| 第1部 王家の塔 ■ 1 終わらない昼休み ■ 「和希ー。雄高くん来たわよー」 「んー」 階下からの母親の声に、パンを咥えたまま俺はくぐもった声で答えた。 ごそごそと鞄に教科書を詰め込んで掴むと、階段を駆け下りる。 6歳年下の弟、 「行ってきますッ」 それを黙殺して、外へ飛び出る。門の外では自転車に跨ったまま小学校からの友達、 「はよッ」 「何だぁ?寝坊か?」 「寝坊」 「珍しい」 パンを咥えたまま、雄高の自転車の後ろに飛び乗る。 柔道部らしく俺より遥かにゴツく背の高い雄高は筋骨隆々で、俺程度を後ろに乗っけても物ともしない筋肉の持ち主だ。 短く刈り込んだ硬い毛はまるで剣山のようなので……と言うのは言い過ぎだけど、まあ痛いのは確かなのでぶつからないよう距離を取って立ち乗り姿勢のまま、俺はトーストを口の中にしまいこんだ。 「寝たの遅かったのか?」 「うん」 「何してたんだよ」 「深夜映画見てた」 俺も雄高も、今年の春渋谷にある城西大学付属高校に入学したばかりだ。今はまだ7月なので、ピカピカの1年生と言っても許容範囲だと思う。人に漕がせている自転車の背中で風を切りながら俺は目を細めた。 暑さを増していく季節の中、この時間から既に太陽は眩しい。 今日も暑くなるんだろうなぁ……。 ウチの学校は大学の方にはがっつり冷房かけるくせに、高校の方にはろくな冷房設備を用意してくれていない。「夏は学ぶのを諦めろ」と言う学校側の姿勢と俺は受け止めている。 「早く自転車、新しいの買ってくれよなー」 ぼーっと人任せに学校へ向かう俺に、前を向いたままで雄高がぼやいた。 「んー……夏休みにバイトでもしようかなぁ……」 俺の愛用チャリは、先週まんまと盗まれた。電車で通えば良いんだけど、俺の自宅のある代々木からはチャリで苦しみながらも通える距離なので、電車代をケチって雄高に送り迎えを強要している。自分で漕ぐより遥かに楽なので、俺は最近チャリを買う気が萎えてきている。 「俺、これで3年間通っても良いなー」 「……俺の意思はどうなる……」 「卒業してから考慮する」 落としてやるーッと、雄高がわざと荒っぽい運転をした。笑いながら、雄高の肩につかまって持ち堪える。 「わかったよ、帰り俺が漕ぐからッ」 「ちッ、しようがねえ、勘弁してやるか……」 キィコキィコと音を立てる自転車は、代々木公園を通過して下り坂に入った。この辺りからちらほらとウチの生徒の姿が見えてくる。 「野沢くん、おはよー」 「はよ」 「下屋、野沢、おはよー」 「おはよー」 学校へ到着して、自転車置場で俺は自転車を降りた。雄高が鍵をかけるのを待って、一緒に校舎へ向かって歩き出す。 「あ、野沢くん、おはよう」 華やかな声が聞こえて振り返ると、クラスメイトの秋名なつみがこっちに向かって歩いてくるところだった。 肩口くらいまでのさらさらの髪に、切れ長の瞳。かなりの美人で、入学するなり男子生徒の注目を一身に集めている。 俺も雄高も同じクラスなんだけど、何だか良く懐いてくれている。……ような気がする。一緒にクラス委員なんかやってるせいかもしれない。 「おはよ」 「なつみちゃん……俺もいるんだけどなー……」 「やだな、わかってるわよ。下屋くんもおはよ」 「俺はついで?」 「そんなことないってばー」 俺自身、なつみのことをいいなあと思ってないかと言えば……そりゃあ可愛いと思うさ。希望溢れる高校生活、俺だってそのうち彼女のひとりも欲しい。可愛いに越したことはないんだろうけど、まあ見た目はともかくとしても、なつみとは話も良く合うし、いつもにこにこしていて感じも良いし、きちんとしてるし……素直に印象は良いわけで。『高嶺の花』だろうって説はあるけど。 「なつみ、宿題やった?」 並んで下駄箱に向かう。雄高が尋ねるとなつみは上履きを取り出しながら首を傾げた。 「やったけど……やってないの?」 「やってない。写させて」 「えー。どうしよっかなー」 「あ、俺も見せて」 上履きに履き替えて、履いて来たスニーカーを下駄箱に押し込みながら言うと、なつみが目を丸くした。 「やだ、野沢くんもやってないの?」 「やったけど、わかんないとこあったから」 「しょうがないなあー」 やれやれ、と言うようになつみが肩を竦める。その肩をポンと誰かが叩いた。 「なっつみ!!はよッ」 同じクラスの永友美佐子だ。いつも高い位置で髪をまとめていて、体育会系のしゃきしゃきした女の子。なつみとは仲が良い。 