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▼ Request EX File2 : エピソード1/亮から尚香へのプロポーズ(ZERO / Blowin') 
短編小説と言うよりは、エピソード。タイトルはそのうち考えます(-_-;)
――今、2ヶ月に入ったところですね


「尚香?どうした?」
「あ……ううん」
 ぼんやりしていたらしい。いつの間にか待ち合わせに姿を現していた亮に、尚香は顔を跳ね上げた。
「しっかし、あちぃ。何か、飲む?」
「……ううん。平気」
 ありがとう、と微笑む尚香に、少し不審な表情を浮かべた亮は、口には出さずに歩き出した。
 その背中を追いながら、躊躇う。
 どうしよう。
 いつ、言えば良いのだろう。


――――――妊娠した、だなんて。



    ********************

「……やっぱり、何か変だな」
 冷房の効いた水族館のカフェで、テーブルに頬杖をついた亮がぽつんと呟く。またもぼんやりと目の前のソーダ水の泡が弾けていくのを眺めていた尚香は、亮に視線を移した。
「……そ、そう?」
 水族館に行きたい、と言ったのは尚香だ。幼稚園に就職が決まって働き始めたばかりの尚香と、ミュージシャンを目指してバイトをしながらバンド活動をしている亮とは、このところあまり時間が合わない。
 出来るだけひとり暮らしの亮の部屋に食事を作りに行ったり、泊まったりと、2人で過ごせる時間を作ろうとはしているが、夜中亮が帰って来ない日などはもはやどうしようもない。
 1日ゆっくり2人で過ごせるのは、久しぶりだ。たまにはデートらしいデートがしたい、と言い出したのは尚香だったのだが。
「具合、悪いの?」
 亮の顔が心配げに曇る。
「ううん……」
 否定しながら、それもあながち間違いではないと思う。妊娠が発覚するその少し前から、体がずっとだるく火照っているような感じがしていた。多分、微熱が続いているのだろう。加えて夏の暑さが体に堪えている。
「そうかぁ?無理するなよなー。……帰る?」
 アイスコーヒーのグラスに刺さったストローを指先でつつきながら、亮が優しい笑顔を浮かべた。その顔を見て、泣きたくなる。
 妊娠したことを告げたら、その顔が曇るのだろうか。少しでも迷惑そうな顔をされたら、どうすれば良いのだろう。
「……でも」
「いーよ、俺はそれでも。尚香の体の方が大事でしょ」
「だってせっかくここまで来たのに」
「うーん……そりゃまあ、尚香が楽しみにしてたからさ……見て回れるならそれに越したことはないけど……」
「……」
 言いながらぐるっとガラス越しに見える館内を亮の視線が見渡す。夏休みの今、館内は家族連れで混みあっていた。ゆっくり見られないだろうことはここからでも予想はつく。微熱に火照る尚香などは、あの中に入ったら真実具合が悪くなるかもしれない。
「でも、いつでも来られるよ、また」
 くるんと顔をこちらに向けて、亮が立ち上がった。
「そうしよ。またにしよ」
「亮くん……」
「あのさ、本当に顔色、悪いんだよ」
 抵抗を許さない響きをもって、亮がびしっと指を突きつけた。そのままこつんと尚香のおでこを弾く。
「だから。俺ん家、行こ」
「えぇ〜……亮くん家、暑いよー」
「馬鹿。お前が具合悪いんだから、たまには文明の利器を使用してやるよ」
 気遣うように差し出された手を繋ぎながら、尚香は小さく吹き出した。
 亮が『貧乏暮らし』をする部屋には、備え付けのエアコンがある。が、その電気代に抵抗を覚えている亮は、ほとんど使用した験しがない。くすくす笑いながら、亮と並んで水族館と同じビルにあるカフェテラスを抜ける。亮が尚香を見下ろした。
「それとも、帰る?」
 少し拗ねたような、寂しい目つき。
「……帰らない」
「でしょー」
「でしょって何よー」
「だってせっかく一緒にいられるのにさー。ずっと寝ててもいーよ。俺、看病したげよーか?」
「……何か変なことされそうだからいい」
「あほ。具合良くなるまでとっとく」
「……何よ、それ……」
 繋いだ手の確かな温もりを感じながら、胸に圧迫感が押し寄せた。
 妊娠したと知ってからずっと尚香の胸のうちを塞いでいる。
 亮が、尚香を大切に思ってくれているのは知っている。妊娠したと言って、すぐさま「堕ろせ」だとか「別れる」だとか言い出すとは思えない。
 けれど……思えないからこそ……。
「今日は俺様がメシを作ってあげよう」
 一緒にいるだけで機嫌良さげなその横顔を見上げ、ふっと泣きたくなった。
 その顔が曇るのを、見たくなかった。

