| ◆ ◇ ◆ 「思わず『沈黙の魔法』をかけてくれようかと思った」 ユリアとの謁見を終えた俺を引き連れてシェインはぶつくさ言いながら俺の前を歩いていた。長身のシェインの頭は俺より高い位置にあり、動きにあわせてさらさらと揺れるその髪を見つめながらシェインに絡む。 「シェイン、俺のこといつでも帰せるんじゃんね」 「いつでもと言うわけにはいかぬがな。……ユリア様の為だ。堪えてくれ」 俺がこれからどうすれば良いのか、持ち物だとか行き先の説明だとかを今からシェインが教えてくれるってことなんだけど。 どこに行くのか、階段をひたすら降りてシェインは地下に向かった。 上とは違って、壁から床から全てが石造りで暗い。窓からの明かりがないせいか、カンテラの火もひどく頼りなく見える。 「みんな、ユリア……様に忠誠を誓ってるの?」 俺の問い掛けに、シェインは軽く顔を振り返って眉を上げた。 「当然だ。王家に仕える者として、王族に忠誠を尽くすのは当然のことだろう」 「シェインって破天荒にやってそうなのに」 その言葉に苦笑する。 「好きにやらせてもらっている方ではあると思うがな。自分が忠誠を尽くすべきと定めた主君には、命も賭けよう」 「ふうん?」 「俺は、己の主君をクレメンス8世陛下と定めた。クレメンス8世陛下の愛娘であるユリア様もまた同じだ」 意外に真面目な言葉に驚いた。そう言うものなのかな。騎士道精神みたいなもんだろうか。騎士じゃないけど。 「どこ、行くの」 「おぬしに餞別をくれてやろうと思ってな。ひとりでは心細かろう」 「……ひとり?」 何だって? 思わずぴたりと足を止める。 待ってくれ。誰も俺について来てくれないのか? 地理も何もわからない、言葉も覚えたてのこの国で? 「ああ、ちょっと言葉が悪かったな。レイアは一緒に行くから安心しろ。ああ見えても結構な精霊魔法の使い手だ。大船に乗ったつもりでいるが良い」 船、ちっちぇぇぇ〜……。 構わず先に歩いて行くシェインの背中を、小走りに追いかける。 「シェインは来てくれないの?」 「行きたいのはやまやまだがな。俺には俺の仕事と言うものがある」 「遊びまわってる癖に……」 「何か言ったか?」 「別に……」 ぼそっと言ったところで、シェインが足を止めた。鉄の、古そうな扉。 シェインは鍵束から1本の鍵を選び出し、その鍵穴に差し込んだ。ガチャリと重たい音がして鍵が開く。 「ここは……?」 「俺の宝物庫だ」 俺のって……。 「魔力付与道具、と言うものが世の中にはある。古いものになると用途不明のものもあったりするし、危険な可能性もあるからな。俺が管理している」 「シェインが管理してて、お金に困って売っ払ったりしないの?」 ぼそっと言うとシェインはがくっと躓いた。 「おぬしはどういう目で俺を見ている……」 「いやまあ……」 シェインに続いて中に入る。シェインが管理していると言う割には意外と綺麗に整理されていて、それなりの広さのある宝物庫にはたくさんの物が置かれていた。俺には用途がさっぱり想像もつかない物もある。 「待っていろ」 言われて、出入り口のところできょろきょろしながら待っていると、奥の方でガタガタと音をさせていたシェインが戻って来た。手には小さな箱を持っている。 「おぬしの身を守ってくれるだろう物だ」 「何?」 シェインが開けたその箱の中には、真っ赤な石に金色のプレートがついているピアスだった。プレートには何か文字が刻まれている。 「俺、ピアスの穴なんかあいてないよ」 「あけてやろう」 やめて。 ひいーっと耳を押さえて壁際に後じさった俺に苦笑してシェインはそのピアスを両手に1つずつ持って俺に近づいた。 「こんなものは一瞬だ。命を落とすことに比べればましであろうが」 「え、本気?」 「本気も本気だ。俺が冗談など言ったことがあるか」 全てが冗談に聞こえるんですけど。 「街を出れば魔物が徘徊している。おぬしはまだろくに自分の身も守れぬだろう。……これは古代の魔術師が防御魔法を込めたものだ。必ずおぬしの役に立つ」 「……」 「……と良いと思うのは本心だ」 おいおいおいおい。 