「おはよー、美佐子」 構わず、俺と雄高は教室に向かって歩き出した。廊下には、登校したばかりの生徒がまだぞろぞろといる。階段を上りながら、雄高がぼやいた。 「なつみって和希しか目に入ってない気がする、俺」 「ま、まさか……」 思わず赤くなる。そんなことないと思うけどな、別に……。 男は顔で判断しちゃいかんよと雄高が言うのを聞きとがめて、俺は横目で睨んだ。 「それじゃあ俺、中身ないみたいじゃん」 「まあ俺様のこの濃い中身に比べたら、まだまだヒヨッコだな」 「濃いのは顔だろ」 何をうッと雄高が俺の頭を殴った。 「いて」 殴るなよ柔道部。 ようやく4階の、しかも1番奥の教室まで辿り着く。既に生徒の大半は来ていて、SHR前のざわざわとした空気が流れていた。 「おはよー」 クラスメートと挨拶を交わしながら自分の席に鞄を置く。 窓際の1番後ろ。特等席だ。 初夏の、キラキラと光る太陽を浴びて背の高いブナの木の葉がさらさらと揺れた。 当たり前の毎日、どこにでもある日常。 それがまさか突然、壊されるなんて思いもしてなかった。 ◆ ◇ ◆ 昼休み、先日配られたアンケートの回収で職員室に行っていた俺は、ふと思いついてそのまま渡り廊下に向かった。 城西高校は大学付属で同じ敷地内に大学があるせいか、かなり広い。大学との共用施設なんかもあって、そっちに繋がる通路を挟んで公園のように中庭が広がっている。もちろん高校の方にもそれはそれで中庭があるけど。 なだらかな起伏の芝生に覆われた中庭には、円陣バレーをする女生徒だとかお弁当を広げるカップルだとかがいて、俺は目をこすりながらその間を縫うように続いているホールへの道を進んでいった。ホールの脇には、木陰になっているベンチが置いてある。 (眠ぃ〜……) あくびが零れた。 目尻の涙を拭いながら、真っ直ぐベンチを目指す。その辺りまで来るとあまり人気もなく、俺はころんとベンチの上に転がった。 外の空気は暑いけれど、この辺はアスファルトが少ないせいか、熱気が立ち込めてはいない。中庭にいくつもある手入れされた大きな木が木陰を作っていて、俺のいるベンチの辺りは建物の陰になる形で今の時間帯だと日は当たらないし、そのくせ風は結構通り抜けたりするので少し涼しい。 昨日、寝たの何時だったんだっけな……3時半……いや、4時過ぎか? 映画の終盤で萎えてきたのが3時半くらいだったから、その後か。眠い。眠すぎる。 片腕で目の辺りを覆ってうつらうつらし始めた頭で、そんなことを考える。午前中の授業はほとんど記憶がない。 今なんか昼メシ食って満たされているし、このままじゃ午後の授業も完全に記憶喪失になるに決まってる。少しくらい眠気を飛ばしておかないと……。 さわさわと風に揺れる葉の音が気持ち良く、俺はゆっくりと眠りの淵に沈もうとしていた。 変な声が聞こえたのは、その時だった。 「……これかな……これよね」 ……。 ……何か今、声がした。 それまで、自分の周囲に全く人の気配を感じてなかった俺は、急激に余りに顔の間近で声を聞いてぎょっとした。腕をどかして目を開けると同時に体を起こす。……あれ? 誰の姿も、ない。 (あれええ?) 確かに人の声を聞いたと思ったのに。 きょろきょろと辺りを見回してみてもやっぱり人の姿を見つけることが出来なくて、俺は腑に落ちないながらも再びベンチに転がった。目を閉じる。 「うん、これみたいね。確かにこりゃあ良く似てるわー。でもちょっと品がないかな……」 「!?」 ぜ、絶対した。今。俺に向かって言ったんだとしたら物凄く失礼なことを言ったような気がする。 がばっと再び起き上がると、俺は思わず自分の頭を疑った。 ……変なイキモノがいる。 「なッ……!?」 ベンチの上で身を起こした俺の、すぐそば……伸ばした足の方にそのイキモノはいた。直径20センチくらいの……ヒト。しかも飛んでいる。 その、ちっちゃい、ありえねーイキモノは、ぎょっとしたまま硬直している俺に向かってどこか嘘くさい笑顔を浮かべてにーっこりと挨拶をしてくれた。 「こんにちは」 ……。 「……こ、こんにちは」 何挨拶返してんだよ、俺……。 透き通った蝶のような4枚羽根をパタパタと忙しく動かしながら、ふわふわと上下に揺れている。くるんと頬の辺りで巻き上がった淡い金色の髪をしていて、その瞳には白目がない。少し先の尖った耳をしていて……目を覚ませ。俺は今、幻覚を見ている。 「何よ?」 良く出来た幻覚だ。ちっちゃいイキモノは、不貞腐れたような顔をして腕を組んだ。