    ********************

「夏風邪かな……薬とか、買ってこようか?俺」
 通い慣れた亮の部屋まで戻ってきて、いつもより言葉少なな尚香に亮が気遣って尋ねる。閉めっきりだった部屋には蒸した空気が篭り、エアコンを稼動させながら亮が2つある窓を全開にした。
「空気入れ替わったら、すぐ閉めるから、それまでは我慢しろよー」
「うん」
「とりあえず、座ってな。何か飲むか?冷たいお茶とか……体冷えるかな」
「ありがと……ふふ」
 扇風機までフル稼働して部屋の暑い空気を追い出しながら狭いキッチンの方へ足を向ける亮の後姿に、思わず笑う。尚香を亮が振り返った。
「……何ですか」
「だって、そんな甲斐甲斐しく動いてくれる亮くんって滅多に見られない」
「しつれーな。いつでも尚香サンの為に甲斐甲斐しくしてるでしょ?俺」
「それ、誰?知らない、そんな人」
 笑いながら素直に座り込む尚香に、亮が「俺様だ俺様ッ」とぼやきながら冷蔵庫を覗き込んだ。取り出したグラスにペットボトルの冷たいお茶を注いで戻ってくると、今度は部屋中の窓を閉めて回る。
「うわ、エアコンの空気、臭ぇ」
「だって使わないわ掃除しないわ部屋で煙草は吸うわ……」
「……これ、一層具合悪くなる感じ?」
「そんなことないよ」
 微笑む尚香に、亮はほっとしたようにようやく腰を落ち着けた。すとん、と尚香の斜向いに座り込んで、顔を覗き込む。
「……何か、あった?」
 グラスに口をつけかけていた尚香は、その言葉に心臓が鳴った。まさかそんなふうに聞かれるとは思わなかった。
「え……な、何で?」
「何となく。……この前から、時々、何か言いたいことがあるんじゃないかなって感じ、してたから」
「……」
 ばれていたらしい。
 今日まで聞かずにいたのは亮なりの気遣いだろう。
(言わなきゃ……)
 グラスを置いて、ぎゅっと膝の上で両手を握り締める。
「いいよ、言って」
「……」
「……俺、尚香に何か負担かけてる?」
 優しい言葉に、泣きたくなる。声を出すと泣き出しそうで、尚香は唇を結んだまま黙って顔を横に振った。亮が目を細める。
「そう?なら、いいんだけど」
「……」
「別れ話とかだったら、俺、気が狂うかもしんないけど」
 どきりとする。
 別れ話。
 ……当たらずとも、遠からずかもしれない。
 びくん、と小刻みに尚香の方が震えるのを見て、亮が微かに顔を強張らせた。
「……違うよね?」
「……」
「尚香?」
「……してるの」
「え?」
 ようやく押し出した言葉は、亮に届かなかったらしい。俯いたまま、握り締めた拳を握り締めて、尚香は改めて言葉を押し出した。
「妊娠、してるの」
「……」
 今度は、届いただろうか。長い沈黙が訪れる。
 顔を上げるのが怖くて、尚香は視界の隅に見える亮の膝を眺めていた。今、どんな表情をしているんだろう。困っているだろうか。困っている、だろう。
「……え?」
 やがてぽつりと聞こえた亮の声に、尚香は顔を上げた。見上げた亮の表情に、とりあえず迷惑めいた色が滲んでいなかったことにひとまず息をつく。
「……子供?」
「……そう」
 言葉が出ないらしい。亮の頭にはきっと今、いろんなことが過ぎっているんだろう。
 亮には、妊娠した尚香に見切りをつけることは絶対に出来ない。けれど、追いかけている夢を……それも、動き始めた夢を、捨てることも出来ない。
 尚香はそれを知っている。
「……だからね」
「うん……」
「一度、離れよう?」
 考え抜いたことだ。けれど、言葉にしてみればそれは現実的な痛みを伴って尚香の胸に突き刺さった。口にしているのは亮じゃない、自分だ。わかっている。わかっているけれど……。
(嫌……)
 涙が零れそうだ。歯を食いしばって、亮から目を逸らす。顔を見ては言えない。自分の意志を、感情が裏切りそうだから。
「……何言って……」
 ようやく部屋の空気を涼しいものに変え始めたエアコンの静かな音の中、亮が掠れた声を押し出す。
「亮くん、わかってる?」
「え?」
「子供、だよ?」
「……」
 再び顔を上げて精一杯口を開く尚香に、亮が眉を顰めた。
「……うん」
「お金が、かかるんだよ?」
「……」
 その日暮しの亮に、余分な貯蓄などどこにもない。定職についているわけでもない。収入はほぼ、生活費とバンド活動に消えていく。
 今、子供が出来たなどとなれば、それは亮の夢の足枷にしかならないではないか。
「だから、離れよう……?」
「……それは、別れるってことなの?」
「……」
 うまく、言えるだろうか。
 考え抜いた。どうするのが1番良いのか。
 尚香は亮を大切に思っている。誰よりもだ。その亮との間に子供が出来たのであれば、喜びたい、殺すことなど出来るわけがない。
