□■『Release』 ex2■□
 疲れきって家に帰る。バッグを放り出してスウェットに着替えると、俺はランニングシューズを履いた。風呂上りの母親が、頭にタオルを巻きつけながら現れる。
「あんた、今から走りに行くの?」
「うん」
「気をつけるのよ、物騒なんだから」
「はいはい」
 時間は既に10時を回っている。家の前で軽く準備運動をすると、俺は月夜の下を走り出した。走り始めの頃は、肥満体も手伝って少し走っただけで息が上がっていたが、今ではもうそんなことはない。日課として、俺は5kmを自分に課している。こんな生活も、限りはある。まだかかるけれど、高校へ入学できれば、俺は俺の自由を手に入れる。それに、最近ではこんな月夜は走ることが気持ち良くもあった。
 俺の住む渋谷区神泉は、渋谷駅の周りこそ華やいでいるがこっちの方はまぁ古くからの住宅街と言うこともあってそうでもない。小さな公園さえある。その公園を抜け道にして、俺は中へ足を踏み込んだ。右手に並木、左手にブランコなどの遊具を見て歩道を走る。と、ブランコのところに4人ほど人がたまっているのが見えた。ウチの中学の制服だ。
「……お。神田じゃん」
 そう低い声が聞こえた。どきっとする。俺を知っているやつ?
「よう。神田ぁ」
 足を止めた。その4人は俺の進路を塞ぐように立ちはだかる。狭い遊歩道だから、4人が横に並べばそれだけで十分進路妨害だ。
 去年、同じクラスだった男どもだった。さんざん俺をコケにしてくれたやつらでもある。条件反射で、俺は正直言って怯えていた。
「……」
「お前さぁ、最近ナマイキなんだよな。神田は神田らしく、チビでデブやってりゃいいんだよ」
「勉強なんかしちゃってるらしいじゃん。何考えてんだか。神田のくせに」
 理屈なんてあったもんじゃない。何だよ、神田のくせにって。
 むっとしながらも、俺は何も言い返せずにいた。何もされなくても、体が覚えている。
「……」
 結局出来ることは、黙って立っていることだけだ。俺が黙っていることで勢いづいたのか、片桐優が手を伸ばした。俺の肩をどつく。
「何とか言えよ」
 軽くふらついた。
「おら、格闘技とかやってんじゃなかったのかよ?やってみろよ」
「あちょーってか?」
「ばぁか。それじゃあ拳法だよ」
 軽口を叩いてげらげら笑う。それから、牧野悠太が俺を突き飛ばした。俺はよろめいて尻餅をつく。その無様な姿に、4人はまた笑った。
「何だよ、てんで弱ぇじゃん。前とかわんねーじゃん。何習ってんの?オマエ」
「金の無駄だよ、無駄。神田は神田らしく小さくなって生きてなさいって」
 尻餅をついた俺を囲むように4人は上から罵声を浴びせた。足で俺を小突く。俺は黙ってそれを受けていた。怖かった。
「つまんねーなぁ。帰ろうぜぇ」
「そーすっかー」
 飽きたらしく深川陽介、中村秀一が俺に唾を吐きかけた。
「じゃあな、神田」
 4人の姿が見えなくなるまで俺は、浴びせられた唾を拭きもせず、ただそこに尻餅をついていた。情けなかった。