白目がないくせして、睨まれているのは何故かよくわかる。 「……や、何でも……」 言葉が思い浮かばない。頭、おかしくなっちゃったんだろうか。それともまだ寝入り端かと思いきや、もう寝ちゃってたのか、俺? 「何よ、寝ぼけてんの?」 「……」 幻覚に言われるとは恐れ入る。 「ま、いいや。あのね、ちょっと悪いんだけど、付き合ってもらうわね」 「は?」 そもそも現状を認識出来ずにいる俺の唖然とした問い返しを全くシカトしておいて、そのイキモノは瞳を閉じた。胸の前で両手を合わせる。 「プルサーテ・エト・アペリエートゥル・ウォービース」 その瞬間。 「なッ……う、うわあああああああッ」 凄い勢いで俺は突然落下する羽目になった。 そんな馬鹿な。何で中庭のベンチに転がってて、これほどGを全身に受けるほど落ちられるんだよ!? 何が起きたんだ? 俺はどこからどこへ向かって落ちてるんだ!? 俺の視界に映っているのは、ただただ真っ暗な闇だった。どこまでも続く深くて細い穴の中を落ちているような感じ。ひたすら真っ直ぐに、落ちていく。 わけもわからず完全に恐慌状態に陥った俺は、救いを求めて視線を動かした。スピードが凄すぎて、顔を動かすことは出来ない。ただ、視覚が与える情報から考えれば、即出口ってわけじゃなさそうだ。だってどこにも光が見えない。 遊園地のフリーフォールのような胃がでんぐり返るみたいな気持ち悪さとかって言うのは、不思議となかった。さっきのイキモノも、わかる範囲ではどこにも姿がない。人をこんな事態に落とし込んでおいて、あんまり無責任だと思う。 (どこに出るんだ……!?) 考えてから、ふと思う。 どこに辿り着くんだとしても……このスピードで落ちてたら俺、間違いなく死んじゃうんじゃないの? (……) だよね。 「……嘘だろおおおおおおおおお!?」 そんな当然の結末が予想出来てしまって、再び恐慌状態に陥る。そりゃそうだろ、何で学校の中庭で昼休みに寝てて墜落死しなきゃなんないんだよ!? (ど、どうしよう……) ったって、どうするもこうするもどうしようもない。だって俺の意志や意図なんか、この事態の中、どこにもないんだから。 とは言え、そう諦めるには俺はまだ余りに若すぎるでしょ!? と、不意に足元……俺が落ちている方向から細い光が見えた。針ほどの大きさしかなかった光はみるみる大きくなっている。つまり俺は出口に近づいているらしい。……いやいやいやいや、だ、駄目だって。ついちゃったら死ぬって!!!! 「うわあああああああッ」 遂に視界の全てが光に覆われた時、思い切り目を瞑って俺は絶叫していた。全身に受けるだろう衝撃を覚悟する。 が。 (……え?) 「うーるさいわねえええ……」 耳元で聞き覚えのある声がしたかと思ったら、ふわっと何かに掬い上げられるように体にかかっていた重力が緩やかになった。ふわふわと、まるでタンポポの綿毛が舞うように急にゆっくりと俺の体が落ちていく。これまでのジェットコースターが嘘のようだ。 「……あれ?」 怖々と目を開けると、俺は森の中を落下しているみたいだった。鬱蒼とした木々の間を緩やかに落下していく。 地面ももう間近……と言うところまで来て、不意に俺を掬い上げていた力が消えた。どさっと落っこちる。腰からもろに衝撃を受けて、俺は呻いた。 「……ってぇ……」 「疲れるから、重力で落ちてもらったの。ごめんねぇ〜」 悪びれない声で、さっきの声が言った。さっきのちっちゃいイキモノだ。つ、疲れるからってあのなああ。 「し、死ぬかと思ったぞ!?」 「いいじゃないの生きてんだから。ちゃんと最後はフォローしてあげたでしょ?」 当たり前だッ。 怒鳴りかけて俺は、きょろっと辺りを見回した。……どこなんだろう。ここ。どう譲歩してみても、学校の敷地内じゃないことは確かだ。 夢にしちゃやけにリアルだけど、でもこんなこと、あるわけがない。俺の中の常識が、現状起こっていることを拒否する。 「……君、誰」 誰と言うか何と言うか……。 ようやく口に出来た俺の問い掛けに、ちっちゃいイキモノは誇らしげに微笑んだ。 「あたしは、レイア。ピクシーよ」 「何? 名前はどっち」 「レイア」 「じゃあ、ぴくしーってのは……?」 地面に座り込んだままで俺が尋ねると、レイアはつんと唇を尖らせた。 「ピクシーはピクシーよ。知らないの? それ以上説明のしようなんか、ないわよ」 どうやら、ピクシーと言う種類のイキモノらしい。……俺の日常の中にはこんなイキモノはいない……。 