 けれど現実問題、出産そのものも、その後子供を育てることも、お金がかかる。その苦労は多分、頭で考えるより遥かなものだろう。そして亮には自分と子供を見捨てることなどまず出来ない。―それは、亮に夢を諦めてくれと言うことに他ならない。
(駄目なのよ……それじゃあ……)
 尚香は、亮がどれだけ本気で音楽でやっていこうとしているかを知っている。
 ここ最近になって、ようやく実を結び始めたのだ。まだまだアマチュア、けれど周囲に認められ始めている。レーベルの人間が、声をかけてくれている。
 諦めては欲しくない。
 ……足枷にだけは、なりたくない。
「……亮くんは、頑張って音楽続けて欲しいの」
「俺は、尚香を失いたくない」
 亮の言葉に、涙が零れた。泣きながら、小さく微笑んで亮を見上げる。
 今、そう言ってくれるのならば……もしもこの先その思いが冷めて……決して来てなどくれなくても、2人の間に生まれた命をひとりで育てていけるような気がする。
「……この先」
「……」
「頑張って、夢を叶えたその時に……その時にまだ、そう思ってくれていたら」
「……」
「……迎えに来て」
「馬鹿」
 亮が腕を伸ばし、ぐいっと強い力で尚香を引っ張った。抱き寄せる力が強引で、痛い。
「亮く……」
「勝手に、決めるなよ」
「……」
「俺の子供でもあるだろ」
「だって」
 亮の腕の中で、尚香は涙に潤んだ声をあげた。
「堕ろすのは嫌なの。誰に何を言われても、嫌なの。でもこのままじゃ現実問題、生きていけないでしょ?亮くん、諦めなきゃいけなくなっちゃうでしょ?嫌なのよ。足枷になりたくないの。貫いて欲しいの。これでも、精一杯考えたのよ」
「尚香」
 亮が尚香を抱き締める力を緩める。けれど腕の中に尚香を抱え込んだままで、亮が柔らかい声で続けた。
「落ち着いて」
「だって、妊娠してるわたしがそばにいたら、亮くん、気になるじゃない。思い切り頑張れないじゃない」
「尚香、冷静じゃないよ」
「……」
「……俺には、守らせてくれないの?」
 静かな響きのその声に、尚香は動きを止めた。それからそっと、至近距離で見下ろす亮を見上げる。
「……ごめんね」
「え……?」
「俺が、こんなだから。余計なこと、ひとりでいっぱい悩ませて」
「……」
 言葉を返せない尚香に、亮が体を離しながらため息をついた。その両腕はまだ、尚香の肩に乗せられている。うなだれるように俯けた表情は、もうこの位置からでは見えない。
「……でも、尚香の言う通り、俺は確かに諦めたくない。諦められない」
「……」
「こんなん、なっても。……勝手だな」
「亮くん、違う。いいの、それでいいのよ。わたしはそうして欲しいの。だから……」
「聞いて。……でも、俺は尚香が思うよりもっとずっとわがままだから、尚香も失いたくないんだ」
「……だから、いつか迎えに来てよ」
「いつかじゃ、嫌だよ。……ずっとそばで」
 亮の言葉に、溢れた涙を止められないままで尚香は亮の腕を掴んだ。
「だってじゃあ、どうするの?」
 真っ向から尋ねる尚香の声に、亮が掠れた声を押し出した。滲む儚い笑いが、無理矢理作っているものだと聞かなくたってわかる。
「……休止、する」
「亮くん……」
「働くよ」
 どきん、と心臓が鳴った。表情が見えないのが尚更怖かった。
「駄目だよ、だって、せっかく」
「いいんだ」
 それきりしばらく俯いていた亮は、やがて声もなく見つめる尚香に笑顔を向けた。
「尚香のそばに、ずっといたい」
「……」
「離れるのは、嫌だ。これからも、この先も……ずっと、死ぬまで」
 真っ直ぐ向けられる亮の視線に、尚香の心臓が先ほどとは種類の違う音を立てて鳴った。亮が腕を伸ばし、尚香の頬を優しく親指で撫でる。
―ずっと、死ぬまで……
「……言ってる意味……わかるよね」
「……」
「……2人で、幸せな家庭を、築いていこう」
 言葉もなく両手に顔を埋める尚香の髪を優しく撫でながら、亮の両腕が尚香を優しく抱き締めた。
「……返事が、欲しいな」
「……はい」
 どうすれば良いのか、わからない。
 今考えているより、きっともっとずっと大変なはずなのだ。
 けれど。
「2人で、どうすれば良いのか考えていこう?ひとりで、悩まないで」
「……」
「一緒に、考えていこう……」
 2人で考えれば、ひとりでは見つけられない答えを見つけられるはずなのだから。

    ********************

 それから3週間後、Blowin'は1年間の活動休止期間に入ることとなる―――――。







2007/08/18
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