少年――レガード。黒い長髪の、魔剣を握る青年。淡い金髪のエルフ。白金髪のソーサラー。黄金色に輝く髪と翡翠色の瞳の少女。
「これが?」
「ヴァルスの王女だ」
「……何?」
 セラフィの顔に真剣な表情が宿る。――ヴァルスの王女?
「なぜ王女が……?」
「なぜだろうな」
「……」
 王女がレガード王子と一緒に『王家の塔』へ?何の為にそんな真似を……。
「王女をどうする」
「……」
 セラフィは忙しく頭を巡らせた。ヴァルス王女は重要なコマだ。消すか?だが消すことに何の意味がある。ヴァルスの王女を消してしまっては、レドリックにヴァルス王位を継がせることは出来ないのではないか。
 ……いや、そうとも限らない。レガードも王女も消えてしまえばヴァルスは後継者がいない。現国王クレメンスには兄がいたが、当の昔に王家の家系図から抹消されてしまっている。兄本人も死している。
 無論時間を与えれば捻り出すだろうが、その前にヴァルスを叩いて終戦条約でレドリックの王位継承を条項に盛り込むことも可能なのでは。
――-そう。ヴァルス王女などいなくても、不可能ではない。
 しかし、その為には完膚なきまでにヴァルスを叩かなくてはならない。何の因果もなく王位を現段階で操ろうとすれば、ヴァルスの抵抗はかなりのものだろう。それならば王女と言う正当な血統を残した上で、そこへ結びつける方が遥かにヴァルスを陥落し易いはずだ。
 諸国に対しては、アルトガーデンの帝位とは別に、ヴァルスをレドリックに与えると言う形を取れば文句は出ないだろう。何せ、レドリックが継承する頃にはヴァルスは条約と言うナイフで諸国の皿に美味しいところを切り分けられている。
 アルトガーデンの皇帝選挙はその後に『公正に』行えば良い。元々レドリックはヴァルスを継承するはずだったレガードと同じロンバルト王子。
 それを利用すれば、ヴァルスとロンバルトの票は元より、エルファーラもヴァルス大神殿の票も集まる。
 ロドリスの票は当面レドリックに投じられるし、ロドリスの言いなりであるナタリアも同様だ。キルギスは皇帝権にそもそも大して興味がないし、バートとモナはヴァルス分割の際の条件次第で票を獲得出来るだろう。
 残るはリトリアだ。だがここまで来れば多勢に無勢である。ロドリスが後ろ盾となってレドリックをヴァルス王位につけることは、恐らくレガードの一件を持ち出して抵抗するだろうが、そんなものは簡単な言葉でかわせるのだ。
 いわく――我々が不満を抱いたのは、帝国アルトガーデンの帝位を選挙なくしてロンバルトの王子が継承することである。帝国内の一国であるヴァルスを誰が継承するかは不満を抱くところではない。不幸にして愛する婚約者を失ったヴァルス王女が、その兄を婚姻相手として選ぶのは自然なことである。
 つまり、ヴァルス王女には利用価値がある。尤も、消してしまったらそれはそれで、条約にレドリックのヴァルス継承を捻じ込むだけのことなのだが。
(流れは自然であるに越したことはないんだよね……)
「良い。ヴァルス王女は放っておけ」
 王女であれば大した火種にはなるまい。
「生かす、と」
「当面はね。……『銀狼の牙』残党が、彼らを追っている」
「残党?」
「頭はレガードに消された。後はただの烏合の衆だ。心許ない」
「……」
「合流して、今度こそ間違いなく、レガードを消せ。必要なのは、レガードの首だ」
「よかろう。……朗報を、待っているのだな」