「んじゃあレイア……」 「あたし、あんたの名前聞いてないんだけど」 俺が何者かも知らずに誘拐してきたのかお前は? 「……和希」 「カズキ? へーんな名前ねー」 余計なお世話なんですけど。 「ま、いいわ。レガード」 だから和希だってば!! 思わずそのすました顔をぴしっと人差し指で軽く弾くと、レイアは軽く吹っ飛んだ。あ、しまった。 「何すんのよッ!!」 近くの草むらまで吹っ飛んで行って、ばすっと埋もれたレイアが怒鳴る。いやいや、こんな小さなイキモノをデコピンしたことがなかったので力加減がわからずつい。 「俺の名前は和希だってば」 「ああもうホントにそうね、レガード様とは全然違うわね。レガードなんて呼んだらレガードが気を悪くするわッ」 レガードレガード言われても、それが何者なのか俺にはさーっぱりわかんないんですけどね……。 「あのさ……ええと、ともかくも、その……」 レイアは不貞腐れたように草むらの中に座り込んでいたが、やがてパタパタとその背中の羽根で舞い上がった。きらきらと細かい粉のようなものが舞う。 「何よ」 正直頭が混乱しきっていて、何を、何から、どう尋ねたら良いのか俺にも良くわからない。 いや、夢なら目が覚めればそれで済むはず。 そう思うものの、心のどこかで「これ、現実なんじゃ?」と言う俺の言葉が聞こえるのも否めない。 (そんなはずない、そんなはずッッッ) と、とにかく、夢でも現実でも何でも、状況を整理しよう。 ええと、俺は何が知りたいんだ? 一言で言えば「何が起こったのか知りたい」んだろうが、それでこのイキモノが答えてくれるとは思いにくい。こ、細かく言うとどういうことなんだ? いや、そもそもここは、どこなんだ? 「ま、まず」 浮かんだ考えに縋ることにして、ともかくも俺が今どこにいるのかを確認することにする。 「ここは、どこ」 「ヴァルス王国よ。ローレシア大陸の南。王都レオノーラに程近い、浄化の森」 ……俺の知識の中にはそんな国家もなければ、大陸すらないんですけど。 「……それ、どこ」 「だからヴァルスだってば」 「だからそれはどこなんだよ!!」 呆然状態を抜けてまた恐慌状態に陥って怒鳴る俺に、レイアは無言で首を傾げた。あのさあ、無理矢理攫ってそういう態度は不親切でしょ!? 「どこも何も説明のしようがないわ。ヴァルスはヴァルスなの。あんたのいた世界には存在しない国かもしれないけれど、ここにはあんたのいた国の方が存在しないのよ」 「なッ……」 何だって……!? 「ふざけんな、帰せよッ」 「駄目よ。わたし、帰せないもん」 攫っておいて何て態度のでかさだ。 「どうして連れて来られて帰せないんだよッ。逆にすればいーんだろッ」 「それが駄目なの。連れて来たのだってわたしの力じゃないもんね。それにあんたに用があってわたしが迎えに行ってんのよ。別に浄化の森見学に連れてきたわけじゃないの。ここだけ見せてはいサヨナラってわけにはいかないでしょ」 「いくよッいいよッ俺はもう堪能したよッ。いいから帰してくれッ」 「だから出来ないんだってば」 聞き分けのないコねぇ……とでも言い出しそうな顔でやれやれと顔を横に振ったレイアは、その小さな腕を伸ばしてびしりと俺の前に人差し指を突きつけた。 「悪いんだけど、付き合ってもらうわよ。王女たっての願いなんだから」 「あのねえ、俺の都合は考えないの!? 俺の意思はどうなんのその場合!!」 「あんたの意思なんか二の次三の次よッ」 い、言い切ったな、このヨーカイ……。 「んじゃあわかったよッ。その王女ってのに会わせろッ。そいつがうんと言えば、俺を元の世界に戻せるんだろッ」 勢い込んで言うと、レイアは小さく何か唱えた。ばすっと俺の体が吹っ飛ぶ。……ふぇッ!? 「王女に対して失礼な口きいてんじゃないわよ。……会わせるには会わせるけど、ユリア様にそんな口きいたら、このくらいじゃ済まさないからね」 何、されたんだ……? 威張るように言ったレイアをぽかんと見上げていると、レイアはきょろっと辺りを見回した。誰かに向かって叫ぶ。 「キグナス!! いるんでしょ? 出て来なさいよ」 つられて辺りを見回すが、人の気配はない。 レイアの余りの態度のでかさに既に抵抗出来なくなりつつある俺は、またこんなちっちゃいのが出て来たらどうしよう、と内心思っていると、不意に頭上から声がした。見上げる。 「**********」 え? そしてすとん、と俺のすぐそばに誰かが降り立った。 白金……と言うんだろうか。