こらこらこらこら!! 言ってシェインは俺の両耳にそれぞれの手を翳した。小さな声で何かを呟く。次の瞬間には、俺の両耳には慣れない重みが感じられた。 「え? もう?」 「だから一瞬だと言っただろう。行くぞ」 「あ、うん……」 促されて宝物庫を出る。元通りシェインが鍵をかけて、元来た道を戻り始めた。 「これ、どうやって使うの」 「知らぬ」 あのなああああ。 突っ込みそうになった俺に、シェインはおどけたように両眉をひょこんと上げてみせた。 「あの宝物庫の品物は現在研究中でな。……ただ、それに関しては自動発動の防御魔法だと言うことがわかっている。まあ、お守りだと思っておけば良かろう」 「うーん……」 頼りないな……。 「ただ、それはあくまでそれ単体の話で……」 俺の前を長い足ですたすたと歩きながら、シェインは顔だけで振り返った。 「どうやら、対となるアイテムがあるらしい」 「対になるアイテム?」 「ああ。それが何だかは、まだわかっていない。せっかくだから対になるアイテムがわかったら俺に教えてくれ」 ……。 俺の為、と言うより、むしろ俺、利用されてるような気がしますけど。 そんなアバウトな物くれないで、もっとわかりやすい物が欲しい。 長い通路を抜け、上へ戻る階段に差し掛かった時にシェインが言った。 「上の部屋で地図と一緒に説明をするが、レオノーラを出たら、とりあえずは南東へ向かえ。浄化の森を抜け、ノイマンの湖を越えるとヘイズと言う小さな町がある。ヘイズから更に南下し、海沿いの港街ギャヴァンに行くと良い。細かな道筋はレイアが知っている」 「うん……」 「ギャヴァンについたら、『再会の酒場』と言う店がある。ギャヴァンまでは順当に行って……ま、かかっても3日か4日だろう。その頃にその店にシサーと言う人物を待たせておく。彼に、会え」 「シサー……?」 「ああ。フリーランスの傭兵だ。腕が立つ。おぬしとレイアでは、ギャヴァンまで辿り着くので精一杯だろう。ギャヴァンまでなら、昼間を選んで移動をすれば魔物はそうそう出ない」 傭兵……。 高校生活で登場するはずのない職業を出されて、ちょっとだけどきどきした。ふうん、傭兵なんてのがいるんだ。 シェインが、ちらりと俺を振り返る。 「ラウバルを黙らせるのに苦労をしたぞ」 「え、どうして」 「ラウバルとシサーは反りが合わぬ」 「シェインとは?」 「絶妙だ」 ……何か嫌だ。 「だが、腕は確かだ。俺が言うのだから間違いない。せっかくだからいろいろと、シサーから学ぶのだな」 どんな人なんだろうか。ごつい大男とかスパルタだったら嫌だな。 そんなふうに思いつつ、俺はシェインの言葉に答えて頷いた。 「うん……わかった」 ◆ ◇ ◆ とりあえず、レイアだけをお供に連れて、俺はヘイズへ向かってシャインカルクを出発した。 レイアのような妖精族は、この世界で言うもうひとつの魔法――精霊魔法と言うのを生まれつき操ることが出来るんだと言う。 攻撃特性なんかは言霊魔法と似通っていて、当然レイアも精霊魔法を操ると聞いているから、何かあった時に力になってくれるのは間違いない……んだろう、きっと。 精霊魔法ってのは通常、人間には持ち得ない能力なんだそーだ。 ともかくも、彼女の魔法が俺の命の先行きに大きく貢献するだろうことは間違いない。 そしてもうひとつの命綱――渡された食料や水なんかの入った皮製の袋を肩にかけ、左腰には何と、剣がぶら下がっている。 ぶら下がっているだけだ。 使えない。 シャインカルクにいる間は言葉を叩き込まれるだけで精一杯で、はっきり言って剣の訓練まで受けている余裕はどこにもなかった。握り方と振り方だけざっくばらんに教えてもらっただけで、使えるようになるわけもない。 「シサーは、頼りになるわよ」 日はまだ高い。 俺は、最初にこの世界で俺が見た場所……浄化の森へ向けて歩いていた。 シェインの言う通り、この辺りは昼間は魔物が出たりはしないのか、のんびりと手押し車を押す農民や行商人らしき人の姿もちらほら見える。 