          ◆ ◇ ◆

 マーリアと約束したその日、幾つかの仕事を片付け、幾つかの仕事を放り出し、セラフィがフォグリア郊外の邸宅に辿り着いたのは既に夜半過ぎのことだった。マーリアは待ちくたびれて眠ってしまっていることだろう。約束を違えてしまったことに胸が痛む。
 つい先だって、レガードの暗殺を指示してきたこの自分が、マーリアを待たせているだけでこれほど胸が痛もうとは。我ながら笑えてしまう。
 馬を厩舎に繋ぎ、出入口の扉に手を伸ばしたセラフィはふと、中から漏れ聞こえてくる小さな歌声に気が付いた。
 セラフィを、そしてグレンをも癒す、マーリアの歌。
 エルファーラのどこかの村に伝わる歌だったはずだ。セラフィは思わずそこにたたずんだまま、か細い歌声に耳を傾けた。
 知らず、当時のことを思い出した。
 セラフィは元々、貴族などではない。いや、平均的な市民でさえなかった。ロドリス辺境の、孤立した寂しい村で生まれ育ったのだ。
 体中に負っている傷は、その頃実の親によってつけられたものだった。年を追うごとに女性を圧倒的に凌駕するほど美しく育ったセラフィに対し、父親は過剰な愛情から、母親は烈しい怨嗟から。
 日夜体と心に受けた暴行。心の崩壊はきっと、その頃から既に始まっていた。
 そしてあの夜が訪れたのだ。
 セラフィは自分の両親を、その手にかけた。明確な自分の意志を持って。
 グレンもまた同じだ。裏の顔と、偉大な神官としての表の顔を持つ育ての親の血で刃を染め、故郷トートコースト大陸を追われた。流れ込んできたのはロドリス辺境の村ヴァイン。――マーリアが母親と2人きりで暮らしていた、村。
 グレンを育てた人物の、真実の姿は神官などではなく……。
(……?)
 ふと気付くと歌声は途切れていた。しまった、ぼんやりとこんなところで考え込んでいる間に、待ちくたびれたマーリアは本当に眠ってしまったらしい。
 そっと扉を開け、中に滑り込むと、仄明るい入り口そばの階段に座り込んでいるラルと、ラルに凭れ掛かって小さな寝息を上げている少女の姿が見えた。微かに軋んだ音を立ててラルが立ち上がろうとするのを片手で制し、マーリアに近付く。
 すぐそばにしゃがみこみ、そっと顔を覗き込んだ。起こさぬよう気をつけながら抱き上げる。
「マーリア」
 立ち上がり、その頬にそっと口付けると小さく囁いた。
「……マーリア。君に、必ず故郷を見せてあげる」
 腕の中の温もりが、微かに身動ぎをした。

          ◆ ◇ ◆

 開け放されたままのドアに寄り掛かり、ラウバルは形だけその扉をノックした。こちらに背を向ける形で机に向かっていたスペンサーがゆっくりと顔だけで振り返る。
「おお、これはラウバル殿」
「開け放したままとは開放的だな」
「天気が良いのでな。空気を入れ替えようと思ったのだ。王城内では何が起こるわけでもあるまい」
 スペンサーは角ばったごつい顔に笑顔を浮かべてラウバルに体ごと向き直る。
 シェインに対しては頑なな態度を見せるスペンサーも、その見た目とは裏腹に遥かに年長にあたるラウバルにはそれほどでもない。無論、事実はさておき見た目が若ければこそ、無意識に若者扱いされることもしばしばだが。
「少々時間をいただきたいのだが」
「……ギャヴァンか」
「……」
 ラウバルは無言で扉を閉めた。中に入り込む。
「軍の動向は現在どうなっている」
「国軍を3万、ラルド要塞へと差し向けた。禁軍は城内に留めてある」
「では差し向けた3万のうち、1万をギャヴァンへと至急進路変更していただきたい」
 スペンサーの目に険が宿る。
「ラウバル殿ともあろうものが、あの若僧に影響されたか」
「影響されたわけではない。私はシェインと同意見だ」
「笑わせるな。危険なのはロドリスだ」
「モナは海路からギャヴァンへ必ず上陸する。上陸してからでは、遅い。仮にロドリスが動いたとしても、増援するまでに派遣軍2万と要塞の兵1万で持ちこたえることは出来よう」
「ロドリスは同盟を組んでいるのだぞ」
「成立までには時間を要そう。モナが攻めてくるのが恐らく先だ」
 全く動じないラウバルに、スペンサーは歯噛みするように立ち上がった。
「ラウバル殿は、我々とモナの関係をご存知のはず」
「ああ。良く知っている。人とは時に裏切るものだと言うこともな」
「モナごとき、裏切ったところで……」
「ロドリスと挟撃されても、とるに足らぬと言えるのか」
「……」
「『モナごとき』と言うのであれば尚のこと、モナが先に攻めてくるのであれば撃破しておくべきだし、ロドリスと挟撃してくるのであればやはり先に排除すべきはモナだ。いずれにしても、ギャヴァンに差し向ける必要を感じる」
「モナが友軍であると言う可能性は、既にラウバル殿の中にないか」
「ないな」
「……毒されておる」
「モナに派遣した使者は行方不明だ。恐らく王城ウォーター・シェリーの中庭にでも埋まっておろう。私はシェインの情報と分析を信じる。……ギャヴァンに国軍を派遣せよ」
 埒のあかない会話に飽きて、ラウバルは居丈高に言い切った。スペンサーが唸るように言った。
「それは、命令か」
「宰相としての命令だ」
「何かあった場合、そなたの責任が問われよう」
 脅すように低く言ったスペンサーに、ラウバルは失笑を向けて言い放った。
「良いだろう。全ての責任は、私が持つ」