全体としては白っぽく見えるのに、やっぱこれは金髪と言うんだろうって言うか……。艶のある髪の光が金色っぽく見えるせいかもしれない。長めの髪を結構豪快に逆立てて、その前髪の下勝ち気そうなオレンジ色の吊り目が……オレンジですけど。 にこっと笑った口元からは八重歯が覗き、まるで牙のように見えた。顎の下に小さくバッテンのような傷がある。顔だけ見るとまるで悪戯っ子のようなのに、襟の詰まったきっちりした服装にローブを羽織っているのが妙にミスマッチだ。まるで魔法使いみた……まさか。 「何よ、さっさと姿を現しなさいよね。カズキ、見習い魔術師のキグナスよ」 のぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜……ッ。 本当に『魔法使い』なんてもんが存在しちゃったりするのかよぉぉぉ……? 確かにここは、俺がついさっきまでいた世界じゃないみたいだ。み、認めたくない。物凄く。俺の理性が、今起こっている全てを拒絶する。 「***************」 言葉も動きも全てを放棄してぼうっと眺める俺の前で、キグナスが俺とレイアを見比べて何かを言った。それを聞いて、俺は自分の血の気が引くのを感じた。 さっきも俺は、キグナスの言ったことがわからなかった。 ……待て。今までレイアと普通に話せちゃってたもんだから気が付かなかったけど、ここって言葉通じるのか? 通じるわけないじゃん、日本じゃないじゃん、俺どうやってその『王女様』に俺のこの心情を訴えるんだよ? 訴えよーが、ねーじゃん!? 一気に混乱状態へ戻ってしまった俺をよそに、ふわりとレイアが何も気付かずにキグナスに言った。 「でしょ。あたしもびっくりしちゃったわ。ま、中身は到底比べ物になんないけどね……。さ、王城へ戻る準備しましょ。このまま連れて帰ったんじゃ目立ちすぎちゃって」 「********************」 「ん。あれ、出して」 「レイア……」 「何よ?」 キグナスが、ごそごそと肩に背負っていた荷袋のようなものから布を取り出す。そのそばをふわふわと上下していたレイアが、俺の声に振り返った。 「あのさ……あの……俺さ……」 「何よ? はっきり言いなさいよ」 「……言葉、全然わかんないんですけど」 俺の言葉にレイアはきょとんとした視線を向けた。 が、その顔が見る見る凍りついていく。……凍りつかないでくれる? 俺の方がずっと困ってんだからさ。 「……わ〜ぉ……」 しばしの氷結から解放されてレイアは呻くように言った。……『わ〜ぉ』って。 「あの……魔法でぱーっと、何か、ないの?」 信じたわけじゃないけど言ってみると、レイアは渋面を崩さずに答えた。 「あるわけないでしょそんな便利なモン」 ないのかよ……。 俺がレイアとキグナスのやりとりがわからないのと同様、キグナスも俺とレイアのやりとりはわからないらしい。きょとんとした顔で俺とレイアを見比べて、汚いボロ切れを俺に手渡し……と言うよりは半ば押し付けながら、レイアに何か言った。 「言葉が、わからないんだって」 レイアの言葉に、キグナスが目を丸くして俺を見る。 わかるわけないだろ、だって……。同じあっちの世界だって国が違えば言葉も違うんだ。増して……こんなどこなんだかなんなんだかわかんないよーな場所で、俺が言葉を知るわけがない。 「……そうね。あたしの言葉はわかるみたい。……さあ? ピクシーだからじゃないの? 一応これでも精神を司る精霊たちと無関係じゃないんだし」 ふうん。そうなんだ。 ともかく、とレイアは空を見上げた。 「早いトコ、戻った方が良いわね。ラウバルに相談してみましょう。シェインも何か良い案をくれるかもしれない。……カズキ。その布を頭から被って」 手渡されたままだったボロ布をレイアは指した。……って、えぇぇぇ〜……? これぇ……? 「やだよ、こんな汚いの」 「贅沢言ってんじゃないわよ。さっさと被らないとこの森ん中に放置してくわよ」 俺に用事があってここに拉致したんじゃなかったのかよ? キグナスがくすくすと笑う。仕方なく俺は、その汚らしいボロ布を頭から被った。フードつきの上着みたいに、キグナスがきゅっと俺の首の辺りで緩くヒモを留める。 「とりあえずこんなとこいつまでもいたってしょうがないわ。行くわよ。いつまで馬鹿みたいに座り込んでんのよ。さっさと立ちなさいよ」 馬鹿みたいってことはないじゃんよ……。 仕方なく、立ち上がった。