□■幸福のあとさき ex17■□
 「彗介くんは、音楽好きなの?」
 祥子さんの問いに、俺は小さく頷いた。
「ふうん。どんなの聴くの?」
 俺はいくつか海外のバンド名をあげた。どれもマニアックなもので、一般にそんなに浸透しているものではない。割とハードな音を出すくせに、よく聴けば綺麗なメロディラインをしているのが特徴だ。総じて俺はうるさいバンドものを好むが、ただうるさいだけなのはあまり興味がない。メロディや音の作りこみがしっかりしているものを好む傾向にある。
「ふうん、わかんない」
 困った顔をした祥子さんに、俺は立ち上がってCDラックを除くといくつかアルバムを抜いて戻った。
「これとかこれとか……。何で持ってるのに知らないんだよ……」
「だってわたしのじゃないんだもん」
「あ、そ。かっこいいから聴きなさいって」
 ジャケットを取り出して、パラパラとお義理のように中を眺めていた祥子さんが、小声で「聴いてみたらきっと、聴いたことあるんだろうな……」と1人ごちた。
「やっぱ祥子さんの彼氏と俺って、音楽の好み似てるかも」
 呟いた俺に返事はせず、祥子さんは洗面所の方へ消えて行った。俺は流行りモノのJ-POPを聴きながら、今抜いてきたCDのジャケットを手にとって眺める。あのバンドが好きなら知ってるかもと思って覗いてみたら、本当に持ってるもんな。かなり俺と好みが近い。これは本当に、是非一度会って話してみたい。……まあ、そんな機会はあるわけはないんだが。
 そんなふうに思っていると、廊下のほうでチリチリと鈴の音が近づいてきた。おかげでペペが、ひいては祥子さんが戻って来たのだとわかる。
「どうだった?」
「ばっちり落ちたわ。あとは今乾かしてるから、もう少しだけ待ってね」
 そう言って俺の斜向かいのソファに再び腰を落ち着けて、コーヒーカップに手を伸ばしながら、さっきの話だけどと口を開いた。
「確かに似てるのかもしれないわね。彼と彗介くん」
「そう?」
「うん。……音楽の好みだけじゃなくて……何となく、話し方とか」
 話し方?そんなに特徴のある話し方をしているつもりはないんだが。
「……どの辺が?」
「なんとなく、ぶっきらぼうな感じとか」
「……あのね……」
 まあ確かに、愛想振り撒いてしゃべるような真似は出来ないんだけど。ぶっきらぼうかなあ。そうかな……。
 それから少しの間、好きな音楽の話をした。口数の少ない俺でも、やっぱり好きなものについて話すときは別だ。ただ相手がわかってるんだかわかってないんだかは……知ったことではないんだけど。
 30分ほども話していただろうか。祥子さんは時々間に質問なんかしながら、うまく俺の話を広げてくれた。なので、俺にしては1人でよくしゃべったと思う。
「そろそろ乾いたかな」
不意に時計を見て祥子さんが立ち上がる。時間は既に6時になろうとしていた。
祥子さんが洗面所に行ってしまい、ちょうどCDも一回り終えて音を止めたので、俺は片付けようと立ち上がった。その時、俺の左手の方にあるドアが、少しだけ開いているのが目に入った。寝室かな……と思って意味もなくちらりと目をやって、どきっとする。心臓が音を立てたのがわかった。思わず動きを止める。
 寝室ではないようだった。畳が見えるから、和室だ。そしてその奥に見えるもの。あれは……仏壇じゃないか?
 悪いとは思ったものの、俺は吸い寄せられるようにドアの隙間へ近づいていった。そっと目を凝らすと、和室の一番奥に控えめに置いてあるのは、小さいけれど間違いなく真新しい仏壇だった。そしてそこに掲げられた遺影は、まだ若い男性のもので……。
 見てはいけないものを見てしまったような気がして、俺はそっとそこを離れた。プレーヤーからCDを抜き出してケースに収めていると、笑顔の祥子さんが、俺のズボンを片手に戻ってきた。
「ほら、乾いたわ。汚れも落ちたし。本当にごめんね。あー良かった」
「あ……ありがとう」
 礼を言って受け取る。けれど頭の中は、今見たばかりの光景にまだショックを受けていた。
 ……亡くなった、んだろうか、やっぱり。そう思うと、祥子さんの笑顔がやけに悲しく見える。だから、あんなに悲しい顔をしたんだろうか。だから……思い出したくないんだろうか。
 そう思って見てみると、祥子さんはやけにほっそりしているように思えた。もしかしたら、彼氏が死んでから、眠ることも食べることも出来ずにいたりして……。
「どうしたの?」
 声をかけられて我に返る。俺は祥子さんを凝視していたらしかった。
「あ、いや……別に……。その……着替えたいんだけど」
「どぉぞ」
「どぉぞって……あのねえ。ちょっと出ててもらえます?」
「何よ。別に減るもんじゃなし。あ〜あ。せっかく若い男の子の生パンツ見れると思ったのに」
「それが女性の言う言葉かね……」
 俺の言葉にからからと笑って、祥子さんは部屋を出て行った。よくこんなに早く乾いたなと思ったら、仄かに暖かいので、多分浴室乾燥とかそういうのなんだろう。シワもないし。
 手早く着替えると、俺はそっと祥子さんが出て行ったドアをノックした。
「終わりましたけど」
「そう?」
 まだ小さく笑いながら、祥子さんがこちらへ戻ってきた。
「どうする?すぐ帰る?コーヒー、もう1杯くらい飲んでく?」
 少し考える。何となく……このまま帰ってしまうのが残念なような気もしたんだけど……。仏壇を見てしまった以上、それが引っかかってうまく話せないような気がして。
「……帰るよ。長居しちゃったし」
「そう?」
「うん」
 袋に入ったままのCDを片手に持って、祥子さんがハンガーにかけてくれたジャケットを羽織る。
「ありがとう」
 玄関で靴を履きながら礼を言うと、祥子さんは肩をすくめた。
「お礼を言われるようなことじゃないわ。こっちが悪いんだもの。……ね、ペペ」
 相変わらずの間抜け面で、だらしなく舌を出しながら黒い目でペペが俺を見上げている。
「じゃあな、ペペ」
 その頭を撫でてやると、祥子さんにも軽く頭を下げた。
「それじゃ」
「うん。気をつけてね。……思いがけず、楽しかったわ」
「はは。俺も。コーヒーごちそうさま」
 部屋を出ると、外の空気はひんやりとして寒かった。そろそろコートが必要かもしれない。そう思って軽く肩をすぼめながら、エレベーターを待つ。それから、そっと祥子さんのドアを振り返った。
 あの部屋で、1人で泣いたりするんだろうか。俺に、すぐ帰るかどうか聞いたのは、もしかすると祥子さんが1人になりたくなかったせいなのかもしれない。