城から出す人数を控えたのは、余り俺の出発が目立っても困ると言うのが理由らしい。本当かどうかは知らないけど。この辺りは王都に近いだけあって昼間は魔物がそれほど出るような場所でもないと聞いている。 「ギャヴァンって、行ったことある?」 肩に背負った荷物を背負いなおしながら、レイアに問う。レイアはふわふわと俺の顔の周りを飛びながら、頷いた。 「あるわよ」 「どんなところ?」 「元気な街よ。潮の匂いに溢れて、活気がある街だわ。レオノーラは上品な街だけど、ギャヴァンは下町って感じね。ギルドもあるし」 「ギルド? って何?」 「盗賊ギルドよ」 盗賊? それって危ない街とかそういうんじゃないの? 俺が嫌な顔をすると、レイアは眉を寄せた。 「盗賊と言ってもいろいろあるのよ。職業盗賊は、ギルドと言う組合に属してるわ。別に危険な存在じゃないわよ、普通にしてれば」 「そういうもん?」 「そういうもん」 なら良いんだけど。 「じゃあ、ヘイズって町は?」 草原を抜けて、浄化の森に入った。相変わらず鬱蒼と生い茂る木々の間を、細い道が続いている。 「ヘイズは特にコメントのしようのない町ね。小さな町よ」 「ふうん……」 鳥の鳴く軽やかな声が聞こえる。時折、草の間から野兎がぴょこんと顔を出した。ひどく平和な光景だ。 本当に魔物とかって、いるのかなあ。会わなくて済むんなら、そりゃあそれに越したことはないんだけどさ。 「レイア」 「何よ」 「何でこの森には魔物が出ないの?」 この世界に来た時にレイアが言っていたことを思い出して、尋ねてみた。ここには出ないときっぱり言っていたと思う。何か理由があるんだろうか。 「ああ……ここはね、エルフの国に通づる森なの」 「え?」 「妖精族のエルフ」 「ふうん……。何でエルフの国に通じると、魔物が出ないの」 「エルフの長が結界を張っているからよ。……いろいろな意味で魔法としての磁場が良いのよね。だからあんたも最初にここに出たわけ」 「ふうん……」 よくわからん。 ともかくこの森は、魔物たちには立ち入り禁止になっているらしい。 「この辺の木の実とかそういうのは、食えるの?」 「食べられるわよ。それはロートスの実と言ってね、食べるとこの世の苦しみを忘れて甘い夢だけが見られるの」 「……ほんと?」 それ、麻薬とかそういうんじゃなかろーか。 俺が手を伸ばした、少し高い位置にある赤っぽい洋梨のような形をした果物を指してレイアが言った。ので、思わず手を引っ込めかける。何かそんな危ないもん食いたくないし。 レイアがそんな俺を見て爆笑した。 「って言うくらいおいしいって話よ」 「……あ、そ」 んじゃあ食ってみよう。 1つもぎ取って、口に運んでみる。一瞬、甘酸っぱいような酸味のある味がして、次にふわーっと甘さが口全体に広がった。水分もかなり多くてジューシー。けど、かなり甘いので喉が渇く気がする。 「疲れた時に食べると、疲労回復になるわ。持ちも良いから幾つか持っていくと良いかもしれないわね」 「そう?」 その言葉に従って、いくつかロートスの実をもいで、荷袋に仕舞いこんだ。 「あ、カズキ。それも持っていた方が良いわ」 言われて足を止める。レイアが指したのはロートスの木の下、その根元の草むらに生えている、ちょっと特殊な形をした草だった。 「これ? が何?」 「これはソーマ草。薬草になる。おいしくないけどね。疲労回復にもなるし、煎じて飲めば解熱剤にもなるし。湿布代わりに怪我も治せるわ」 「万能薬だ」 「そんなに強力に効くわけでもないけど……」 レイアに教えてもらってから、森の中を歩いていてソーマ草を目にするたびに俺は少しずつ摘んで荷袋のポケットにしまった。群生してないからまとめて採ることは出来ないけど、それでもちらほらとあちこちに生えているので、森を横断する勢いで歩いていると結構見付かる。 ……何て意気揚々とそんなもんを集めてて、俺はふと我に返った。 (ゲームじゃないんだから……) ゲームだったら『カズキは薬草を手に入れた』と言うメッセージが流れるところだ。あああもう……。 