ここに置いていかれても、俺にはこの後の身の振り方がわからない。 「日暮れまでには、レオノーラにつきたいからね」 「……何かあんの」 もうどうにでもしてくれと言う投げやりな気分で適当に尋ねると、レイアはあっさりと、しかしひどく聞き捨てならないことを言った。 「魔物」 「……は」 「浄化の森に魔物は出ないけど、森を抜けてからレオノーラに着くまでの草原には日が暮れると出るからね」 「……………………………………………………はッ!?」 ま、魔物!? レイアはすたすたと……いや、ふわふわと、俺に構わずに前に進んで行く。ちょ、ちょっと待て、落ち着け。いや、落ち着けるか!! 相当とんでもないことを言わなかったか、お前? 「何、魔物って」 「魔物って言ったら魔物でしょうよ」 だから待てって!! (か、勘弁……) レイアのような到底人間とは思えない生き物がいて、何やら魔法めいたものを使う以上、魔物もいるんだろうか、やっぱり。 ……。 いやー、いるわけないでしょ。そんな。ねえ? まさかご冗談を。 ……。 ……魔物って……。 (はぁぁぁぁ……) そんなの、ありか? 脳裏に、俺の世界でありがちなファンタジーの絵面が浮かぶ。 剣持って、パーティ組んで、旅をして。 ……俺が、あれ、やるの? (……) いやいやいやいや……それはないでしょー……。 (……………………) ははははは……は……。 レイアとキグナスについて鬱蒼とした森を抜けると、森を出てすぐは乾燥した土地が広がり、疎らに草が生えていた。それほど遠くなさそうな場所に街が見える。辺りは少しずつ日が傾き始めている感じだった。 今までとっ散らかっていて気が付かなかったけど、少し肌寒い。7月の東京の学校にいた俺は当然半袖の制服姿だ。対してここの気温は……多分秋口くらいだと思う。 ふわふわと揺れるレイアの背中とキグナスの後ろ姿を見ながら、俺は、盛大なため息を落とした。 ……帰る。 俺は、帰る。断固として帰らせていただきます。 とにかく、レイアは元の世界に戻す方法を知っているんだろうし、レイアは『王女様』とか言う人の命令なら聞くらしい。と言うことは『王女様』に俺を戻すよう言うしかないと言うわけだ。 ファンタジーやりたければ別の人でお願いします。俺には到底向いていそうにない。ミスキャストだ。 『王女様』とやらが物分かりの良い人だと助かるんだけどなあ……。 ◆ ◇ ◆ レイアの脅しは現実のものとなることはなく、幸い得体の知れない『魔物』なんぞに遭遇することはなかった。無事、街に辿り着く。 街は巨大な塀に覆われていて、強固な門が今は開かれていた。屈強な衛兵が、その門を固めている。 「夜になると門は閉じられるの」 レイアがそう説明してくれた。魔物対策とかそう言うんだろうか。でも空飛ぶやつとかそういうの、いないのかなあ。だとするとあまりに無意味なんじゃ? 「まあね。でも大型の魔物なんかは棲息する場所が大体決まっているし、小物が迷い込んだりしない分、あるだけましでしょ。この程度でも、魔物は人里には余り近寄ることがなくなるのよ」 ないよりましって発想なわけね……ああ、そう……。 「空から飛来する魔物は、詰め所の衛兵と魔術師が警戒しているわ。もっとも……」 レイアはそこで一度言葉を切って、僅かに沈んだ顔で続けた。 「今一番怖いのは、魔物なんかじゃないかもしれないけどね……」 門を抜けようとした時、鎧で身を固め、2メートルほどもありそうな巨大な槍を突き立てた衛兵が駆け寄って来た。 「待て!! 怪しげな奴め。見慣れない衣服を身に纏っているな。異国の者か?」 ……と、言ったかもしれない。俺の妄想。 キグナスが、俺と衛兵の間に割って入った。身振り手振りで何か言っている。 何を言ってるのかは俺にはさーっぱりわかんないので、完全にお任せして俺は街の方に視線を向けていた。綺麗な街だな、何か。ノスタルジック。 キグナスと衛兵がほんの少し会話をしただけで、俺は難なく門を通過することが出来た。街の中に足を踏み入れる。 もしかするとキグナスって結構大物だったりするのかな……。でも見習い魔術師って、到底偉い人間には思えないんだけど。だって見習いだろ? 街は石畳の通りで、煉瓦造りの建物が左右に並んでいた。 ここは大通りなんだろうか、たくさんの店があり、通りに花やフルーツを積んだ籠が所狭しと通りに沿って並んでいる。多くの人が行き交い、屋台のようなところから良い匂いが漂ってきた。 かなり活気があると言っても良いと思う。 