□■眠りの街-LIFE- ex10■□
 (ドコ行こうかなぁ……)
 白い息が舞う。彼女を1人で部屋に置いていくのもそれはそれで残酷なのはわかっている。けれど、それでも自分が部屋にいるよりはましだと判断した。
 俊哉のところにでも行こうかな、と歩きかけて進路を変える。気が向いて、散歩をする気になった。自分の息がふわりと夜空に消えていくのを眺めながら、先日ツテのあるレコード会社に送ったデモを突き返されたことを思い出した。
―これは、歌だったのかね。
 たまにやっているコーラスの仕事をくれる会社なのだが、いざ個人でデモを提出するとそういう手厳しい言葉が平気で返ってくる。経でも読んでるように聞こえたのかよ?と思いつつロビーで返却されたCD-Rの破壊行動に及んでいると、コーラスの方の仕事で直接亮と関わりのある裏仲智康が現われてフォローするように言った。
「ごめんよ。山崎さんも悪気はないんだよ。あーいう人だからさ……勘弁して」
「……裏仲さん、教えて下さい。……俺、下手ですか」
 真顔で尋ねた亮に、裏仲は驚いた表情をするとすぐに首を横に振った。
「いやあ。亮くんは上手いよ。十分実力ある人だと思う」
「……じゃあどうして……」
「アマチュアとしてはね」
 さりげなく、けれど、亮を叩きのめすには十分すぎる言葉だった。
「……今やってるような仕事だったら、幾らでも僕はあげるけどね。そう言う意味ではプロとしても通用するかな」
「……」
「でも、今の亮くんじゃあ売り物にはならないな。わかんないようじゃ、駄目だよ」
 優しい顔で言ってのける分、実は裏仲の方が手厳しいかもしれない。
「今のままじゃ、潰れるかもしれないね。……どこで、間違えちゃったのか、知らないけど」―
 車が亮の横を走り抜ける。前髪が風に舞い上がって踊った。ぶるっと身を震わせて辺りを見る。そんなに人気がある場所ではなかったが、電柱の住所を見ると渋谷の一角だった。よくよく耳を澄ませば、遠くで華やかなさざめきが聞こえる気もする。
(こんなトコまで歩いて来ちゃった……)
 車で来ればさほどでもないこの距離も、歩いてみれば結構ある。
 少し座りたくなって辺りを見回すと、人気のない駐車場があった。その奥に更に小さな建物が見える。どうやら立ち退いた後らしく、『立入禁止』の札がぶら下がった冗談程度のチェーンがあった。札が随分と色あせていることから、放置されて長いのだろう。亮は垂れ下がっている鎖を長い脚で跨いでコンクリートの打ちっぱなしの階段を上った。空気が冷たいせいか、コンクリートも冷え切っていた。
(……ここでいーか)
 風を凌げれば、ここで一晩明かしても良い。時間は既に2時近かった。これから俊哉のところへ向かおうにも電車は既に動いていないし、駅の方へ出れば朝まで過ごせる店くらいあるだろうが喧騒に戻りたくない。静かに自分を見つめるのもたまには悪くはないだろう。
 4階まで階段を上る。更に上に続く階段は、どうやら屋上へ続くドアの手前で途切れていた。建物の中なので一応風はないし、少々……かなり埃っぽいが、まぁ仕方ないだろう。月明かりだけが零れる階段に、亮は1人腰を下ろした。途中で購入した缶コーヒーを取り出す。それを手の中で玩んで温もりを楽しみながら小さく、ため息。
(あーあ、何してんだろうなー、俺って……)
 彗介元気かなー、とぼんやりと思った。冷めた眼差し。いつも余計なことばかり口にする亮とは対照的に無口な男だった。
(あいつ、やってんのかなー……ギター……)
 亮の中の彗介は、いつでもギターと共にある。
 またあいつのギターで歌いたいなぁ、などとぼんやり思った。今頃、何を言っているんだか、と僅かに自嘲する気持ちが込み上げる。逃げ出したのは、自分じゃないか……。
 こんなことなら、どうしてあの時彗介にさえ連絡先を教えなかったのだろう。今はもうこちらも彗介の連絡先がわからない。どうやら、どこかへ引っ越してしまったようだった。
 現実に、負けそうだった。揺らいだ自分の弱さを、彗介の真っ直ぐな眼が見透かすような気がした。後ろめたい思いが、亮に、彗介の前から姿を消させた。
「♪〜……」
 小さく、歌いだす。彗介と2人で初めて作った曲だ。亮はずっと英語で歌詞をつけているが、この曲を作ったのが中学だったせいもあって文法的にも間違っているところが多々ある。彗介の曲の方もいささか無理矢理なところがあり、それが面白かった。いつか再び彗介とやることが出来れば、作り変えてみるのも面白いかもしれない。
(いつか、なんて……)
 あるはずもないか……。
 今更、どの面下げてという奴だ。
「……うわ」
 そんな思いに苦い痛みを胸に走らせていると、不意に背後の月影を誰かが遮った。驚いた亮は慌てて歌を止めて振り返る。綺麗な満月を背に、屋上から扉を開けた人物がいた。