俺の人生どこでどう間違ったんだろうと思いながら、草を踏み分けて歩いて行く。 やがて森が途切れ、再び草原にぶち当たった。道は森を抜けたところからそれなりに整備され、まあまあの広さに変わる。 見渡す限り、割と単調な光景ではある。起伏に乏しく、遠くの方にまた森のようなものが見えた。 「あれが、ノイマンの湖?」 森から抜け出し、土の感触を靴の裏に感じながら尋ねる。レイアが首肯した。 「そ。……ノイマンの湖にはルサルカと言う湖の乙女がいて、彼女はエクスカリバーと言う魔剣を守護していると言われているわ」 「え、本当に?」 おお。ファンタジー。 「嘘」 がく。 「何だよ、それ……」 目を半開きにしてじとっとレイアを見てやると、レイアはそ知らぬ顔でふわふわと飛びながらなぜか威張るように言った。 「そういう伝説があるのは本当だけど、あたし、湖の乙女に会ったことないもんね」 「会ったことないからっていないとは限らないんじゃ?」 「あのね、あたしこれでも妖精族なの、悪いけど。そのあたしがいないって言ってんだから、いないわよ」 いつの間にか、日は随分と傾いていた。どれくらい歩いてきたんだろう。時計が止まってしまっているので、時間が良くわからない。 夜が近いせいか、それとも元々なのか、周囲には人の姿も見当たらなかった。 ただただ広い大地にレイアを2人だけと言うのは……ひどく心細くさせる。 「ここは、魔物って出たりとか……?」 「するわね」 きっぱりと、レイアが言った。もう少しオブラートに包むとかさ……してよ。 「日が暮れると出るわよ。早めにどっかで野営を考えた方が良いかも」 「野営したって出るんじゃないの?」 「うろうろするより遥かに遭遇率が下がるのよ」 「……魔物って、どんなのがいるの?」 聞いても仕方がないとは思いつつ、聞いてみる。レイアは眉根を寄せて、俺を見た。 「……人間以外って意味で言ってんだったら、あたしだって魔物だと思うわ」 そりゃそうだけど。 「そうねぇ……この辺りに出る魔物って言ったら……ゴブリンとかウォーウルフ、ウガルルム……そんなところかなぁ」 そんだけ出りゃあ十分なんですけど。 「ゴブリン……ってのはキグナスに教えられたな。要は小鬼ってやつなんだろ」 つっても、そんなもの実物にお目にかかったら怖いに決まってるんだが。 「そう」 「ウガ……なんとかってのは? どんなの?」 「ウガルルムは、巨大なライオンの姿をしているわ。特別な能力……魔法を使ったりとかそういうのはないけど、まあ、猛獣よね」 巨大じゃなくたってライオンなんか出てこられたら、それだけで勘弁して下さいと言う気分になってしまう。 「ウォーウルフって言うのは?」 「ウォーウルフは……」 レイアが口を開きかけたそのままで俺の方を向いて凍りついた。 「それ……」 「は」 それ? レイアの視線を追って、振り向く。 途端、俺は全身を突き抜ける恐怖、と言うものを味わった。 薄く陽が翳り始めた道を逸れて、俺から50メートルほどの距離にいる、黒い塊。 狼のように見える。 けれど、その大きさは狼なんかじゃなかった。ライオン……いや、それ以上にあるんじゃないか? 「あ、あれが、ウォーウルフ?」 「そう……大丈夫?」 ぐるるる……と言う低い唸り声が聞こえてくる。魔物……と言うよりは、普通にこういう動物いてもアリじゃん?的ではある。 あるんですけど。 ……でも、遭遇するのはなしでしょうッッッ!! 「レレレレイア」 落ち着けと言う方が無理だ。俺は生まれてからの16年間、道端で猛獣に遭遇した試しなんぞない。 恐怖の余り狼に目を釘付けにしたままで、レイアに震える声で問いかける。かたかたと全身が、痙攣しているように震えていた。 「どどどうすれば良いの」 「逃げるのは、無理なようね」 絶望的な未来をレイアが示唆した。知らず、腰に吊るした剣に手が伸びる。――使い方なんて、ろくにわからないくせに。 低い唸りを上げながら、ウォーウルフがこちらへ近付く足音が聞こえた。かさっかさっと草を踏み分ける音。 