街行く人は節操なくいろんな髪や目の色をしていて、肌は白っぽいけど西洋人ほどの彫り深さもない。東洋人と西洋人の中間って言うか、そんな感じ。服装はお洒落な感じだった。中世ヨーロッパの映画の世界に紛れ込んだ気分。 ……が。 街中に溢れる人から発せられる言葉。会話。その全てが俺には全くわからない!! キグナスについて街の中を歩きながら、不安が募っていく。 言葉が通じなければ王女様にも訴えることが出来ない。街中で放り出されても、まるで勝手のわからない世界にも関わらず、俺には道を尋ねることさえ出来ないわけだ。それって、生きていけない。 キグナスが時々、振り返る。身振り手振りで、俺にしきりと何かを話してくれた。多分、街の説明をしてくれているんだろう。 言ってる内容の10分の1も理解出来たかは怪しいけど、その気遣いはありがたい。レイアはともかく、キグナスは良い奴そう。キグナスが日本語をしゃべってくれりゃあいーのになあ。譲歩して、英語でも良い。 街の中ほどまで進んでくると、建物の間から大きな城のようなものが見え始めていた。どうやらあそこを目指しているらしい。華やかな街の中、ひときわ目立つ巨大な建物……まるでディズニーランドのシンデレラ城みたいだ。 あ、そうか、なるほど。うんうん、許容範囲だ許容範囲。ディズニーランドにいるんだと思えば。 (思えねぇぇぇ……) 城への道は大通りから真っ直ぐと言うわけではなくて、かなり複雑に入り組んでいた。細かな道をいくつも通り、既に俺、街の外までひとりで出られるかさえ怪しい。 「凄ぇ……」 城までようやく到着して俺は一瞬、自分の立場も忘れて呆然と呟いた。あまりにも華麗で壮大だったので。日常の生活の中ではお目にかかれない。 白い外壁に澄んだ海のような、綺麗なブルーの三角の屋根。壁のところどころに緑色の蔦が這っているのが、妙におとぎ話ちっくだ。 いくつもの細長い塔めいたものが突き出ているような造りで、上方ではそれを繋ぐように回廊が廻らされているように見える。高い塀の上を時々左右に移動するのは、回廊から守備する衛兵だろうか。 「ヴァルスのお城シャインカルク城は、ローレシアの中でも類を見ないほど美しいの。……さ、中に入って。キグナス。あたし、ラウバルとシェインに言ってくるわ。カズキを任せたわよ」 お、おいッ……。 俺と会話が成り立つのはお前だけなんだぞッ!? ……と思った時にはレイアは既に姿を消していた。……汚ぇ……。 キグナスに促されて、城に入る。 城の周囲には大きな濠が廻らされ、背の高い塀で覆われている。巨大な門があり、その両脇を衛兵がこれまた固めていた。けれどキグナスが軽く頭を下げて何かを言うと、衛兵も頭を下げた。その後ろを何だか所在無くついていく。 キグナスって何者なんだろ……。普通の見習い魔術師が、ほいほいお城に入れるとは思いにくいんだけどな……。 門を入ると広い庭だった。真っ直ぐ石畳の広い道が続いていて、その先にお城の入り口が見える。石畳の両脇は綺麗に手入れされた芝生が広がり、やはり手入れの行き届いた庭木が計算された間隔で植え込まれていた。 その真っ直ぐ続く道をそのまんま歩くのかと思ったら、ふいっとキグナスが道をそれたので慌てて俺もそれに従う。分岐する細い道に入った。 キグナスが笑いながら俺を振り返って、身振り手振りで話しかける。 ……多分、この入り口はいわゆる……正門つーか。そういうんで、基本的に偉い人とかそういうのが使う入り口だから……ああなるほど。つまりスタッフ通用口に向かってるわけだ? きっとそうだ。そうに違いない。それに決めた。違ったとしても、知らない。 先ほど正面に見えた城の豪奢な入り口とは違う、ちょっとしょぼい入り口から城の中に入る。もちろんそこにも衛兵はいたんだけど、こっちもキグナスは顔パスだった。 城の通路も石畳で出来ていて、そんなに幅は広くなかった。 壁には等間隔でカンテラが掲げられ、多分国旗みたいなのが同様に等間隔で飾られている。壁も石造りで、明り取りの為か窓のように四角い穴がいくつもあいていた。ガラスなんかは嵌められていない。屋外みたいな扱いなのかな、ここは。 しばらく通路を歩き、その突き当たったドアから中に入る。 これまでの通路とは違う、何か普通の床。リノリウム……なわけはないんだろうけど、そんな感じのつるっとした床だ。壁にはやっぱりいくつもカンテラと国旗が掲げられていて、廊下の真ん中に緑色の絨毯がずーっと敷かれている。 時々衛兵がいる以外は、あんまり人の姿はない。