(……ユリア)
 シャインカルク城内の自室で書類に落としていた視線をふと窓の外に向ける。シェインのルビーのような赤い瞳に木々の木漏れ日が僅かに反射した。
 一抹の不安が胸を過ぎる。
 ラウバルの話は、わかった。バルザックがグロダールをギャヴァンにおびき寄せたことも、その目的も、ストームブリンガーを狙っているわけも、そしてバルザックが召喚師であると言うことを話さなかったわけも。
(召喚師としての能力を、控える為にソーサラーとなったとはな)
 生命を繋ぎ止めるため、バルザックは数十年、いやそれ以上の期間に渡って召喚能力を封じ続けている。だからこそ、確証が持てなかったのだとラウバルは言った。
 だが、控えると言うことはイコール使えないと言うわけではない。
 ……ユリアの身が、案じられる。
 確かにシェインはユリアに防御魔法を施してあるが、それが万全ではないこともわかっている。例えば魔法を遮られた空間である場合。例えば――シェインを凌駕する魔法の使い手である場合。
(……わかっていたことではないか)
 緩く頭を振り、不安な考えを追い払おうとした。
 旅に出せば、どれほど心砕こうと、必ず危険は付き纏う。ならば引き止めれば良いものを、それが果たしてユリアにとって最良なのか疑念が湧くのを止められなかった。ユリアは飾り物ではない。意志のあるひとりの人間だ。王女と言う掛け替えのない身であらばこそ、本来ならば断固としてその責務の前に止めるべきだったのだろうが、シェインは一個人としてのユリアを尊重してしまった。
「……」
 ふとその視線が動く。扉に近付いた。
「幾らだ」
「6千ギルと」
「待っていろ」
 扉を開け、そこに陰のように立った男をひと目見て、シェインは僅かな会話の後部屋の奥へ向かった。金庫から金貨の入った皮袋を取り出す。それを手に扉に戻り、男を見据えた。
「話せ」
「モナがロドリスに送った使者は外務大臣です」
「……」
 また、思い切った真似を。場合によれば命を落としかねない。
「対面の際に同席したのは、カルランス国王、宰相ユンカー、宮廷魔術師セラフィ他は不明。モナの使者は外務大臣ただひとり」
 言葉を切った男に、シェインは視線で話を続けるよう促した。
「対応にあたったのは主に宮廷魔術師だったそうです。……以下は、報酬と引換えに」
 シェインは皮袋を差し出した。代わりに書簡を受け取る。
「……カイザーに、宜しく伝えてくれ」
「……は」
 カイザーはロドリスに潜入している間諜のひとりだ。男はその使者である。扉を閉めて部屋の中に戻りながら、シェインは書簡を開いた。視線を落として目を見開く。
(――だから言わぬことではないッ……)
 ぐしゃり、と手の中の書簡を握り潰して、シェインは険しい顔をした。
 再びのノックの音に、険を浮かべたままの表情を扉へ向ける。
「いるぞ」
「シェイン、国軍をギャヴァンに向けるよう……どうした?」
 執務室ではなく私室にいたシェインを訪ねてラウバルがドアを開ける。シェインの顔を一目見て、頬に緊張を走らせた。
「……モナの海軍が、南下を開始した」
「何」
「次はフレデリクがロドリスを訪問するぞ」




2006/06/08
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