腰から剣を抜き取り、城で教えられた通りに両手で構える。震えが止まらない。止めようと力を入れれば、ひどくなる。 走って逃げ出したいけど、下手に動いたら相手を刺激しそうでそれ以上動くことが却って出来ない。更に言えば、こんなにがたがたの状態で走り出したところで普段以下の能力しか発揮できないだろうし、向こうの運動能力を超えた速度で逃亡出来るとは思えない。 「魔法、かけるわ」 レイアがふわりと俺のそばを離れ、ウォーウルフに少しだけ近付いた。 「安らぎの乙女ドライアード、優しき眠りをその荒れ狂う心に与えて。……ドルミータト!!」 俺の目には何も見えないが、ウォーウルフは何かの気配を感じたように辺りを仰いだ。低い唸りが途切れる。 眠りの魔法らしいということは、俺にもわかったんだけど。 (効いてないし!!) ウォーウルフはぶんっと顔を振り払うような仕草をして、再び俺に視線を定めた。止まった歩みが、再開される。……近付く。 「あちゃー。だめだわ」 「駄目だわじゃねーって!!」 剣を構えたまま、動くことが出来ない。……出来る、わけがない。 大体剣を持つのなんか、こっちに来て初めてなんだからな。 元々格闘技だとかやってたわけでもないし、喧嘩とかするようなタチでもない。そりゃあ、普通に人と喧嘩するたってこんなトコで役に立つとも思いにくいけど。 ともかく、せいぜい体育の授業で剣道柔道やったのが精一杯なんだ、俺は!! 「どうすりゃいいんだよッ」 言った瞬間、ウォーウルフの足が地面を蹴った。飛び掛ってくる。 「光を与えしウィル・オー・ウィスプよ!! 閉ざされた世界に光を与えん!! アウローラ!!」 やられる、と思った瞬間、俺は顔を背けながら野球のバットの要領で剣を振った。閉じた瞳の裏側に強い光を感じる。 「ギャンッ」 蹴飛ばされた犬のような声が聞こえて、俺のすぐ顔の脇をタワシのような感触がすり抜ける。同時に肩に熱い痛みが走った。 どうやら俺の剣とレイアの魔法で、空中で体勢を崩したウォーウルフが、俺の肩にその鋭い爪を引っ掛けて顔の真横を通り過ぎたらしい。タワシのような感触は奴の、毛だ。 「グルルル……」 俺の剣で脇腹を傷つけられたらしいウォーウルフは、その獰猛な瞳を怒りと苦痛に燃やしていた。 ひぇぇぇぇぇぇ。……怖すぎる。 「レイアッ」 震える両手で剣の柄を握り締めたまま、俺は叫んだ。傷を負った肩からは血がどくどくと流れ出し、腕が痺れるような痛みを感じ始めた。目が、涙で霞んだ。 「軽やかに踊る風の精霊シルフよ、その身を障壁の渦と変えよ。フェレンティース!!」 レイアが呪文を唱えると、俺を取り巻く周囲の空気が不意に不自然に動くのを感じる。……何? 「防御魔法よ。相手の攻撃を軽減出来るはず」 ありがたいけど、それより倒してくれた方が一層嬉しい。 ウォーウルフが地面を蹴った。跳ね上げられた土が、その後方で舞い上がる。 「うわあああッ」 「光を与えしウィル・オー・ウィスプよ!! その身を裁きの矛と変えよ。ポエブス!!」 レイアが叫ぶのを聞きながら、俺は思いっきり目を瞑って両手で剣を袈裟懸けに振り上げた。 「ガアアアアッ」 地獄から響くような聞くに堪えない雄叫びが上がる。 顔に生温かい息がかかったと感じた次の瞬間、全身に激しい衝動と肩に鋭い痛みを感じた。同時に剣を握り締めた両手に鈍い手応えを感じながら、地面に仰向けに叩き付けられる。抉られた肩が熱い。倒れこんだ体のその上に重みを感じ、顔のすぐ脇にごわごわした毛の感触を認めた俺は、もう駄目だと内心諦めていた。 お父さん、お母さん、先立つ不幸を……。 ……。 …………? ………………あれ? 肩の辺りはずきんずきんと熱い痛みを覚えているが、続け様に襲い掛かるはずの痛みはいつまで経っても訪れない。 剣の柄を握ったままの手がぬるりと滑る感じがして、俺は恐る恐る目を開いた。 途端、視界いっぱいにウォーウルフのドアップが広がり……ひぃぃぃえぇぇぇ……。ああ、もう俺は死んだ。 「危なかったわねー」 ……あれ? やっぱ生きてんの? レイアの言葉に、再び目を開く。 