ってか、人のいないところを選んでいるのかもしれない。何でだろ。 きょときょとと周りを見回している俺に、キグナスが疑問を感じ取ったのか振り返って肩を竦めた。俺の顔を指差して、何か言う。 「……?」 俺の、顔? どうやら俺の顔が目立つとか何かそういうことを言ってるっぽい。……目立つ? 何で? ……かっこよすぎるのかなあ、て、照れるなあ……。 ……。 ……そんなわけないんだが、俺の顔が目立たなきゃなんない理由がわからないんで仕方がない。妄想癖が育ってしまいそうだ。 ま、理由はともかく、俺の顔をあまり人に見せたくないらしい。……それはそれで何となく失礼なような……。 エレベーターなんぞと言う便利な物はないらしく、階段をいくつか上ってようやく俺は部屋に通された。城の、多分結構奥まった場所にあるんだと思う。街から外に出るどころか、そもそも城から出られるかが俺にはわからない。 廊下は緑色の絨毯が敷かれているところと、赤い絨毯が敷かれているところとあった。何か意味があるのかもしれないが、現段階で俺にわかろうはずもない。 通された部屋は、質素だけれど上品な造りの部屋だった。調度を見ても高価なのがわかる。あまり広さはない。学校の教室よりちょっと小さいくらいだ。 大きな窓が幾つもあり、明るさは十分だった。薄いピンクっぽい重そうなカーテンが、今は全開に開けられて端で留められている。ダークブラウンの木製の棚の上には、何だか良くわからない美術品らしきものや花を生けた花瓶だとかが置かれていた。 部屋の中心に据えられたこれまた高そうなソファを勧められ、そこに腰を下ろす。目の前の木製のテーブルの上には、何かお菓子みたいなのが入っているガラス製の壺があった。 キグナスのジェスチャーに従って、ようやく俺はその小汚い布を外すことが出来た。キグナスがテーブルの上の菓子壺の蓋を開けて、中のものを口の中に放り込む。何か砂糖菓子みたいな感じ。 食べるか?と言う仕草に頷くと、キグナスは俺の方にそれを押しやった。自分はどかっと向かいのソファに腰を下ろし、ふんぞり返って足を組む。両腕を頭の後ろで組んで背もたれに沈み、窓の外へ目をやった。 菓子壺の丸っこいお菓子を1つ口に放り込むと、甘さが広がった。やっぱり砂糖菓子らしい。わけのわかんないことばっかりで疲れていたらしく、何か急にほっとした感じがした。 ふと、壁にかかった時計が目に入る。時計。……時間の流れって、どうなってんだろう……。 自分の腕時計と見比べて見る。……あれ? (止まってる……) おかしいな……高校入学した時に、入学祝でもらった物だからまだ新しいのに。どっかにぶつけたんだろうか。記憶を探っても思い当たる節がない。 だけど、混乱しきっている間に何かしたのかもしれないしなぁ……。壊れちゃったのかな。 顔を顰めて、俺は腕時計を外した。ポケットにしまう。 言葉が通じないので会話のしようもなく、俺とキグナスはしばらくぼーっとそこに座っていた。 キグナスは深くソファに崩れるように座り込んで、足をぱたぱたさせながら何か鼻歌みたいな歌を歌っている。 壁の時計の時間は4時半。一緒くたにしても良いのなら、俺が中庭にいたのが昼休みで1時前だったから、既に3時間以上……。 ……心配、してるだろうか。 雄高が心配してるかもしれない。 そう思うといても立ってもいられないような気がしてきたけど、どうしようがあるわけでもなかった。帰れるなら、とっくに帰ってる。ここでじっとレイアが来るのを待つしかない。 やがて、廊下の方でざわざわと人の気配がした。キグナスも感じたらしく、鼻歌をやめて顔を上げる。 ドアがノックされるのと同時に立ち上がって、ドアを開けた。思わず、俺も立ち上がる。 入ってきたのは、2人の男性だった。 2人とも長身だ。 ひとりは何かダークグレイのきちんとした身なりをしていて、真っ直ぐな白っぽい長い髪をしていた。精悍な顔付きをしているけれど、その切れ長の瞳には理知的な光が宿っている。 もうひとりは赤い短髪の男で、ちょっと軽そうな感じの、整った顔立ちをしていた。高そうな、シンプルだけど凝ったデザインの黒いマントを身につけている。銀色の硬質な感じの巨大なロッドを持っているのが容姿にそぐってなさすぎておかしい。 ――それが、宰相ラウバルと宮廷魔術師のシェインだった。 2006/04/13 |
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