良く見ればウォーウルフは動く気配はなく、俺の体の上で絶命しているのだった。剣は見事に、ウォーウルフの体を突き抜けている。 両手のぬるぬるは、そこから溢れだすおびだたしい量の血で、それは今でもどくどくと俺の体の上に流れ出ていた。 濃い、血の臭気。 「うわあッ」 慌ててウォーウルフの力ない、その重い体を跳ね退ける。自分が青冷めるのを感じた。込み上げる吐き気。 その場を離れ、俺は堪え切れずに吐いた。 「やだ、ちょっと!! どうしたのよッ」 レイアの声が聞こえる。構わずに吐けるだけ吐くと、今度は再び涙が込み上げた。全身ががくがくして、震えが止まらない。 (俺……) 手にこびりついた血を、草にこすり付けて落とそうと試みる。必死の形相で手をひたすら草にこすりつける俺は、どこか少し病的に映ったかもしれない。 レイアの、恐る恐ると言った声が聞こえる。 「……カズキ?」 構わずに手を草に……だけどそれじゃあ全然取れない。草の緑がところどころに入り混じった手を、今度は地面にこすりつける。まだ震えは収まる気配がなかった。 ――生き物を、殺した。 (血の、臭いが……) 取れない……取れるわけがない……。 俺の全身が、ウォーウルフの血を吸って血みどろだ。 あの生き物の生命を絶ったのは、間違いなく俺が握っていたあの剣なんだ。 「カズキ?」 「……来るな」 儚く掠れた声は、レイアに届いただろうか。 ……怖い。 この、世界が。 俺が、生き物を殺すなんて、ありえない。 だけどこれからは、これが、続くんだ。 俺はこれから続ける旅の中で、どれほど命を狙われ、どれほどの殺戮をしなければならないんだ? ……襲われるのは、怖い。 けれどそれ以上に、この手で生命を奪うのが……怖い。 「カズキ……」 「俺……殺しちゃった」 「何言ってるのよ。やらなきゃやられてたのよ?」 「わかってるそんなこと!!」 そんなことはわかってる!! あのまま黙ってたら、あそこに転がってるのはウォーウルフじゃない、俺だ。 だけど、でも、だけど……わかんないよッ。 「俺、出来ないよッ」 「カズキ……」 「俺には出来ないッ。こんなこと、続けられないッ。殺されるのは嫌だッ。だけど殺すことも嫌だッ。助けてくれ、無理だよ、帰りたい」 「カズキ……」 「無理だ!! 無理だ!! 無理だ……ッ!!」 「ちょっと、落ち着い……」 「出来ないよッ。出来ないッ……」 ……この世界では、当たり前のことなんだ。 生きる為に、敵を……魔物を倒す。俺のこんな気持ちは、安全な生活を送ってきた奴の綺麗事なのか? 自分の命を守る為に? 出来ない。出来るわけがない。無理だ。 ―――――――――出来るわけがないッ!! 「……」 「……カズキ?」 「ごめん……」 しばらく、そこで身動き出来ずにいた。レイアも、俺の混乱が収まるのを待つように黙っていた。 やがて、ようやく掠れた声を押し出す。今すぐここから安全などこかに飛び込みたい気持ちは変わらないけれど、ここで喚いてたって何が変わるわけでもない。 少し冷静になって来た頭で、地面についたままの手を握り締めながら、気持ちを静める努力をする。 レイアにあたっても、仕方がない。 「ううん。……どうする?」 「どうするって?」 「もう日が暮れるし……。ここで、野営する?」 その言葉に、背筋が震撼した。 野営? こんなところに、いつまでも留まってなんかいられない。夜になれば、ワンダリングモンスターはもっと増えるだろう。 ……無理だそんなの!! 「嫌だ」 「嫌だって……夜に旅を続けるのは、危険よ?」 「ヘイズに行く。こんなところにいるのは嫌だ」 「でも」 「ここからヘイズまでは、どのくらいかかるの」 「それほどかからないとは思うけど……」 「じゃあ、全力で。……こんなところに、いられない」 こんなところに、いられない。 (気が、狂う……) ――人の、いるところへ……。 2008/07/10 2006/04/13 |
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